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越境ECとライブEC促進策で、復活を狙う千年商都「広州」

中国四大都市の中で、広州は貿易都市だった。しかし、越境ECが発達するとともにその地位が脅かされている。広州市は、越境ECにも積極的に対応することで千年商都としての面目を保ってきた。そして、今、ライブECを促進する政策を始めて、次世代の千年商都としての未来を切り開こうとしていると捜狐城市が報じた。

 

千年商都と呼ばれる古都、広州

中国の4大都市と言えば、北京、上海、深圳、広州。北京と上海は人口約2000万人、GDPが1.5兆元。深圳と広州が人口1000万人、GDPが1兆元の感覚だ。

新しいビジネスを展開するときは、大都市である北京と上海では、市場が見つけやすい。深圳は若い都市で、市民の年齢も若いため、受け入れられやすい。一方で、広州は千年商都とも呼ばれ、古くから伝統的なビジネスが発達しているため、新しいビジネスが参入しづらい。中国の内陸部の都市の多くは、広州のように伝統的なビジネスが成熟している。そのため、4大都市のうち、広州を攻略することで、中国全都市への展開が見えてくる重要な戦略拠点になっている。

 

清代には唯一の貿易港だった広州

広州では、BC2世紀にすでに西方の国との交易が行われていた。前漢の時代には、西方国家との貿易拠点として成立し、シルク、陶器、鉄器、銅銭、紙、金銀などが輸出され、装飾品、香薬、象牙、サイの角などが輸入されていた。

唐の時代には、ペルシャ湾にいたる航路が開かれ、広州は当時世界最大の航路を持っている都市となった。毎日、平均で11隻の外国船が入港し、1隻当たり平均で200人が乗船している。年にすると、広州を毎年80万人が訪れていたことになる。元の時代になると、140カ国以上と往来がある国際都市となった。

明、清の時代には「一口通商」政策が行われた。事実上の鎖国を行い、広州のみを海外貿易の窓口とするもので、アヘン戦争が始まるまで、広州は繁栄を極めた。アヘン戦争の後、広州、アモイ、寧波、福州、上海の5都市が自由貿易港となり、上海の後塵を拝することになったが、広州はいまだに貿易都市、商業都市としての地位を保っている。

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▲清代末期の広州を描いた絵画。中国唯一の海外に開いた港であったため、貿易業が盛んになった。

 

越境ECに脅かされる広州

しかし、ECの登場により、広州の地位が脅かされている。広州の輸出入額は毎年30%前後の伸びを見せていたが、ECの登場以降10%程度までに成長率が落ち込んでいる。2009年にはマイナス成長になるという危機もあった。

広州では、1957年から広州交易会を開催し、春と秋に大々的な展示会を行い、そこで多くの国内外の業者が取引をするが、この広州交易会の取引額も2011年の747.6億ドル(約8兆円)をピークに下がり続け、2019年には590.18億ドルにまで落ち込んでいる。アリババを始めとする越境ECの取引額は2015年段階で7000億ドル(約75.3兆円)に達していて、広州交易会はその1/10にも満たない。広州交易会は、70年代は広州の貿易額の50%程度を占めていたのに、その衰退ぶりは誰の目にも明らかになっている。

広州十三行は、元々貿易を支配した商家を指す言葉だったが、その商家の系列店が並ぶ地域のことも広州十三行と呼ばれ、現在でもアパレル系の問屋街として存在している。しかし、2005年頃からECに推されるようになり、多くの商店が倒産をし、その代わりに、EC配送用の倉庫に変わっている。

あたかも、アヘン戦争後に、上海が台頭してきた時と同じように危機に陥っている。

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▲広州十三行は、アパレル系の問屋街。以前は休日になると、たくさんの人が押し寄せていた。現在では、ECの影響により閉店をする店舗が目立つようになってきている。

 

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▲広州の多くの店舗が、EC向けの倉庫に変わっていっている。伝統的な問屋街は寂れていくが、広州は越境ECとライブECで復活を狙っている。

 

越境ECの拠点として復活する広州

広州市は、越境ECについても積極的に取り組んできた。2012年に、上海、重慶杭州、寧波、鄭州の5都市が越境ECモデル都市に選ばれたのに続いて、広州も河南地区で最初の越境ECモデル都市になっている。天猫国際、唯品会、京東全球購、アマゾンなども広州に越境EC拠点を置いた。

2015年には広州の越境EC取引額は67億元となり、全国の18.7%をしめるようになった。2019年には444.4億元(約6700億円)となり、この5年間は全国一の取引額になっている。

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新型コロナウイルスの感染拡大により、閉店せざるを得なかった店舗は、そのシャッターの裏でライブECを行い商品を販売し続けた。広州はライブECを促進する政策を施行した。

 

ライブECを促進する広州

さらに、広州市商務局は「広州市ライブEC発展行動方案(2020ー2022年)」を公開した。3年間で、1000の新規商品を開発し、1万人の網紅を育成し、広州市をライブECの都市に育てていこうという内容だ。

広州は千年商都だが、安穏として、2000年以上もその地位を守ってきたわけではない。何度も衰退の危機に直面しながら、次世代の仕組みを積極的に取り入れることで乗り越えてきた。現在、衰退危機に直面している広州は、ライブECに取り組むことで、広州の未来を切り開こうとしている。