コロナ禍で急速に盛り上がるライブコマース。しかし、ライブコマースの世界には「女王」と呼ばれる桁外れの配信主が存在する。1日ライブコマースをやれば、マンションが買えると言われる薇娅(ウェイヤー)だ。その人気の秘密は、芸能人などとは違い、商品を見る目に対する信頼だと霓虹風筝的人物長廊が報じた。
失敗を恐れたら必ず失敗する。西安に移る2人
2008年、北京五輪が近づいてくると、北京の物流が滞り始めた。テロ対策などで検査が厳しくなり、五輪関係の物流が優先されたためだ。また、海外の服飾ブランドが北京に直営店を開くようになり、次第に2人の店の売上も下がっていった。
2人は先のことを考え、西安に移転することにした。6年間商売をした店舗を売却し、西安で一から店を育てることにした。「私はいつも思いついたらすぐ行動します。失敗は恐れません。遅くなることを恐れています。失敗することを恐れていたら、必ず失敗してしまうものです」。
西安でも大きな成功をする薇娅
西安でのやり方は、北京でのやり方そのままだった。薇娅自身がマネキンとなり、最先端の服飾を着て、来店客に見せる。西安でもすぐに薇娅は話題になって、店は初日から想定以上の売上をあげた。仕事は順調で、2人は正式に結婚をし、女の子も生まれた。2人にとって最も平穏で幸福な時代だった。
西安に次々と7店舗の支店を開き、不動産にも投資をした。完全な成功者だった。それでも薇娅はまだ20代だったのだ。
▲西安でも北京と同じ手法で成功をする。支店も出し、20代で成功者と呼ばれるようになっていた。
スマートフォンの登場が、薇娅の転身の契機となる
2010年頃、薇娅は不思議な来店客を見かけた。若い女性で、店内の商品をじっくりと見ている。それだけで服飾に強い興味があることがわかる。しかし、普通であれば、薇娅に商品について尋ねてきたり、価格交渉をしてくるものだ。その女性はまったくそういうことをせずに、一人で黙々と商品を探している。
薇娅が不思議になって観察をしていると、その女性はバッグからスマートフォンを取り出し、何か操作をすることを繰り返している。薇娅にもそれが何をしているのかがわかった。店の商品と同じものをECサイトで検索をして、どちらが安いかを調べているのだ。
ネットショップ!薇娅はすぐに閃いた。夫の董海峰にその話をすると、夫は夫でECの進出を考えていた。これからはECの時代で、アリババの淘宝網(タオバオ)に店舗を持ちたいと考え、さまざまな準備をしていたという。
仕入れ先が集中している広東省に移転
EC店舗を開くのであれば、場所はどこであってもいい。北京である必要はないし、西安である必要もない。服飾の仕入れ先が集中している広東省でEC店舗を運営するのがいちばん効率がいい。
2人は西安の7店舗をすべて売却し、そのお金を持って広州に引っ越した。
ネット小売に失敗し、無一文寸前に
薇娅の本名は、黄薇だったが、この時、タオバオのアカウントを取得するときに初めて「薇娅」という名前を使った。自分の名前の一文字を使い、洋風であり、中国風でもあるアカウント名だ。この薇娅という名前が後に、有名になっていく。
しかし、薇娅のタオバオ店舗はうまくいかなかった。人生初の挫折だった。まったく商品は売れず、570万元(約9300万円)もの赤字を出してしまった。それを埋めるために、マンションを2つ売ったが足りない。最も厳しい時期は、手元に3万元のお金しか無くなってしまった。無一文一歩手前まで追い込まれてしまった。
薇娅の強みが打ち消されてしまったネット店舗
薇娅はECを甘く見ていたのかもしれない。広州に着くなり、30人もの人を雇い、EC店舗運営会社を設立した。毎週30万元も使い広告を打った。しかし、売れる商品はごくわずかでしかなかった。
それもそのはずだった。すでにタオバオには無数の店舗が存在し、薇娅たちと同じように広東の卸売市場で商品を仕入れ、タオバオで販売する業者がたくさんいた。2人のEC店舗はそのようなライバルたちの中に埋もれてしまっていたのだ。
北京や西安でうまくいった理由は2つあった。ひとつは「広東から最先端の服飾を仕入れて売る」というスタイルの小売店は周辺にはまったく存在しなかったことだ。競争がないので市場を独占することができた。しかし、タオバオでは無数のライバルがいる。
もうひとつは、薇娅自信がマネキンとなって商品を着て、それが大きな宣伝効果を生んでいたことだ。薇娅のようにかっこよく着こなしたいという若い女の子たちが、薇娅の店の商品を買い、着こなし方を薇娅に尋ねる。EC店舗では、このプロセスがまったくなかった。
▲タオバオでライブコマースが始まり、薇娅の強みが活かせる販売手法が取れるにようになり、再び成功する。
ライブコマースで薇娅の強みが活かされた
そこにタオバオライブというライブコマースが始まった。これであれば、薇娅が登場して、店の商品を実際に着て、着こなし方をアドバイスすることができる。薇娅はすぐにタオバオライブに飛びつき、北京や西安で行なっていたのと同じように、ウェブカメラの前で商品を着て、ファッションを語った。「流行の商品を勧めたりはしない。私とお客で流行をつくっていくのだ」という薇娅は、あっという間にタオバオライブで最も視聴者を集め、売上を上げるライブ配信主になっていった。それ以来、薇娅はライブコマースの女王として記録を更新し続けている。
▲薇娅と支えるチームメンバー。自分たちの強みは、自分たちで欲しくなる商品を紹介すること。それがブレないために、多くの視聴者から信頼をされている。
創業時からブレないことが、薇娅の成功の秘密
薇娅は、自分が扱う商品だけでなく、他店が扱う商品も紹介するようになり、商品も服飾品から宝飾品、日用雑貨、食品と広げている。薇娅のチームには、毎日、無数の商品が持ち込まれ、特別手数料オファーも提示される。年間、2000以上の商品が持ち込まれるという。しかし、そのうち、薇娅が実際に扱うのは300程度でしかない。「商品を選ぶとき、ライバル商品の種類、商品の性能価格比、ライブ配信での紹介料なども考慮しますが、いちばん大切にしているのは、自分自身が買いたくなるかどうかです」。
薇娅は自分の強みは消費者からの信頼であることを知っている。高額のオファーに目が眩み、意にそぐわない商品を紹介した途端に消費者の信頼を失い、薇娅の販売力が消え失せてしまうことを知っている。実際、消えていった網紅の多くが、高額オファーに惑わされ、消費者の信頼を失ったことによる。
自分はスターではなく、メディアにすぎない。視聴者と一緒に流行を作っていく。そこを外さないことが、薇娅が今日でも圧倒的な販売力を持っている理由だ。