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中国の携帯電話産業の原点「山寨機」。携帯電話普及率や輸出拡大に貢献

小米(シャオミ)の登場により、安くて多機能の山寨機が消滅をした。山寨機は違法製造の携帯電話のことで、ユニークな外観、機能のものが多く、中国だけでなく世界中にガジェットとしてのファンがいる。しかし、山寨機は、中国の携帯電話産業の原点になっていると科技蟹が報じた。

 

違法山寨機を消滅させた小米の成功

2019年、小米(シャオミ)9周年のイベントで、創業者の雷軍(レイ・ジュン)が面白い発言をした。「この短い9年という時間で、私たちが成し遂げた最大の変化とは何か。それは山寨機を消滅させたことです。山寨機は今、すべて消え去りました」。

山寨機(さんさい、シャンジャイ)というのは、違法に製造された携帯電話のことだ。驚くほど安いが、品質はそれぞれ。90年代から2000年代には、いわゆる「品質がひどい中華クオリティ」の携帯電話として海外にも知られるようになった。

しかし、雷軍は、この山寨機を目の仇にして駆逐をしてきたわけではない。90年代の中国の経済力、技術力では、山寨機を作るしかなかった。雷軍は、その劣悪な製造業の環境を変えようとしてきた。それが実り、もはや中国は山寨機など作らなくても、小米などの正規のメーカーが品質が高く、そして価格も安い電子機器を作れるようになったという意味だ。

山寨とは山の中の砦の意味で、盗賊が官憲の追捕を逃れるために隠れ住んだ場所だ。しかし、中国人は山寨というと、劉邦水滸伝梁山泊毛沢東の井崗山を連想する。体制からの追及を逃れるために山の中に潜伏しているが、同時にそこが反体制革命の拠点になっていく。山寨は犯罪者集団でもあり、ヒーローでもあるのだ。

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山寨機は外観が面白いものが、取り上げられやすいが、先進的な機能を搭載していたものも多かった。技術力のある山寨メーカーは機能で勝負し、技術力のない山寨メーカーは外観の面白さで勝負をした。

 

山寨メーカーを表す生産地企業「SZ」

山寨機は90年代から登場している。当初は違法製造したものだっため「黒手機」(闇ケータイ)と呼ばれていた。

香港企業が、経済特区である深圳に電子製品の製造工場を作り始めた。安い人件費を求めてのことで、深圳で製造し、海外に輸出するというのが香港企業のビジネスモデルだった。

これにより、立ち遅れていた中国の産業界は、世界の技術と製造ノウハウを学ぶことになる。

このような携帯電話製造工場から、パーツなどを横流しして、まったくのコピー品であるリアルフェイク、安い部品で代用したフェイク携帯電話が違法製造されるようになる。これが黒手機だ。

携帯電話には生産地を記載する必要があったが、深圳と書くことはできず、Made in SZと記載された。深圳(ShenZhen)の頭文字で、これが黒手機の目印となった。

このような違法メーカーは、次第に山寨メーカーと呼ばれるようになる。山寨(ShanZhai)も頭文字がSZになる。

 

中国の携帯電話普及率を押し上げた山寨

このような黒手機は瞬く間に広がっていった。当時のフィーチャーフォンノキアモトローラー、レノボなどが主流だったが、価格はだいたい3000元前後だった。これは当時の中国人の平均的な収入の1ヶ月分で、携帯電話を買うには、半年は節約をしてお金を貯める必要があるほどだった。一方で、黒手機は300元から400元程度で購入できる。多くの人が黒手機を買い求めることになった。

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▲中国の携帯電話普及率の推移。黒手機が登場した2000年の普及率はわずか6.7%だった。それが小米が登場する2011年には73.6%になっている。山寨機が果たした役割は大きい。中国工信部「通信業統計公報」より作成。

 

華強北で大量に売られた山寨

黒手機の流通には、深圳の華強北(ホワチャンベイ)の存在が欠かせない。華強北は、中国最大(あるいは世界最大)の電気街で、大きなビルの中に小さな店舗が軒を並べて、ありとあらゆる電子製品、電子部品の取引が行われている。南北930m、東西1560mの地域に、商店が5万軒あり、20万人の人が働いている。

特に電子部品の調達に関しては最も便利な街で、海外にいたら調達に2ヶ月かかるような部品が、華強北を探せば1日で集まるとも言われた。山寨機もこの華強北で大量に流通するようになる。

深圳のアパートやマンションの中で、山寨機を製造し、華強北に持ち込む。来店客が買っていくだけでなく、中国各都市から仕入れにやってくる。山寨機の製造は、手っとり早く儲かる商売のひとつだったのだ。

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▲華強北歩行街。この狭い地域に5万軒の商店があり、20万人が働いている。

 

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▲2010年頃の深圳、華強北。ビルの中に小さな商店がひしめき、さまざまな電子部品を販売している。

 

台湾メディアテックが携帯電話の製造を変えた

この黒手機製造が、中国の携帯電話製造の起点となり、黒手機メーカーは、次第に山寨メーカーとして力をつけていくことになる。

それには、台湾のメディアテックの存在が欠かせない。メディアテックは、携帯電話用のチップを開発したが、モトローラーなどと比べると性能が劣っていることは明らかだった。

そこで、メディアテックは、2001年ごろから、今日で言うSoC(システム・オン・チップ)化を進めていった。CPUだけでなく、携帯電話が必要としている動画再生、音声再生、撮影、タッチパネルなどのチップ類を1枚にまとめたものだ。

さらにメディアテックは、2005年にターンキー販売を始める。ターンキーとは「鍵を回せばすぐに使える状態」で販売することで、チップだけでなく、ソフトウェアや参照モデルもセットで販売をした。参照モデルというのは、実際に動作する状態までにした見本で、これを改良することで、自社の製品として発売できるようになる。

極端に言うと、メディアテックの参照モデルにオリジナルの外装の中に入れれば、携帯電話ができあがることになる。技術力のない山寨メーカーは、外装の面白さで目を引き、技術力のある山寨メーカーは付加機能をつけることで目を引くことができる。

 

モノのアジャイル開発を行なった山寨メーカー

当時、メディアテックのチップを使い、基盤設計を専門に行うデザインハウスと呼ばれる企業が400社から500社あり、これを2000社の山寨メーカーが購入し、携帯電話を製造していたと言われる。

このような山寨機は、華強北の3万軒の商店が扱い、100万種類以上の携帯電話が販売された。販売額は年に1200億元(約1.9兆円)にも達していたと試算されている。

このような分業化が進んだため、山寨メーカーの標準は6、7人の零細企業だった。

このような山寨メーカーの大半は、利益しか考えない質の悪い携帯電話を製造していたが、一部には上昇志向の山寨メーカーも存在した。平日に携帯電話を製造し、週末に華強北で売る。お客さんの反応を見て、翌週は改善した携帯電話を製造する。いわゆる高速でPDCAを回す「モノのアジャイル開発」をするような山寨メーカーも現れるようになった。そのような山寨メーカーからは、MP3音楽再生機能、ダブルSIM、タッチペン対応など、最先端の機能を搭載した携帯電話も発売されるようになっていった。

 

免許制度があったための違法操業

このような山寨メーカーが「違法」と言われるのは、技術やキャラクター版権などの知的財産権に頓着ぜずに、勝手に使っていたこともあるが、最も大きかったのは、当時の中国では携帯電話を製造販売するには製造免許が必要だったことがある。この免許を取得するには、それなりに規模の生産設備を持ち、さまざまな安全基準に従うことが必要で、取得のための経費もバカにならなかった。

一方で、メディアテックの登場により、分業化が進み、携帯電話は数人の企業でも製造が可能な状況になっていた。これにより、製造免許を取得せずに、携帯電話を製造していたのが山寨メーカーだ。そのため、「偽物携帯電話」と言うよりは、ノーブランド携帯電話と呼んだ方が実態に合っている。

ただし、正規の携帯電話ではないために、携帯電話の個体識別番号であるIMEI番号が取得できない。これがないと、携帯電話の通信ネットワークに接続することができず通話ができない。そこで、山寨メーカーは、架空のIMEIを使ったり、少数のIMEI番号を使い回したりした。そのため、通信キャリアが対策をすると、通話ができなくなってしまうリスクはあった。

 

免許制度廃止により、正規メーカーとなった山寨メーカー

2007年に、この免許制度が大きく変わる。製造した携帯電話を、工信部の検査期間に持ち込み、検査を受け、基準を満たしていれば、誰でも販売ができるようになった。これにより、山寨メーカーも正式に携帯電話を製造販売できるようになった。闇から光の世界に入ることができ、それまで低コストで作ることに努力をしてきたため、強い価格競争力を持ち、ここから数年、山寨機は黄金時代を迎える。

さらに2009年頃からは、山寨メーカーはインドやアフリカを中心とした海外市場に目を向けるようになる。

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山寨機の出荷台数。世界の携帯電話出荷台数が年10億元の時代に、2.5億台の山寨機が出荷されていた。2007年に山寨機が合法化されると、海外輸出も伸びていった。深圳市半導体業協会(SZSIA)統計より作成。

 

中国政府の規制が始まる

当時市場を支配していたノキアサムスンにとっても山寨機は脅威になってきた。山寨機の登場により、低価格帯市場が蚕食されていることから、機能を高めたハイエンド機に挑戦するようになる。ちょうど、フィーチャーフォンからスマートフォンへと、携帯電話の進化が最も熾烈な時で、大手メーカーは、高機能機で自分たちの市場を確保した。

また、2010年から中国政府は、知的財産権の取り締まりを強化し始めた。中国の製品を国際市場で販売をするためだ。山寨メーカーは、それまで技術や版権を勝手に利用していたが、次第にきちんと使用料を支払わなければならなくなっていく。これにより、弱小の山寨メーカーの多くが倒産をした。

さらに、3G時代となり、iPhoneを始めとするスマートフォンが登場するようになる。さすがに、山寨メーカーもスマートフォンの製造は手に余った。山寨メーカーの優秀なエンジニアは、ファーウェイや小米などのスマホメーカーに取り込まれた。行き場を失った山寨メーカーは、中古スマホの転売業やその他の仕事に移っていった。

そして、2011年8月、小米が1999元の「小米1」を発表し、さらに799元という低価格の「紅米1」を発表する。低価格で高機能。これにより、それまで山寨機を買い求めていた人たちが、小米に殺到をした。これにより、山寨メーカーは完全に消滅することになった。

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▲小米1の発表会の様子。低価格で、必要な機能が備えられている小米は、山寨機が目指してきたものだった。小米の登場により、山寨機は競争力を失い、消えていくことになる。

 

違法状態を合法化して規制の網をかける中国政府

山寨機は、時として中国のおもしろケータイ扱いをされることもあったが、本質は中国の携帯電話産業の原点になっている。始まりは違法または違法すれすれのグレービジネスだったが、中国の携帯電話普及率を押し上げることに大きく貢献をした。

また、海外輸出のルートを開拓したのも山寨メーカーだ。国内販売は免許がないために違法だったが、海外ではそのような免許が不要であったり、検査に合格をすれば販売ができる国もある。つまり、国内販売は違法だが、海外販売は合法という状態にあり、山寨メーカーは海外市場を開拓していった。

また、中国政府の制御も見事で、グレービジネスの段階で放置をし、産業がじゅうぶんに力をつけた段階で、規制緩和をし、合法化をする。合法化をさせておいてから、知的財産権や安全性の規制の網をかけ、力のないメーカーを淘汰させていくという手法で、産業を成長させていっている。

中国政府は、スマホ決済などでも同じ手法をとっている。民間企業が、実質的に流通可能な電子通貨を作ってしまったスマホ決済は、グレーなビジネスだった。アリペイを運営していたアリババの創業者ジャック・マーは、当時、いつ逮捕されていいように日頃から身辺整理をしていたという。

しかし、スマホ決済が普及した2017年、精算プラットフォームを立ち上げ、全てのスマホ決済はこの精算プラットフォームを経由しないと銀行との接続ができないようにした。これにより、スマホ決済は合法であることが保証されたが、同時に、銀行や当局の規制を受けることになった。

このようなグレービジネスを合法化して、規制をかけて、業界を健全化するという手法は、中国の産業育成のひとつのパターンになっている。その原点も、山寨機にあるのだ。