中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

15年で400倍。中国で最も成功した投資会社「ヒルハウス」。利益ではなく、企業の成長のために投資をする

中国で最も成功したベンチャーキャピタルと言えば、誰もが「ヒルハウス」の名前を挙げる。テンセントや京東が大きく成長するきっかけとなる投資を行い、最初の資金を400倍に増やしたと読思行知が報じた。

 

15年で400倍に成長したネットビジネスの黄金の10年

1995年から2005年までの10年は、中国のインターネットビジネスにとって黄金の10年だ。この期間に大量のスタートアップ企業が生まれ、その多くは淘汰をされ、生き残った企業は今日、業界をリードする大企業となっている。1997年には網易(ワンイー、ネットイース)が創業し、1998年には騰訊(タンシュン、テンセント)、新浪(シンラン)、捜狐(ソーフー)が創業し、1999年にはアリババ、百度バイドゥ)が創業をした。

このようなテックジャイアントが成長したのは、もちろん創業者の努力の賜物だが、その背後にはベンチャーキャピタルの存在がある。特に、張磊(ジャン・レイ)が創業した高瓴(ガオリン、ヒルハウスキャピタル)は、重要なところでモノを言う株主として、テック企業の成長を促してきた。

張磊は15年で2000万ドルの資金を5000億ドルに増やし、投資利回りは年39%にもなり、あのウォーレン・バフェットを大きく超えている。

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ヒルハウスの創業者、張磊。利益を出すためではなく、企業を成長させるために投資をする。それが大きな成功を呼び込み、中国で最も成功したVCになった。

 

大学時代にはテレビメーカー企業を研究

1972年、張磊は河南省駐馬店市の普通の家庭に生まれた。両親共に働いており、自由な空気の中で育った。1991年には、中国人民大学の金融系に進学をする。

大学時代は、1973年に創業した牡丹テレビの企業研究をした。中国で最も早く9インチの白黒テレビを製造した企業のひとつで、80年代にパナソニックの創業者、松下幸之助氏を招いて、それ以降松下電器を手本に、製造ラインを改善し、最盛期には市場シェアの50%以上を占めることになった。

その最中、1992年ごろから鄧小平が改革開放政策を本格化させた。張磊は、それまで中国人がほとんど知らなかった資本主義市場について学ぶようになった。冒険のにおいがして、張磊の体質にあっていたようだ。

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▲中国でヒット商品となった牡丹の白黒テレビ。張磊はこの牡丹テレビという企業の成功の理由を学生時代に研究した。

 

イエール大学で一生の師と出会う

卒業の時期が近づいて、張磊も就職を考えなければならなくなる。同級生は銀行に就職をするのが一般的だった。しかし、資本主義市場には証券会社や投資会社があるのが当たり前なのに中国には存在をしなかった。中国も必ずそういう金融企業が生まれてくると考え、その前に実体経済を身をもって知っておくべきだと考え、鉱物を専門とした商社「五鉱集団」に就職をした。

五鉱で海外の商社マンと面識を得るようになり、張磊は米国留学の必要性を感じた。そして、1998年、張磊は米コネチカット州イエール大学に留学をした。そこで一生の師となるデビット・スウェンセンと出会った。イエール大学の最高投資責任者を務めた投資家だ。

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▲学生時代の張磊と、一生の師であるデビット・スウェンセン。ヒルハウスの創業資金もスウェンセンが出資している。

 

プロダクトはつくれても、事業計画書がつくれない創業者たち

しかし、中国のテック業界が黄金の10年に入り、動きが活発になってきた。その状況を見て、張磊は大学を1年休学をして、中国に帰国し起業をした。網易、テンセント、新浪などが起業をしていて、これらの創業者はプロダクトやサービスを開発に長けていたものの、投資家が求めるような事業計画書をつくる能力がなかった。そのため、なかなか海外の投資家から資金を引き出すことができず苦労をしていた。張磊には、この状況が大きなチャンスに感じられた。

そこで、張磊は「中華創業網」というサイトを開設した。投資をしたい投資家、投資を受けたい企業家が交流して情報交換をするサイトだ。

この中華創業網は好調で、半年で黒字化をした。しかし、2000年にドットコムバブルが弾けるという不幸に見舞われた。投資資金を消費するばかりで利益を上げられないネット企業の株価が一気に下落をし、投資熱が冷めてしまった。これにより、中華創業網の経営も苦しくなり、張磊の最初の起業は失敗に終わった。

 

VCヒルハウスを創業

張磊は、投資家と企業家を結びつけるのではなく、自分が投資をしないとうまくいかないと考えるようになった。2005年、今度は自ら投資をするベンチャーキャピタルを立ち上げた。名前は「高屋建瓴」(屋上から水がめを傾ける、高所から情勢を判断する)という故事成語から「高瓴」(ヒルハウス)と名付けた。

しかし、資金がない。そこで、一生の師であるデビット・スウェンセンと交渉をして、2000万ドルの資金を投資してもらった。

 

QQのビジネス利用に目をつけテンセントに投資

ヒルハウスキャピタルが最初に投資をしたのはテンセントだった。当時のテンセントは上場してから1年ほどで、企業価値は20億ドルにも満たなかった。主要なプロダクトは、パソコンベースのSNS「QQ」だった。当時は、大学生などが連絡を取り合ったりするのに使い、人気となっていたが、それは若い世代の間での話であって、普通の人が使うようになるとは誰も考えていなかった。

張磊がそのテンセントに投資を決めたのは、日用雑貨の卸業者が集まる浙江省義烏市の卸業者たちがQQを連絡ツールとして使っている様子を目撃したからだった。卸業者たちは、名刺に電話番号とともにQQアカウントを記載し、業者同士の連絡、顧客との連絡を、QQのチャットや通話で行っていた。

QQというSNSは、若者の流行ではなく、ビジネスシーンで使われるようになる。そう確信した張磊は、手元にあった2000万ドルのすべてを数回にわけてテンセントに投資をした。これは後に400倍の400億ドルになることになる。

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▲テンセントの関係者が一堂に会した食事会「東興飯局」。張磊も中央のいい場所に座っている。

 

中国のアマゾンをつくるために京東に投資

張磊の投資の手法が最も発揮をされたのがEC京東(ジンドン)に対する投資だ。当時、京東はリーマンショックの影響で経営が苦しくなっていた。企業が拡大戦略を縮小する中で、ものが売れなくなっていったからだ。京東は従業員の給料の遅配が起きるところまで追い込まれていた。

この危機を乗り切るため、京東の創業者劉強東(リュウ・チャンドン)は、ヒルハウスに対して7500万ドルの投資を求めてきた。張磊はこう応えた。「3億ドルなら投資をする。それでなければ投資はしない」。

京東は、小売店から出発をしたため、ECで販売をした商品を自社で配達をしていた。しかし、全国配送網を構築するのは簡単ではなく、サービス地域が限定をされていた。時間と距離を超えるはずのECなのに、配達という物理的限界があったのだ。

張磊は全国物流網を構築し、中国のアマゾンになるべきだと考えた。以前から、京東に対しては注目をしており、全国物流網を構築するには25億元(約4億ドル)程度の資金が必要になると見積もっていた。つまり、全国物流網を構築するための資金であれば投資をするが、今の京東を助けるための運転資金を提供するつもりはないと言ったのだ。

2週間後、張磊は劉強東をつれて、米国のウォルマートの物流網を視察した。劉強東はこれで決意をし、全国物流網の構築という難事業に着手をし、アリババと競い合う規模のECに成長させることに成功をした。

 

中国で最も成功したベンチャーキャピタル

ヒルハウスは、百度、テンセント、京東、CTrip、美団などにも投資をしている。しかし、儲かる企業に投資をして、投資資金を回すという貯金をするような投資の仕方ではなく、その企業が不連続に成長をする要のところで資金を提供している。これにより、投資を受けた企業は急成長をすることができ、ヒルハウスも脅威の投資効率を残すことができている。

ヒルハウスは原資を400倍に増やすという、中国で最も成功したベンチャーキャピタルになっている。