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ライブコマースの女王「薇娅」。その影響力の秘密は、商品を見極める目(上)

コロナ禍で急速に盛り上がるライブコマース。しかし、ライブコマースの世界には「女王」と呼ばれる桁外れの配信主が存在する。1日ライブコマースをやれば、マンションが買えると言われる薇(ウェイヤー)だ。その人気の秘密は、芸能人などとは違い、商品を見る目に対する信頼だと霓虹風筝的人物長廊が報じた。


ライブコマースの女王「薇

中国では、新型コロナの感染拡大をきっかけに、ライブコマースが重要な小売りチャンネルになってきている。ライブ配信を使い、商品を紹介し、そのライブ配信画面から直接商品をEC注文できるという仕組みだ。

そのライブコマース配信主の第一人者が、薇(ウェイヤー)だ。薇は、アリババの淘宝網タオバオ)ライブで、数々の伝説を作ってきた。2019年の11月11日の独身の日セールは、わずか1日のライブコマースで27億元(約410億円)の商品を売り上げるという記録を作っている。薇の収入は商品価格の20%前後なので、1日の稼ぎは約60億円になる。よく「薇は1日ライブコマースを行うことで、マンションが1つ買える」と言われるが、それが嘘ではないことが証明された。

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▲ライブコマースの女王「薇」。2019年の独身の日には1日で約410億円の商品を売り上げた伝説をつくっている。

 

の強みは、商品を見る目への信頼感

は、中国人であれば誰もが知るネットの人気者=網紅(ワンホン)だが、タレント的な人気だけでこれだけの販売力があるわけではない。服飾品を中心に、女性が好む商品を販売し、多くの女性から「薇が紹介する商品なら間違いない」という信頼を得ているのだ。カジュアルファッションについても、さまざまな提案をし、薇発の流行を起こし、ファッションリーダーとしても認知されている。

芸能人がライブコマースをする「明星帯貨」も盛んに行われているが、薇の売上と比べると桁違いに小さい。芸能人の場合、その芸能人のファンは商品を熱心に買ってくれるが、ファンでない人は買ってくれない。しかし、薇は多くの人から「商品を見る目利き」での信頼を得ているため、薇が好きであろうと好きでなかろうと商品を買ってくれる。

の強みは「商品の目利き」であり、それが消費者から信頼をされていることだ。

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▲薇と支えるチームメンバー。自分たちの強みは、自分たちで欲しくなる商品を紹介すること。それがブレないために、多くの視聴者から信頼をされている。

 

北京で芸能界に入ることを夢見ていた少女

は、このような地位をどうやって築いてきたのだろうか。薇の本名は、黄薇(ホワン・ウェイ)。1985年生まれの80后(バーリンホウ)だ。80后は、それまでの中国人とは価値観が異なり、現代の中国を作ってきた世代だ。両親は服飾関係の仕事をしていた。

両親が経営していた服飾工場は、安徽省廬江にあった。現在は合肥市に編入されたが、当時は田舎の小さな町にすぎなかった。両親は忙しかったため、薇は乳母に育てられた。歌を歌うのと踊りを踊るのが好きな女の子だった。

少女にありがちなこととして、薇も、このような田舎町ではなく、都会に行って歌か踊りで身を立てたいという夢を抱くようになった。薇は、大都会である北京に行き、そこで芸能界に入ることを夢見るようになった。

 

16歳で芸能学校に入学、北京での華やかな青春

偶然にも、薇の両親は、北京に移転して、服飾関係の商売を始めることを決断した。薇に都会の質の高い教育を与えてやりたいということもあったようだ。16歳の薇は、迷わず北京の芸能学校に入学をした。

の交際範囲は、芸能学校だけでなく、役者のたまご、劇作家のたまごなどにも及んだ。そこで、董海峰(ドン・ハイフォン)という大学生と知り合い、恋をした。薇と董海峰は、その後結婚し、二人三脚で人生を歩んでいくことになる。

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▲薇と董海峰。2人は、北京、西安セレクトショップを開いて成功する。さらに、薇はライブコマースでもより大きな成功をした。

 

結婚と芸能界入りを反対する両親

2003年、18歳になった薇は、董海峰と正式に結婚をしようとした。しかし、両親から猛反対される。両親が反対をした気持ちもわかる。芸能界などという不安定な世界に飛び込もうとし、しかもまだ学生の身分で結婚をして、どうやって食べていけるのかを心配した。また、両親は、そもそも薇が芸能界に進むことに反対だった。明朗快活で素直な薇は、芸能界のどろどろとした人間関係に傷つくことになるだろうと感じていた。本音を言えば、薇にも親の服職業を手伝ってほしかったのだ。

 

SARSで閑古鳥が鳴く服飾卸市場に逆張り

当時、北京で最も人気のある服飾関係の売り場は、北京動物園の近くにある服飾卸売市場だった。大型のビルの中に、一間間口の小売店が大量に入っている。良質の品物から劣悪な偽物商品までが売られている。販売価格はあってないようなもので、すべては顧客と店主の値段交渉で決まる。常に活気に満ちている卸売市場だった。

ところが、2003年に中国でSARSが流行をする。人々は感染を恐れ、外出をしなくなり、街から人が消えた。これにより、ECを生業にしたアリババや京東が頭角を表してくることになる。

北京動物園服飾卸売市場でも買い物客がいなくなった。経営ができなくなり、撤退をする店舗も現れるようになった。平常時であれば、北京動物園服飾卸売市場に出店をしたくても、空きがないために簡単には入居できない。しかし、今であれば、空きが出て出店ができる。

両親が芸能界に進むことを反対し、服飾業へ進むことを望んでいるのであれば、これは大きなチャンスだと薇は考えた。しかし、両親は反対をした。こんな難しい時期に、素人同然の薇が店を開いてもうまくいくわけがないと感じたのだ。

しかし、薇を止める手立てはなかった。恋人の董海峰は、6000元(約9.6万円)の貯金をはたき、卸売市場の店舗の権利を買った。しかし、わずか6平米しかない小さな店だった。ここから、薇と董海峰の人生が大きく開ていくことになる。

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▲薇が最初に店を開いた北京動物園服飾卸売市場。目の前は、大学生の通学路となっていた。

 

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北京動物園服飾卸売市場の他の店舗。あまり質のよくない安価な商品が大量に並べられているというのが一般的だった。

 

自分をマネキンにすることで成功する薇

2人は、若い女性向けの服飾を扱うことにした。ひとつは、薇自身がファッションが好きで、そのセンスは芸能学校の同級生たちからも一目を置かれていたことがある。

もうひとつは、この卸売市場は、全世代向けの服飾が販売されていたが、若者向けにも適した立地であることがあった。近所には、北京外国語大学、北京舞踏学院、中央民族大学などがあり、卸売市場は駅から大学までの通り道にあり、目の前を大学生たちが毎日行き交っている。しかも、いずれも、中国の大学の中では垢抜けた人たちが通う大学で、ファッション性の高い服飾品を販売すれば、感度の高い女子大生たちが買ってくれるのではないかと目論んだ。

董海峰は、流行の発信源は芸能人だと考えていた。歌手や女優が着ているのと同じ服をファンたちは着たがる。そこで、人気のある芸能人が着ている服のブランドを調べて、広東省の服飾卸売市場を回って、同じブランドの服飾を仕入れ、それを北京で販売するということを行なった。

しかし、成功の鍵は薇だった。董海峰が仕入れてきた服を、薇の視点でコーディネートをし、自分でマネキンとなって着た。それで接客をし、卸売市場の中を歩き回った。もともと芸能界を志望するほどルックスのいい薇であったため、すぐに話題となり、2人の店は女子大学生たちであふれることになった。

開店してわずか3ヶ月で、10万元(約160万円)を売り上げた。わずか6平米の小さな店で、当時の貨幣価値を考えると、驚異的な売上だった。

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北京動物園服飾卸売市場の店舗で販売されていた商品。当時としては最先端のファッションで、近隣の女子大生が薇の真似をした。

 

芸能界でも成功の兆しが見えた

2人の店は、若者に絶大な人気を誇るカリスマ店として、たびたびメディアで取り上げられるようになり、薇もちょっとした有名人になっていった。その中で、安徽電子台の人気コンテスト番組「スーパー勝利者」の司会者である劉剛と知り合った。劉剛は、薇のスター性を見て、コンテストに出場すべきだと強く勧めた。

は、二人組でコンテストに参加し、なんと優勝してしまう。薇の芸能界に対する憧れが再燃した。テレビ番組やCMへのオファーも舞い込むようになった。

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▲安徽電子台の人気コンテスト番組「スーパー勝利者」に出場した薇(左)。優勝をして芸能界の仕事のオファーも舞い込んだが、すぐに服飾販売の仕事に戻っている。

 

芸能界をすぐに引退、服飾販売専念

しかし、薇はすぐに芸能界の仕事をやめてしまい、北京動物園の卸売市場に戻ってきた。薇は当時のことを振り返って、こう語っている。「何がしたいのかはまったくわからず、目先のしなけれいけないことしかわからない状態でした。私の行動は、すべて他人に決められてしまい、すべての行動に人の目があります。私は私でなくなってしまったのです。それで、この世界を離れて、元の居場所に戻らなければならないと思いました」。

このコンテストに参加した人たちの中からは、李宇春、張靚穎などのスターが生まれている。薇は、短い芸能活動期間を経て、自分の一生の仕事を見極めた。

しかし、2008年の北京五輪が近づくにつれて、店舗の売上が下がり始めた。薇が初めて直面した困難だった。

 

明日に続きます。