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中国で最高のチームはテンセントのポニー・マーと張小龍。挫折が2人の絆

中国で最高の成果を出したのはテンセントの創業者ポニー・マーと張小龍の2人だ。テンセントの主軸事業であるWeChatを開発しただけでなく、最近ではWeChatミニプログラムを開発して小売業を大きく変えようとしている。WeChatの開発のきっかけは、深夜の電子メールでのやりとりだったと中国網が報じた。

 

スタートアップには3人チームが最適な理由

テック企業を創業するには、3人チームが最適だと言われる。エンジニアとビジネスとコミュニケーターの3人チームだと、バランスが取れ、意見が衝突した時も、対立せず、解決策を生み出しやすい。また、お金を少しでも節約しなければならないスタートアップ段階では、3人で1つの部屋に住み、ベッドは1つでいいというジョークもある。3人が8時間ずつ、3交代制で眠ればいいのだ。

3人チームでなくても、テック企業を成功させるには、エンジニアとビジネスのコンビが最低限必要になる。米国のテック業界で、最も有名なコンビは、アップルのスティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックだろう。ウォズニアックが開発したワンボードマイコンから出発をしてApple IIのヒットにより、アップルは上場をすることに成功した。

 

WeChat、WeChatミニプログラムを生み出したテンセント

中国で最も成功したコンビは、テンセントの創業者である馬化騰(マー・ホワタン、ポニー・マー)と張小龍(ジャン・シャオロン)であることに異論を挟む人はいない。このコンビは、テンセントにとって重要なSNS「WeChat」を生み出し、それだけでなく小売業に大きな影響を与えている「WeChatミニプログラム」も生み出している。

 

深夜のゴーサイン。それがテンセントの未来を拓いた

2010年のある日の深夜、張小龍の言葉によると「突然、神様が降りてきた」。WeChatというプロダクトのアイディアを思いついて、2時間で企画書にまとめ、ポニー・マーに電子メールで送った。

普通の人であれば眠っている時間だが、ポニー・マーはその時間起きていて、電子メールを読み、すぐにゴーサインを出した。ここからWeChatの開発が始まった。

当時、テンセントはPCベースのSNS「QQ」で10億人以上の利用者を獲得し、大成功をしていた。WeChatは携帯電話用のSNSだが、QQのライバル製品になる。

普通の経営者であれば、携帯電話版QQを開発するのが常識で、わざわざ新しい製品を開発する必要はないと考える。

なぜ、ポニー・マーはこのような無謀なプロジェクトにゴーサインを出したのだろうか。

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▲テンセントを創業した馬化騰。後にQQとなる企画を提案したが受け入れられず、辞職をしてテンセントを創業した。

 

挫折が結びつけた2人の絆

12年前、ポニー・マーはまさに張小龍と同じ立場にいて、張小龍の気持ちが理解できた。だからこそ、すぐにゴーサインを出すべきだと判断できた。

1993年に深圳大学を卒業したポニー・マーは、テック企業の「潤訊」(ルンシュン)に入社して、ポケベル関連のエンジニアとして働いていた。PCからポケベル呼び出しができるソフトウェアなどを開発していた。

この頃、イスラエルのミラビリスが開発したICQ(I Seek Youの意味)が世界中に急速に広がっていった。登録した人とチャットができるソフトウェアで、当時はインスタントメッセンジャーと呼ばれた。LINEのPC版のような感覚だ。

1997年になると、中国版はリリースされていないのに、有志が勝手に中国語が使えるようにし、中国でもICQが急速に広がり始めた。

ポニー・マーもこのICQに夢中になった。これがポケベルのようなデバイスに入り、誰もがどこにいても瞬時にコミュニケーションができる世の中になったらどんなに素敵だろう。そう考えて、ポニー・マーは、中国版ICQの開発を社内で提案した。当面はPCtoPCのメッセンジャーだが、将来的にはポケベルにも搭載することを考えていた。しかし、この提案は却下されてしまった。

納得がいかないポニー・マーは、仲間と起業して、そこで開発することにした。この企業が「騰訊」(タンシュン、テンセント)だ。自分の名前の馬化騰と勤めていた企業の潤訊から名前をとった。海外向けの英語名のTencentは、ルーセントテクノロジーの名前からヒントを得てつけた。

こうして、QQが生まれ、テンセントは急速に成長をしていく。もし、潤訊がポニー・マーの提案に耳を傾けていれば、潤訊が大企業になっていたかもしれない。張小龍の提案を受けたポニー・マーは、12年前の自分の体験を思い出したことだろう。

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▲テンセントの重要なエンジニア張小龍。Foxmailの買収がきっかけでテンセントに入社し、WeChat、WeChatミニプログラムといった重要なプロダクトを開発している。

 

スマホの登場で時代遅れになったQQ

しかし、ポニー・マーは考えもなしに張小龍の提案にゴーサインを出したわけではなかった。

1999年にテンセントが開発したQQの前身「OICQ」は、急速に普及をした。特にテキストメッセージだけでなく、ボイスチャットが使える点が歓迎された。バカ高い長距離電話や国際電話料金を払わなくても、QQ同士なら無料で電話ができるのだ。さらに、「QQ農場」というソーシャルゲームが爆発的な人気となった。QQは中国人の誰もが使う国民的ソフトウェアになっていった。

ところが2000年代に入ると、QQの地位を脅かす存在が登場してきた。電子メールの普及だった。中国でも電子メールが広く使われるようになり、ビジネスの場はもちろん、個人でも電子メールでメッセージをやり取りする習慣が広がっていった。

そこで、ポニー・マーは、メールクライアントFoxmailに注目をして買収することにした。このFoxmailを開発したのが張小龍だった。テンセントは、張小龍ごと買収し、張小龍にチームを結成させ、FoxmailをQQ用に改造させ、2005年に「QQ郵箱」としてリリースされた。

しかし、2007年になると再びポニー・マーを悩ませるサービスが登場した。ツイッターだった。QQはあくまで知人同士がコミュニケーションを取るSNSだった。しかし、ツイッターは知人だけでなく、緩い繋がりの他人もメッセージを見ることができる。メッセージが拡散するという現象が起きる。中国でもツイッターとほぼ同じ「ウェイボー」が登場してきた。

しかも、スマートフォンが登場し始め、ツイッター型のSNSスマートフォンへと対応していく。コミュニケーションの主流のデバイススマホになろうとしていた。その時、知人同士でしかコミュニケーションができず、しかもPCベースであるQQは時代遅れの観が否めなかった。

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▲PC版のSNSとして中国で大成功をしたQQ。当時のPC所有者はほぼ全員が利用をしていた。テンセントの初期の成長の原動力となった。

 

テンセントを成長させるエンジニア張小龍

そこで、ポニー・マーは、テンセント版「ウェイボー」を開発する必要があると感じた。このプロダクトを「Q信」と名付けて、携帯電話版QQを開発しているチームとQQ住所録の開発チームに開発を命じた。

張小龍が率いるQQ郵箱チームは、ブラックベリー用のメッセンジャーを開発している最中だったが、これを将来性のないブラックベリーではなく、スマートフォンに対応させることでQ信がいち早く開発できることに気がついた。張小龍はそのことを深夜にポニー・マーにメールで送り、ポニー・マーはすぐにOKを出した。

これがWeChatとなり、スマホ時代のテンセントの駆動力となっていた。ここからWeChatペイなども生まれてくる。

さらに、張小龍はWeChatミニプログラムという新しい仕組みも提案をする。これはWeChatの中でアプリを起動することができる仕組みで、ユーザーにとっては「インストール不要」「アカウント登録不要」「決済方式設定不要」で利用できる。ここからモバイルオーダーやECが気軽に利用ができるようになり、中国の小売業の進化に大きな影響を与えている。アップルも同様の仕組みをApp Clipという名称で追従しているほどだ。

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▲QQが受けたのは、マスコットのペンギンが歓迎されたこともある。初期のOICQ時代からデザインは異なるもののペンギンのマスコットが使われていた。

 

中国で最高のチームはポニー・マーと張小龍

エンジニアにとって最もつらいことは、思いついたアイディアが上から拒否されることだ。そのつらさをポニー・マーを自身も体験して知っていた。張小龍もFoxmail開発以降、その体験をいくつもしてきている。そして、ポニー・マーは、エンジニアがやりたいことをしている時に実力以上の能力を発揮できることも知っていた。それもポニー・マー自身が体験したことだ。

2人ともこのつらさを知っているために、WeChatの開発では素早い判断ができ、それがテンセントを大きく成長する原動力となった。中国で最高のチームは、ポニー・マーと張小龍。これには多くの人が同意をする。