中国テック業界で最も数奇な人生を送ったのはアリババの彭蕾だ。夫がアリババの起業に参加をしたことからアリババに入社し、最初の月給は500元だった。それが、ジャック・マーに信頼されることにより、アリペイを率いることになる大きな成果をあげ、アントフィナンシャルが上場をすれば富豪になることが確定していると華商韬略が報じた。
月給500元から金融女皇へ
中国のテック業界で、最も数奇な人生を送ったのは彭蕾(ポン・レイ)であることは間違いないだろう。まったくの偶然から、テック業界に飛び込み、最初の月給は500元(約7900円)だった。それが今では「金融女皇」と呼ばれ、スマホ決済「アリペイ」を運営するアントフィナンシャルが上場を果たせば、富豪の仲間入りになることが確実になっている。
▲「女性版ジャック・マー」とも呼ばれる彭蕾(ポン・レイ)。ジャック・マーに直言できる唯一の女性で、信頼が厚い。アリババの最前線に投入され続け、期待以上の成果を生み出してきた。
夫がジャック・マーに心酔。動き始めた彭蕾の運命
彭蕾は、1973年9月、重慶市で生まれた。杭州商学院(現浙江工商大学)に進学し、卒業後は浙江財経学院で講師をしていた。そこで、同僚講師の孫彤宇(スン・トンユー)と恋愛をし結婚した。これにより、彭蕾の運命は大きく動いていくことになる。
夫の孫彤宇は、馬雲(マー・ユイン、ジャック・マー)という男と知り合い、教師を辞めてジャック・マーが創業した「中国黄頁」という会社に飛び込んでしまった。ジャック・マーは大きな夢をもった傑物だが、当時は詐欺師と見られることも多かった。なぜなら、杭州という地方都市の元教師たちが集まった烏合の衆にすぎないのに、平気で「私たちは中国で最大級のウェブを構築できる」とか「近い将来、ビジネスはすべてインターネットの中で行われるようになる」などと口にし、まるで自分が歴史上の偉人であるかのように振る舞っていた。夫の孫彤宇は、この男に心酔しているようだった。
▲アリババを創業するにあたって、事業の説明をするジャック・マー。具体的な事業計画はなく、情熱だけがあった。アリババ創業に参加したメンバーは「アリババ十八羅漢」と呼ばれている。
夫に従いアリババ十八羅漢となった彭蕾
ところが、1997年の年末に、夫の孫彤宇は、杭州を離れ、北京に行くと言い出した。ジャック・マーが北京に行き、対外貿易経済合作部の依頼でウェブ制作の仕事をするというのだ。孫彤宇はそれについていきたいという。
その話を聞いた彭蕾は、すぐに浙江財経学院の講師を辞職して、夫についていくことにした。しかし、このジャック・マーの北京での活動は結局うまくいかず、1年ほど北京で暮らした後、全員が杭州に帰ってくることになる。
杭州に帰ったジャック・マーはあきらめなかった。再び起業をするという。会社名はアリババという不思議な名前だった。孫彤宇と彭蕾の夫婦もこの起業に参加した。後に、ジャック・マーを含めた18人の創業メンバーは「アリババ十八羅漢」と呼ばれるようになる。この時の彭蕾の月給は500元だった。
▲創業時のアリババの記念写真。前で寝そべっているのがジャック・マー。前列右から2人目の赤いセーターの女性が彭蕾。アリババに参加したのは、まったくの偶然からだった。
ジャック・マーに直言できる唯一の女性
彭蕾は、初期のアリババで経理、総務、人事の仕事を受けもったが、次第にジャック・マーに意見を言う役目を担うようになっていた。アリババ十八羅漢のメンバーの多くはジャック・マーに心酔をしていたが、彭蕾はそうではなく、夫に付き従っただけだった。そのため、ジャック・マーにとっては耳の痛いことでも平気で口にすることができ、ジャック・マーもそれを苦笑いしながら歓迎をしていた。
彭蕾はこう語っている。「ジャック・マーはとても気が弱い人です。ジャック・マーは私を批判するとき、励ましの言葉を使ったり、遠回しに批判したりします。私は、彼とは性格が真反対なので、ストレートに彼を批判してしまうんです」。
「女版ジャック・マー」「アリババで最高権力を持つ女性」「アリババのアネキ」などと彭蕾は呼ばれるようになるが、その中でも最も適切な呼び方は「ジャック・マーが信頼している女性」だろう。
▲彭蕾とジャック・マー。彭蕾はジャック・マーに最も信頼されている女性だと言われている。
「アリペイの葬式を出すことになる」ジャック・マーの怒り
2010年のアリペイの年会は荒れた。業績がいい時は、音楽が流れ、出し物が披露される楽しい会だが、この年は違った。音楽はなく、怒りに満ちたジャック・マーの顔があった。「この問題を軽視すると、来年の今日は、アリペイの葬式を出すことになる」。
ジャック・マーは、当時のアリペイの総裁だった邵暁鋒の責任を追求した。邵暁鋒は警察出身の屈強な男性だったが、ジャック・マーのあまりの追求の厳しさに、従業員に涙を流す姿を晒すことになった。
当時のアリペイは、オンライン決済の仕組みとしてすでに2.7億人が使うようになり、1日の決済額も12億元になっていた。
しかし、決済をするには、本人確認のステップが多く、最高で7段階も本人確認のステップを経なければならなかった。銀行が発行するUSBドングルをPCに挿したり、銀行が指定した10桁もある確認番号を入力しなければならない。これはすべて銀行が要求をしたものだが、アリペイ側はそれをそのまま受け入れていた。そのため、決済完了率は60%という低さだった。多くの人が、途中で嫌になって決済を中断してしまうのだ。ジャック・マーの怒りは凄まじく「アリペイは腐っている」とまで発言した。
素人同然の彭蕾がアリペイ総裁に指名される
この時、ジャック・マーがアリペイの新しい総裁に指名をしたのが彭蕾だった。彭蕾はテクノロジーの専門家でもなく、金融の専門家でもない。しかし、問題の本質をすぐに見抜いた。
それまでのアリペイでは、決済金額を増やすことが最重要のKPIになっていた。そのため、決済完了率が低い問題は優先順位が低かったのだ。彭蕾は最重要のKPIを決済完了率に変えた。これにより、決済ステップを減らす議論が始まり、最終的にパスワードだけで決済が完了する「快捷支付」が生まれてきた。
彭蕾の素人目線から生まれたキラーサービス「余額宝」
彭蕾はテクノロジーに関する知識はなく、金融に関する知識もない。しかし、顧客である消費者の目線を持っており、専門家からは笑われるようなことであっても、実行する突破力を持っていた。
そこから生まれたのが「余額宝」(ユアバオ)と呼ばれるアリペイの成長を決定づけるサービスだ。これは1元から始められる投資信託。24時間いつでも引き出すことができる。最高で年利7%近い利息がついた時期もある。つまり、アリペイにお金を預けておくだけでお金が増えていくのだ。投資信託は銀行でも始められるが、窓口に行かなければならず、まとまった資金がなければ始めることができず、引き出すときは数営業日かかってしまう。それが1元から、24時間、スマホだけで預けたり、引き出したりできる。しかも、余額宝は、アリペイが資金をまとめて銀行に再投資をするために、個人が銀行で投資信託をするよりもはるかに高い利息が還元される。
これも彭蕾の素朴な疑問から始まった。「アリペイは資金を銀行に預けておくと利息がつく。でも、アリペイの利用者はアリペイにお金を預けても利息はつかない。これはフェアじゃないんじゃないの?」というものだ。
余額宝のプロジェクトが始まると、社内からは反対する意見もあった。「アリペイの利益が減る」というものだった。しかし、彭蕾は「お客の利益が第一。お客に有利になるプロジェクトに問題は存在しない」と言って一蹴した。
ジャック・マーは、常々「お客の財布に100元あったら、それをどうやって支払ってもらうかと考えるのではなく、その100元をどうやったら200元に増やしてあげることができるかを考えろ。それがアリババ流だ」と語っていて、彭蕾はまさにこの言葉を素直に実行をしている。
アリババの最前線に投入される彭蕾
この余額宝によって、アリペイはWeChatペイに大きく差をつけ、最も大きなシェアを握るスマホ決済になった。そして、アリペイは、2014年10月にアントフィナンシャルという企業になり、彭蕾は、アントフィナンシャルの会長CEOとなる。
さらに、2018年には、アントフィナンシャルを離れ、シンガポールを拠点に東南アジア6ヵ国でECを展開するLazada(ラザダ)のCEOになる。ラザダは、アリババのECを東南アジア全域に拡大する戦略上きわめて重要な企業だ。
ジャック・マーは、アリババの未来を切り拓く最前線に、彭蕾を投じていく。そして、テクノロジーも知らない、金融も知らない、EC実務も知らない彭蕾は、課題を見抜いて改善し、ジャック・マーの期待以上の働きをする。
この彭蕾のアリババでの初任給は月給500元だった。それが今では富豪になろうとしている。そのことに異論を唱える人はアリババにはいない。