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ジャック・マーの7300日。1つの奇跡と2つの戦いと4つの挑戦(上)

2019年9月10日、アリババのジャック・マー会長が引退をした。この日は、中国の教師の日であり、ジャック・マーの55歳の誕生日でもあった。ジャック・マーがアリババを創業して7300日。この間には、1つの奇跡、2つの戦い、4つの挑戦があったと銷售兵法が報じた。

 

大学受験に失敗し続けたジャック・マー

1995年の秋、ジャック・マーは米国シアトルにいた。浙江省交通庁の依頼を受けての出張だった。

ジャック・マーは英語は抜群にできたが、数学がからっきしダメだった。高校3年生のときに、中国版大学入学共通テスト「高考」を受験したが、数学はなんと1点。足切りにあってしまい、大学進学に失敗した。アルバイトをしながら受験勉強をし、翌年再び高考を受験するが、数学は19点。もう一年、浪人生活を続け、3度目の高考では数学が79点。足切基準点は85点であり、3度目の高考も失敗だった。

しかし、高校の教師たちが運動をした。ジャック・マーは確かに数学はできないが、英語は頭抜けてよくできる。しかも、音声教材もほとんどない時代に、独学で身につけていた。ボロボロの自転車で 杭州市内を回り、欧米人を見つけると自分から話しかけていく。その熱意を知っていた高校の教師たちが、杭州師範大学に対して運動をしたのだ。その結果、ジャック・マーは杭州師範大学への進学が許された。

ジャック・マーは支援をしてくれた高校教師たちの期待を裏切らなかった。杭州師範大学の主席になり、杭州市の学生連合の主席にも選ばれた。

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杭州師範大学時代のジャック・マー(左から2番目)。英語は抜群にできたが、数学がまるでダメだった。3度も受験に失敗し、高校教師たちの熱心な運動で、特別に杭州師範大学に進学することができた。

翻訳会社を起業するも仕事はほとんどない

杭州師範大学を卒業後、ジャック・マーは杭州電子科技大学の英語講師の職を得た。しかし、世界に飛び出したいジャック・マーにとって退屈な仕事でしかなかった。そこで、杭州市では初めてとなる英語の翻訳をする会社を起業した。しかし、まったく儲からなかった。生活は英語講師の給料でまかなっていた。当時の中国では、翻訳の仕事そのものがなかったのだ。

生活は苦しかったが、「杭州市でいちばん英語に明るい人」という評判を得ることができた。これにより、浙江省交通庁が、シアトルでの交渉にジャック・マーを派遣することになったのだ。

 

1つの奇跡:インターネットとの出会い

シアトル出張で、友人の家を訪問すると、そこでインターネットというものを見せられた。ジャック・マーは、友人に教えを乞いながら、自分の翻訳会社のホームページを作って、公開をしてみた。すると、わずか3時間の間に、米国、ドイツ、日本から合計5通の電子メールが届いた。当時、中国ではまだインターネットを使うことができず、中国語のサイトはとても珍しかったからだ。

ジャック・マーは、このインターネットを使えば、世界に飛び出すことができると興奮した。4年後、ジャック・マーはアリババを起業することになるが、すべてはこの奇跡ともいえるインターネットとの出会いから始まっているのだ。

 

最初の挑戦:チャイナページ

帰国をしたジャック・マーは英語講師の職を辞した。インターネットビジネスに専念するためだ。そこで、開発をしたのが「チャイナページ」だった。それは中国企業のイエローページだった。中国企業の情報が中国語だけでなく英語でも紹介される。海外企業はそれを見て、中国企業に連絡を取り、取引をすることができる。

ビジネスモデルは、掲載する企業から掲載料をもらうというものだ。ジャック・マーは北京に行き、企業を回り、猛烈にチャイナページの営業を始めた。しかし、応じた企業は1社もなかった。それも当然だ。契約が取れていないので、チャイナページの中身はまったくの空だった。空のサイトを見せられて、掲載料を払ってくださいと言われても、多くの企業は腰が引けてしまう。それどころか、多くの企業担当者が、何らかの詐欺ではないかと疑った。

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▲ジャック・マーの最初のプロダクト「チャイナページ」。掲載料を取り、中国企業の情報を掲載し、海外に向けて発信するサイトだったが、掲載企業がない状態で営業活動をしたため、程度の低い詐欺だと思われることが多かった。

 

ホラ吹き、詐欺師。企業人はジャック・マーが理解できなかった

ジャック・マーは営業トークでもスケールの大きなことを言う。「私は中国で最大規模のサイトを作れます」「世の中のビジネスは、すべてがこのインターネットの中で行われるようになります」。「私は中国の情報ハイウェイを発展させようとしています」。ただの英語講師がそんなことを言っても、当時の常識ある企業人は誰もがこう思った。「ジャック・マーは大ボラ吹き」。10年後、ジャック・マーはこの大ボラをすべて現実のものとする。

しかし、その時のジャック・マーは、悔し涙を流しながら、杭州に帰るしかなかった。

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▲北京で、最初のプロダクト「チャイナページ」の営業活動をしていた頃のジャック・マー。「私は中国で最大のウェブサイトを作ることができる」と大きなことを言う杭州市の英語教師に対して、企業人は「大ボラ吹き」「詐欺師」と相手にしなかった。

 

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▲北京から杭州に逃げるように帰る車の中でのジャック・マー。驚くべきことに当時の映像が残っている。「北京はいつか僕が何をやろうとしたか、知る時がくるだろう。それを知れば、北京は僕に対してこんな仕打ちはできなくなる」と泣きながら語っている。


早すぎたBtoC型ECサイト「8848」

杭州市に戻ったジャック・マーは、へこたれなかった。1999年、風光明媚な杭州市にあるマンション湖畔花園の中にある自宅でアリババを起業した。

当時、すでに王俊涛がBtoC型のECサイト「8848」をスタートさせていた。スタイルとしては、今日のアマゾンと同じだ。王俊涛もジャック・マーとよく似ていて、大きな夢を語る起業家だった。しかし、王俊涛は早すぎた。

1999年当時の中国のネット利用者は400万人で、接続されているPCは146万台にすぎなかった。ほとんどが企業ユーザーで、個人は電話回線を使ってダイアルアップ接続をして使っている人がわずかにいるだけだった。電話回線は接続時間に応じて通話料が嵩んでいく。そのため、多くの人が電子メールを見る、決まったウェブサイトを見るという使い方で、ネットの中をあれこれ歩き回って新しい情報を探すという人はほとんどいなかった。

8848を観察したジャック・マーは、8848が中国市場の実状にフィットしていないことが弱点だと感じた。では、その弱点を克服するにはどのようなサービスをすればいいか。

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▲中国で最初のECサイト「8848」。チョモランマという名称で、8848はチョモランマの海抜だ。意欲的なスタートアップ企業だったが、残念なことに早すぎた。中国のインターネットは多くが企業ユーザーだった。

 

2つ目の挑戦:独自にたどりついた「マーさんのフリーミアムモデル」

400万のネットユーザーのほとんどは企業だ。であれば、8848のようにコンシューマーに向けたtoCサービスではなく、企業ユーザーに向けたtoBサービスを提供すべきだと考えた。

なんのことはない。toBサービスであれば、失敗をしたチャイナページが最も適しているのだ。

では、なぜチャイナページは失敗したのか。いきなり掲載料を取ろうとしたからだ。ならば、掲載料は無料にすればいい。無料であれば、ジャック・マーのことを詐欺師ではないかと疑っている企業も、試しに掲載してみるかもしれない。

では、掲載料を取らずにどうやって収益を上げるのか。ジャック・マーはフリーミアムモデルを採用した。フリーミアムという言葉が知れ渡り、明確に定義されたのは2006年前後のことなので、ジャック・マーは5年も早く独自にフリーミアムというアイディアに到達していたことになる。

掲載は無料だが、料金を払うとVIP会員「誠信通」になることができる。誠信通はアリババがその企業の信用調査をし、その企業が信用できるというお墨付きを表示する。海外企業から見ると、この誠信通マークがついている企業とは、安心して取引ができる。さらに、国際ページの作成などの支援サービスも行う。

こうして、ジャック・マーの中で、成功のアイディアが固まっていった。しかし、それだけでは成功はできない。金と人が必要だった。

(下に続く)