中国テック界で、名前を知らない人がいないほど有名な少女がいる。万海妍で、小学6年生の時に、アリペイのプログラミングコンテストに出場して、大学生や大人を退け、決勝戦にまで進出した。アントグループのCEOからも直接入社を誘われていると恰同学少年録が報じた。
自主性が教育方針の家庭の少女が選んだのはプログラミング
万海妍(マン・ハイイエン)は、2007年に上海の恵まれた家庭に生まれた。両親の教育方針は、自主性を尊重するというものだった。親の希望を押し付けるのではなく、本人が興味を持つことはなんでもやらせてみた。そして、万海妍が興味を持つものは続けさせ、興味を持たないものはやめさせた。万海妍は快活で、自分の意見を持つ少女に育っていった。
10歳の時、プログラミングに興味を持った。万海妍は今までになく強い興味を持ち熱中した。
周囲の無理解にも動じず、娘を応援した両親
10歳の少女がプログラミングに熱中していることを、周りの親たちは冷笑することもあったという。しかし、両親は、それが本人が選んだことなのだからと一言も文句も言わず、万海妍を応援した。
しかし、10歳の少女が初級プログラミングを終え、複雑なアルゴリズムに取り組むようになると、やはり難しかった。学校で習っていない数学的な知識が必要になるからだ。万海妍はたびたび行き詰まりを見せることになる。それでも、万海妍はプログラミングへの興味を失わなかった。
毎週通っている小学生向けのプログラミング教室では飽き足らず、万海妍は図書館に行くようになった。必要な専門書を読み、読み終わらない本は借りて家に持ち帰り、夜遅くまで読んでいた。専門書に出ていないことについては、ネットで自分で調べるようになった。万海妍の家の家族の団欒は、アルゴリズムについて語り合うことになった。
学校が長期の休みになると、万海妍の求めに応じて、両親は深圳市で開催されたプログラミングセミナーに参加をさせた。そこで、青少年向けのオンラインプログラミング講座を提供している「編程猫」の創業者、李天馳と出会い、万海妍は李天馳を「師匠」と呼び、JavaScriptを学ぶことになる。
アリペイチャレンジに出場、1秒差で優勝を逃す
それからの彼女の進歩は著しく、李天馳はアリペイの運営会社であるアントグループのプログラミングコンテストに出場することを勧めた。「アリペイ8分間ミニプログラムチャレンジ」というもので、7人でプログラミングの腕を競い合うというものだ。
ミニプログラムの仕様が3つ用意され、7人にランダムでお題が割り振られる。これを8分以内にミニプログラムの形にするというもので、プログラミング能力だけでなく、早さも必要な競技だ。最も早く完成させた人にポイントが入り、これを3セット繰り返すことで勝者が決まる。
2018年9月、杭州市で開催されたこの試合で、万海妍は、決勝戦まで進出をした。決勝戦では、わずか1秒差で優勝を逃したが、高校生や大学生、あるいは社会人としてプロのITエンジニアが50名以上出場する試合で、準優勝に匹敵する結果を残した小学6年生の万海妍は大きな話題となった。
アントCEOが直々にリクルート
さらに会場には、アリババやアントグループのプロのITエンジニアがスタッフとしてきている。万海妍は、あこがれのエンジニアを見つけると自分から寄っていき、教えを請うことを繰り返してた。
その姿を見て、当時のアントグループの井賢棟CEOは、万海妍にぜひアントグループかアリババに入社してほしいと語った。社交辞令ではなく、好きな時期に入社してほしい、何年でもアリババはあなたのためにドアを開けて待っていると言う。井賢棟CEOはSNS「ウェイボー」でもそのことに触れ、本気で誘っていることを明言した。
このことにより、万海妍は、プログラミングの天才少女として名が知られるようになる。
プログラミングはやればやるほど好きになる
その後の万海妍は社会課題に興味を持ち、プログラミングで解決することに熱中するようになった。四川省の大凉山には少数民族のイ族が山間の集落で暮らしている。海抜が高いため、薪や炭などの燃料を使って暖を取る。そのため、一酸化炭素中毒の事故が起きていた。
それを知った万海妍は、子どもたちのために一酸化炭素警報機を開発して無償提供をした。警報機が鳴ったら、窓を開けて換気をするというものだ。
万海妍は現在中学生。プログラミングや科学系のコンテストに出場して、好成績を残し続けている。「プログラミングはやればやるほど好きになる」と語る万海妍に、当初、「親にやらされている」と批判的に見ていた人たちも、今はそのような批判はしなくなっている。