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利用者数でアリババを抜いたソーシャルEC「拼多多」。その陰には元アリババの軍師と呼ばれた男

2021Q1に、年間アクティブユーザー数で、アリババ(淘宝網+天猫)の8.11億人を抜く8.24億人となり、「中国で最も利用されるEC」の座を、アリババから奪った拼多多(ピンドードー)。その躍進の陰には、元アリババの軍師、孫彤宇の存在があったと商将錦嚢が報じた。

 

アリババ十八羅漢の一人、孫彤宇

孫彤宇(スン・トンユー)は、ただのアリババの元従業員ではない。アリババ成立以前の「中国黄頁」の時代から、創業者の馬雲(マー・ユイン、ジャック・マー)の片腕だった人物だ。

孫彤宇は、1992年に浙江工商大学を卒業後、杭州市のある広告会社に入社をした。その営業で、起業したばかりの中国黄頁という企業を訪問した。応対したのはジャック・マー本人だ。しかし、その時は、中国黄頁は起業したばかりで、資金もなく、事業もどのように広げいくかのプランもまだなかった。そのため、広告はまだ必要としていなかった。

後日、ジャック・マーは孫彤宇に直接電話をかけてきて、会ってほしいと言う。孫彤宇は、仕事の話だと思い快く会った。すると、ジャック・マーは中国黄頁のビジネスプランというより、自分の夢を語り、最後に孫彤宇に中国黄頁に加わってくれないかと言う。孫彤宇は、ジャック・マーの描く夢の大きさに惚れ込んでしまった。まだ、事業も始めていない中国黄頁に転職をしてしまったのだ。

 

北京行きに従った孫彤宇夫妻

残念ながら、中国黄頁のビジネスはうまくいかなかった。すると、ジャック・マーは北京にいくという。中国対外貿易経済合作部の請負仕事で、貿易関係のサイトを構築する仕事があるのだという。

孫彤宇は、ジャック・マーに従って北京に行くことにした。すでに結婚をして、妻もいるため、妻も同行させ、ジャック・マーの会社に入社をさせた。この妻が、彭蕾(ポン・レイ)で、後にアリペイを成長させ、ジャック・マーの右腕の存在となる女性だ。

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▲アリババ創業時の記念写真。アリババ十八羅漢と呼ばれる18人のメンバーが中心になってスタートした。オフィスはジャック・マーの自宅。寝そべるのがジャック・マー。前列右から2番目の女性が彭蕾、その左上の眼鏡の男性が孫彤宇。

 

タオバオ成長の立役者、孫彤宇

しかし、北京での仕事はジャック・マーの夢の計画には合っていなかった。1年でジャック・マーは仕事を放棄し、杭州市に帰って、再度起業をすることを決意する。この新しい会社がアリババで、その創業メンバー18人は「アリババ十八羅漢」と呼ばれる。孫彤宇と彭蕾の夫妻も、このアリババ十八羅漢のメンバーだ。

このアリババが2003年にCtoC型EC「淘宝網」(タオバオ)の事業をスタートさせ、これがアリババを急成長させる。

タオバオの責任者を任されたのが孫彤宇だ。孫彤宇は、売り手と買い手が互いに相手を信用できないため、売買が成立しないという問題を解決するため、支付宝(ジーフーバオ、アリペイ)という仕組みを考案した。タオバオの中のみで通用するポイント制度で、購入者はこのアリペイを現金で購入しておき、ECでの決済はアリペイを使って行う。アリペイを受け取った販売者は、商品が届いて問題がないことを確認されてから、このアリペイの現金化ができるようになる。万が一、商品に問題があった場合は、販売者から購入者にアリペイを戻すことで、売買の信用問題を解決した。

さらに、米eBayが国内のEC「易趣網」(イーチネット)を買収し、中国に進出をし、大手サイトの広告を使い、シェアを伸ばしていた。無名のタオバオは、小さなサイトや掲示板といったところに広告を出すゲリラ戦で戦った。そして、強敵eBayを退け、タオバオを中国No.1のECサイトに成長させた。孫彤宇はアリババに大きな貢献をしたのだ。

 

マネタイズを図った淘宝商城

2008年にアリババは、「淘宝商城」という新しいサービスをスタートさせた。タオバオ本体は、出店料も無料で、販売手数料も無料だ。収入源は販売業社の広告出稿や、コンサル手数料ぐらいしかない。また、ほぼ誰でも自由に出品をできるため、粗悪品や偽ブランド品も横行していた。

このような問題を解決するため、出店料が必要になるが、審査を行い、消費者が安心をして商品を購入できるプレミアECを増設した。後に、この淘宝商城が、現在の天猫(Tmall)となる。淘宝商城では、11月11日の大セール「独身の日」が行われるようになり、さらにアリババを成長させることになった。

 

ジャック・マーとの路線対立

しかし、この時、ジャック・マーと孫彤宇の間で衝突があった。タオバオは誰でも参加できるECだが、淘宝商城の出品業社の多くは大手販売店やブランド直営で、経済的な余裕のある都市住人を対象にしている。アリババの戦略は、客単価をあげることで流通総額を伸ばしていくというものだ。

孫彤宇は、2つのECはねらいがまったく異なるECなのだから、運営を分離して、それぞれに異なる戦略を展開していくべきだと主張した。しかし、ジャック・マーは運営は統一すべきだとした。ジャック・マーの頭の中では、淘宝商城こそがアリババの主力事業で、タオバオはその淘宝商城に入れる優良業者を集めるための二軍扱いだった。そのタオバオも、淘宝商城に引きずられて、低価格商品や粗悪品が淘汰されることを期待していた。粗悪品しか作れない製造業者、低価格商品しか購入できない購買力の弱い消費者が排除される方向に持っていこうとした。

この衝突により孫彤宇はアリババを辞職することになる。

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▲孫彤宇が辞職した後、ジャック・マーはタオバオの運営を、張勇(ジャン・ヨン)に任せる。張勇は、淘宝商城を天猫(Tmall)と改名し、徐々に運営を分離していった。張勇は、11月11日の独身の日セールを企画し、天猫を大成功させる。その功績により、現在、アリババのCEOになっている。

 

拼多多創業者に投資をした4人

2007年、グーグルのエンジニアであった黄(ホワン・ジャン)が中国に帰国をして起業をした。事業はECとゲーム開発だった。この時、エンジェル投資をしたのが、歩歩高(ブーブーガオ)の創業者、段永平と網易(ワンイー、ネットイース)の創業者、丁磊、順豊(SF Express)の創業者、王衛と、それに孫彤宇の4人だった。

にとって、段永平は人生の師であり、丁磊はビジネスの師であり、王衛は理念の師だった。そして、孫彤宇は、ビジネス上の軍師だった。黄はすぐに高榕(ガオロン)とIDCから800万ドル(約8.8億円)の投資を受けるが、この投資話をセットしたのが孫彤宇だ。

 

タオバオが放棄した市場をねらえ

が最初に手がけたECは、拼多多の前身となる「拼好貨」(ピンハオフオ)だった。これは農村で生産された果物を都市住人に買ってもらうというものだ。直送なので完熟した美味しい果物が届けられる、まとめ買いをしてもらうので、生産者は需要が立てやすいなど、後の拼多多の原型となる仕組みで運営されていた。

このサービスは人気も高まったが、運営コストが高く、商品ロスも多いために、ビジネスとしては苦しんでいた。

そこに軍師である孫彤宇のアドバスが大きかったと言われている。タオバオは、地方の製造業者や販売業者を切り捨て、購買力の弱い農村や地方都市の消費者を切り捨てる方向に進んでいる。だから、この市場がブルーオーシャンになっているとアドバイスしたのだ。

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▲孫彤宇(左)と黄(右)。拼多多成功の鍵は下沈市場(地方市場)をねらったことにある。それはタオバオが放棄をした市場でもあった。その知恵を授けたのが、軍師の孫彤宇だった。

 

拼多多成功の陰に軍師、孫彤宇の存在

も同意をし、地方が生産した製品、農産品を、地方の消費者に激安で販売する拼多多をスタートさせた。思惑通り、地方市場で火がつき、拼多多は米ナスダック上場を果たす。さらに、上場後は、iPhoneレノボといった大手メーカーの製品の大幅割引販売も始め、今度はタオバオの主力市場である都市住人にも広がり始めている。これにより、アクティブユーザー数でタオバオを抜き、アリババを脅かす存在に成長した。その陰には、孫彤宇という人物がいた。