コロナ禍により死に体になっているショッピングモールが続出している。それを救っているのが二次元ショップだ。次々と二次元ショップが入居をすることで、オタクの聖地として復活をするショッピングモールが各都市に生まれていると封面新聞が報じた。
都心の死に体モールが二次元で復活
この数年で「オタクの聖地」と呼ばれる“濃度の濃い”場所が各都市に生まれてきている。最も有名なのは上海市の人民広場にある上海百聯ZX創趣場だ。立地は絶好でありながら、古くなったことから経営が苦しくなっている華聯商業ビルが改装をして二次元関係のショップを集めたところ、中国中のオタクが押し寄せるようになった。すると、近隣の商業ビルも二次元ショップを取り入れるようになり、人民広場は「濃度の濃い」場所として上海市外からも若者が集まるようになった。
北京市海淀区のBOM嘻番里、武漢市の潮流盒子X118なども同じで、死に体になっていたショッピングモールが二次元特化をしたことにより、若者が集まり始めた。
成都市の天府紅も同じだった。市の中心部にあり場所は悪くないのに、入っている店が旧態依然としていたため、周辺の新しいモールに客流を取られていた。それが二次元で復活できたのはまったくの偶然だった。



コロナ禍で経営が厳しくなった「次元GO」
中国ではACGN(アニメ、コミック、ゲーム、ノベル)は、オタク趣味というよりも若者世代の一般教養になっている。人により濃度が異なるだけで、多かれ少なかれ興味を持っている。特に2020年以来のコロナ禍では、外に出ることができなくなったため、インドア趣味であるACGNが人気となった。アニメ配信やゲーム配信、コミック配信などのサービスはどこもこの時期に成長をしている。
ところが、グッズやフィギュアを販売する周辺ビジネスは苦しんでいた。多くの若者が「自分の目で見て選びたい」と考えるためにECでの販売はあまり増えない。かといって、店にきてくれる人は外出制限により激減をしていた。広州市でACGN関連商品のショップを運営していた「次元Go」も経営が苦しくなり、創業メンバーも一人抜け、二人抜けし、曽煒(ツァン・ウェイ)だけが残った。しかし、売上はほとんど立たず、閉店せざるを得ないことは目に見えていた。
2021年、曽煒は最後の賭けに出た。二次元関係のグッズのEC売上を見ると、成都市の伸び率が高かった。成都に移転をして、最後の賭けに出ようと、広州市の店を整理して、残った資金60万元を持って成都市に向かった。

コロナ禍で空室率の高いモールに底値で入居
曽煒の戦略は底値買いだった。コロナ禍により、多くのモールの店舗が閉鎖され、どこも家賃を引き下げていた。その中で、立地がよく、最も安い家賃のモールを探すために成都中を歩き回った。そこで見つけたのが天府紅で、施設は古く、空室率は80%近くにも達していた。しかし、市の中心にある天府広場に近く立地は素晴らしい。
それでも家賃は高いため、曽煒は運営側と何度も交渉をしたが、結局、保証金と改装費を支払うのが精一杯で、仕入れ代金がなくなってしまった。そこも交渉をして、サプライヤーから信用で仕入れるしかなかった。
2022年6月、次元Goが開店すると、初日から大人気となり、長い行列ができた。わずか2ヶ月で初期投資を回収し、月の売上は200万元に達した。曽煒の思惑が当たったのだ。成都市は北京や上海にも匹敵する大都会だが、周辺に大都市がないために、二次元グッズを買いたい人は遠くからもやってくる。

天府紅5階がオタクの聖地に
この成功を見て、次元Goが入っている天府紅の5階には次々と二次元ショップが開店し、オタクの聖地となっていった。しかし、入れ替わりは激しい。なぜなら、二次元ショップはオタクにしか経営できないからだ。
人気の商材だからと手を出したACGNの世界がわからない経営者は、いわゆる「売れ筋」の商品ばかりを仕入れようとする。一方、オタク経営者は、自分の趣味やトレンドに基づいて「これを推す」という仕入れ方をする。つまり、非オタク経営者のショップには文脈がなく、オタク経営者のショップには文脈がある。オタク消費者たちは文脈のない店には立ち寄らない。異なる文脈の店をあちこち回るのが楽しいのだ。店舗を見て回る体験が重要な商品になっている。
売上データを見て売れ筋商品を揃えるようなショップは、オタク消費者から見れば、すでに旬がすぎたものばかり並べている果物屋のようなもので、まったく魅力を感じない。このような店が撤退をし、ACGNをわかっているショップが入ってくることにより、オタクの聖地としての濃度が高まっていった。


人気商品を並べるだけではオタクは集まってこない
1991年生まれの曽煒は、小学校の時にテレビで見た「ポケモン」からアニメが好きになった。アニメとゲームに夢中になり、同人ゲームづくりに参加をしたりとオタクの王道を歩んだ。
2010年、19歳の時、友人たちと二次創作のキャラクターを使った抱き枕をつくり、淘宝網(タオバオ)で販売したところ、20万元の売上があがった。しかし、仲間たちとその利益配分をめぐって大喧嘩となり、このオンラインショップは閉鎖をすることになってしまった。
しかし、曽煒は、ACGNグッズでお金を稼ぐことができるという確信を得て、大学を卒業すると広州市に「次元Go」を開店した。しかし、似たようなことをしている連中は、広州市にもたくさんいたし、他の都市にもたくさんいる。既存キャラクターの抱き枕などありふれているのだ。そこから、曽煒は積極的にオタクコミュニティに顔を出すようになり、何が次にくるのかを真剣に考えるようになり、商品開発をすることで、次元Goの業績も次第に軌道に乗り始めた。そこにコロナ禍が襲ってきて、すべてがふり出しに戻ってしまった。
経営者がコミュニティと関わりをもつことが大切
次元Goが成都市で成功できたのは、四川省にはそれまでACGN関連ショップが少なかったからだ。それなのにネットを通じてオタク趣味の若者たちは増えていた。その需給ギャップが初速が出た要因となった。
さらに、曽煒は広州市での失敗から、コミュニティに参加をし、新しい商品開発をしていくことの重要さを学んだ。これにより、次元Goは成都市で最も先端を行く二次元ショップとして知られることになった。この次元Goが起点となり、天府紅はオタクの聖地になろうとしている。
