かつて、中国製iPhoneで一時代を築いた山寨携帯電話メーカーが存在した。日本では、「ニセモノiPhone」として報道されたが、このメーカー「ニーチェ」は、中国産iPhoneと称して、1/10の価格で販売した。性能はiPhoneと比べ物にならないが、当時の中国人にとっては「中国にもiPhoneを作れる技術がある」「それを低価格で製造できる技術がある」と捉えられ、爆売れをし、一時代を築いたと1973手機館が報じた。
テック企業成長の露払いとなった山寨携帯電話
2000年代に中国テック業界成長の露払いの役目を果たした山寨(シャンジャイ)携帯電話。著作権などを無視してアニメキャラクターを勝手に使い、ドラえもん携帯を製造したり、買ってすぐ壊れる低品質ぶりなどから、日本のガジェット好きにもネタとして面白がられた。山寨とは山の砦という意味で、小さなメーカーが山賊のように生まれては消えていたことからそう呼ばれるようになった。
中心となった深圳の電気街「華強北」(ホワチャンベイ)には、電子部品の販売店が最盛期には5万軒あり、そのうちの3万軒が山寨携帯電話を販売していた時代もあった。
山寨携帯から生まれたSoCの発想
この山寨携帯にとって大きかったのが台湾の半導体メーカー「メディアテック」の存在だ。新興の半導体メーカーであるメディアテックは、品質の点で先行メーカーに追いつくことができず、何か手を打たなければならなかった。そこで考案されたのが、現在のSoC(システムオンチップ)に通じる考え方だ。つまり、CPUだけではなく、音楽、動画、静止画の処理機能、GPS関連の処理機能なども1枚のチップにまとめてしまうというものだ。極端に言えば、このSoC1枚にカバーやディスプレイをつければ携帯電話ができあがる。
山寨メーカーにとっては、技術力がなくても携帯電話を製造できるようになり、山寨携帯の文化が花開いた。最盛期には、深圳には、メディアテックのチップを使った基盤設計を行うデザインハウスが500社、その基盤を使って山寨携帯を作るメーカーが2000社あったと言われる。メーカーと言っても、6人程度の零細企業が中心だった。
当時の中国では、携帯電話を製造するには免許を取得し、さまざまな安全基準に従う必要があった。しかし、それにはある程度の規模の資本がいる。そこで、免許を取得せずに闇製造をしたのが山寨メーカーだ。そのため、製造メーカー名を記載することがはばかられ、「Made in SZ」とのみ記載された。SZとは深圳(ShenZhen)のことだ。これが山寨(ShanZhai)とイニシャルが同じであったため、山寨携帯電話と呼ばれるようになった。つまり、「ニセモノケータイ」というよりは「ノーブランドケータイ」と呼んだ方が実態に合っている。
その大半は、金儲けにしか興味がなく、技術力もないので面白さで勝負をしていた。しかし、中にはMP3再生機能やタッチペン対応、ダブルSIMなど、当時としては最先端の機能に挑む山寨メーカーも現れた。
山寨の王「ニーチェ」
その中で、「山寨の王」と呼ばれたのが尼采(ニーチェ)というメーカーだ。創業者の盧洪波は、1973年に四川省の農家に生まれた。経済系の高等専門学校を卒業後、地方公務員となった。辞職後、農家の栽培に必要な菌糸や種子を販売する店舗を開き成功する。その資金を元に、炭鉱を買収したり、保健薬品の販売をしたり、商売を広げていった。
その流れで、「携帯電話が儲かる」という話を聞いて、携帯電話の業界に参入をしたという経歴の持ち主だ。
中国製のiPhone4で成功する
このニーチェが製造販売したのは、当時中国で大人気となっていたiPhone4のそっくりケータイだった。iPhone4のアップルストアの販売価格は4000元(約6.8万円)を超えていた。当時の中国は、ようやく改革開放の成果が一般市民にも享受され始めたばかりであり、普通の人にはiPhone4はおいそれと買えない。この時に、中国人にとってiPhoneは「あこがれのブランドケータイ」になった。
つまり、iPhoneっぽいものを発売すれば、儲かることが目に見えていた。そこでニーチェはiPhone4そっくりのスマートフォン「ニーチェI8」を399元(約6800円)で発売した。
わずか10元しか利益がない中国製iPhone4
ニセモノのフェイクスマホというわけではない。新聞広告では「iPhone4に酷似した国産スマホ。わずか399元で販売。信じられますか?」という広告を打った。そして、なぜ安く販売できるのかという問いには、「ニーチェは1台売って、わずか10元しか儲からないのだ」と説明した。製造コストが289元、会社の運営コストが100元で、合計389元。399元で売っても10元の利益しかでないと説明した。
南京で発売をしたが、店舗には長い行列ができ、最初の1ヶ月で300万台が売れた。そして、半年後には全国に1000店舗を展開し、深圳に3つの直営工場を作り、1つの工場に製造委託をするようになった。生産ラインは11にも増えた。
「わずか9元の利益」のライバル登場
しかし、当然、すぐにライバルが登場する。四川省で「科風」というメーカーが登場し、iPhone4そっくりのスマホを398元で販売し、「わずか9元しか儲けていない」という宣伝で売り始めた。同様のメーカーが雨後の筍のように生まれてくる。
この頃、日本では「iPhoneの偽物が中国で広く販売されている」という報道が相次いだが、いずれのメーカーも自社のスマホをiPhoneと称して流通はさせていない。機能や品質の面では、当然ながらiPhoneとは比べものにならないほど低い。購入する人もそこは分かっていて購入していたのだ。
ニーチェの販売店はフランチャイズを主体に6000軒となり、創業者の盧洪波はメディア「企業家観察」が選ぶ2011年の「10大先進企業家」の一人にも選ばれた。この頃、盧洪波は社内で、「2年以内に小米を打ちまかし、ジャック・マーとポニー・マーをうちの社員とし、3年でアップルを超える」と豪語していたという。
ニーチェの嘘を暴露した調査報道
2011年6月に、メディア「毎日経済新聞」は、「399元のニーチェ。10元の利益調査」と題する調査報道記事を掲載した。10元の利益という宣伝は本当なのかを調べた内容だ。提携する製造工場を潜入取材すると、工場は「ニーチェI8」を210元から250元の価格でニーチェに納入していることが判明したという内容だ。
ニーチェは新機種「ニーチェdada」を発売した。価格は同じく399元。これを製造原価は799元のものを399元で販売していると宣伝したが、もはや真に受ける人はいなくなった。
中国が豊かになるとともに消えた山寨携帯
その後、iPhone6の時代となり、中国人の豊かさも一般市民に回り始め、iPhoneもじゅうぶん買えるようになっていった。価格よりも品質や機能を重要視するようになっていった。
この辺りで山寨メーカーはほぼ消え、小米(シャオミ)のように、機能、品質、価格のバランスを取れる正規メーカーの時代になる。1973手機館は、中国の携帯電話の歴史に、ニーチェのことは書き記す価値はないかもしれないと言う。しかし、高価だったスマホが中国で普及するステップとなったことは事実で、だからこそ、1973手機館はニーチェの顛末を紹介している。ニーチェは、一時代を築いた徒花であり、よくも悪くも「山寨の王」なのだ。