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偽ブランドスニーカーで有名になった莆田市。自分で自分の首を絞めることになる

福建省莆田市と言えば、偽ブランドスニーカーで有名だ。その町が、悪評を払拭してオリジナル品で勝負しようとしている。しかし、道は険しいと毒sir財経が報じた。

 

生き残りを偽ブランドに賭けた莆田市

福建省莆田(プーティエン)市は、靴の都として有名だ。それも、偽ブランドスニーカーの生産地として有名で、莆田のスニーカーと言えば、ナイキやアディダスの偽ブランド品の代名詞にもなっていた。

莆田市が靴の都市になったのは、1980年代にリーボックの台湾生産工場が移転してきたことに始まる。その後、スニーカー工場ができ始め、ナイキやアディダスの受託生産を始めるようになった。

これが大きく変わったのが、90年代のアジア通貨危機だ。スニーカーの発注量が一気に減り、莆田市の靴工場の多くが倒産した。中には、技術を生かしてオリジナルのブランドを設立して販売しようとする試みも行われたが、市場経験が不足しているためあまりうまくいかなかった。

▲80年代にリーボックの生産工場ができたことで、莆田市は靴の都の道を歩み始めた。

 

本物と変わらないスーパーA偽物品

その中でうまくいったのが、偽ブランド品をつくって販売するという方法だ。国際ブランドの受託生産を行っていたため、本物をつくるサプライチェーンが確立しているし、生産する技術がある。1000元で販売されているナイキのスニーカーを製造するコストは200元程度で、これを半額の500元弱で販売する。ナイキに納品をしたら、工場は一足数十元の利益しか出ないが、偽物を販売すれば300元近い利益が出る。誉められた方法ではないというものの、最初は生き延びるためにしかたなく始め、後には儲かるからやめられなくなってしまった。

模倣度の高い超A級品は、正規のパーツを使い、正規の生産工場が生産をするため、本物と見分けることはほぼ不可能。それが半額以下で買えるため、中国だけでなく世界中で売れた。

ブランドは新しい技術開発をすることで対抗した。旧来の技術は、莆田市の工場は習熟をしているため、簡単に模倣をすることができる。しかし、新技術を開発すれば、それは簡単には模倣できない。莆田市の台頭は、スニーカー科学の進化を促した面もある。

▲靴の生産地として有名な福建省莆田市。偽ブランドスニーカーが有名になったしまったに、今、苦しんでいる。

 

自分で首を絞めることになった莆田

しかし、このようなグレーなビジネスはいつか限界を迎える。莆田の偽ブランドスニーカーはすっかり有名になってしまい、オリジナル製品をつくっても、莆田製だと知られると、多くの人がどこかのブランドの模倣品なのだと思うようになった。模倣品だと思われるため、コストをかけて高級なスニーカーをつくっても、安くしないと売れない。

一時、儲けた偽ブランドスニーカーは、結局、自分で自分の首を絞めることになっている。

 

偽ブランドから脱却を図る莆田

現在、莆田はこの失敗から抜け出そうと模索をしている。2021年には「莆田靴」という商標を取り、一定基準を満たす莆田製の靴は、このブランド名を使うことができるようにした。消費者には、莆田靴はオリジナル商品であり、品質が高いものであることをアピールしている。

さらに、地元工場が集まって研究所を設立し、そこで技術開発を行い、すでに147件の特許を取得している。この特許技術は、研究所設立のメンバーは自由に利用することができる。

また、自ら、偽ブランド品の取り締まりを行って、市場監督管理局、公安と連携して、このような違法ビジネスの摘発を積極的に行っている。

▲莆田靴という共同ブランドを設立したが、偽ブランドのイメージが強く、適正価格で販売することが難しい。

 

偽ブランドに手を出さなかった晋江

しかし、莆田が歩もうとしている道は険しい。同じ福建省の晋江市も有名な靴の都で、莆田と似たような歴史を持っている。晋江もアジア通貨危機の時に多くの工場が倒産したが、違ったのは偽ブランド品の生産には走らなかったことだ。苦しくても、オリジナル商品を生産することにこだわった。

その成果が現在につながっており、安踏、特歩、361°、鴻星爾克など国内でよく知られるスポーツ/スニーカーブランドが登場している。

莆田はようやく正しい道を歩き始めたが、晋江に追いつくにはまだまだ長い時間が必要になる。

▲偽ブランド品に関わらなかった晋江市からは、現在中国で大手のシューズ、スポーツメーカーが生まれている。

 

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