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インターン実習生はバイトダンスの何に惹かれたのか。善意を循環させるプロセスがあった

バイトダンスの創業時、初めてのインターンとしてやってきたのが大学生のリリーだった。彼女は創業間もないバイトダンスに惹かれ、現在でも社員をして働いている。その理由は善意を循環させるプロセスがあったからだと字節范児が報じた。

 

バイトダンスの最初のインターン、リリー

TikTokや「抖音」(ドウイン)などで知られる字節跳動(バイトダンス)は、2012年3月、北京市の知春路にあるマンション「錦秋家園」の一室で創業された。その年、大学4年生の麗麗(リリー、仮名)は、初のインターン実習生としてバイトダンスにやってきた。当時は、創業したばかりで従業員数は10数人。リリーの仕事は単純で、アプリに投稿される画像の中で、笑える画像にマークをつけていくというものだった。

その簡単な仕事から11年、運営、審査、編集、業務企画といった仕事を行ってきた。リリーがその頃のバイトダンスを振り返った。

▲バイトダンスの創業の地「錦秋家園」。普通の住居用マンションの一室がバイトダンスのオフィスだった。

 

他の会社とは違ってみえたバイトダンス

私はリリーと言います。バイトダンスに入社して11年になります。

2012年、私は大学4年生で、卒業まで1年足らずの時、将来何をするべきかは分かってなく、漠然と就職活動をしていました。そのため、たくさんの企業に履歴書を送り、たくさんの面接を受けました。しかし、どの企業の面接を受けても同じようにしか感じません。その中で、バイトダンスだけが違っていました。面接官がスマートフォンを開いて、あるアプリがどのようなものであるかを見せてくれたのです。この会社は実践的だと思いました。そのアプリは「図」(ジョントゥー)というもので、機能はさほどなく、つくりもまだ粗いものでした。

▲リリーが最初に担当した「囧図」。おもしろ写真を投稿するSNS。リコメンドは当初手作業で行われていたが、すぐにAIリコメンドになっていく。

 

マンションの一室が社屋

面接には、私の同級生も一緒にきたのですが、オフィスの環境を見るなり、彼女は帰ってしまいました。彼女は私のルームメイトで、私にバイトダンスには行かない方がいいとずっと言っていました。彼女の考えは理解できます。その頃のバイトダンスは10数人しか社員がいなく、普通のマンションの一室がオフィスで、ちょっと「正式ではない」感じがしたのです。大学生が思い描く理想のオフィスとはかなりかけ離れていました。

私も迷いましたが、好奇心と新鮮さに逆らうことはできませんでした。面接の後、面接官がアプリの使い方を見せてくれたことが何度も思い出されました。この製品は将来どうなっていくのだろう、この会社はどうなるのだろう。この不確実な感じが私にとっては魅力的であり、結局バイトダンスに行って、最初のインターン実習生となりました。

▲2012年のバイトダンスのオフィス。普通の居住用マンションに、安物のデスクを並べただけのオフィスだった。

 

自分は正しい場所にいると感じることができた

入社後は、そんな不安はどこかにいってしまいました。仕事が楽しくて、学生寮に帰ってからは、ルームメイトに仕事であったことを話さずにはいられないほどです。

この幸福感は、会社の文化からきています。バイトダンス以前にもインターンの経験がありましたが、そこではリーダーには敬意を示さなければならず、仕事も堅苦しいものでした。でも、バイトダンスでは、いつも笑いが絶えず、私もリーダーにすら、シャワーを浴びずに会議にきましたねと冗談を言うことができました。とてもリラックスできる会社だったのです。

また、非常に濃いスタートアップ企業の空気もありました。当時はまだ、ユーザーを満足させるプロダクトもなかったため、みんなの目標は純粋で、どうやったらユーザーに興味を持ってもらい、有用な情報を届けられるかということばかり考えていました。

当時、オフィスの壁はすべてがホワイトボードになっていました。最初は何のためにあるんだろうと不思議でしたが、インスピレーションやアイディアが浮かぶとすぐに壁に書き留めるためのものでした。しかも、書き留めた内容は誰でも見ることができます。簡単ですが、実用性の高い工夫です。

当時のオフィス環境は確かにいいものだったとは言えません。しかし、みな何かを信じて仕事をしていました。そういう人たちと毎日仕事をして、熱気のようなものを感じると、私は自分は正しい場所にいると感じました。

 

最初の仕事は、爆笑写真の選別

当時は創業したばかりで、明確なルールはなく、人がいなければ誰かがリーダーを努めなければなりません。誰も私がインターンであるということを考えていないようで、さまざまな仕事を手伝わされました。

私の最初の仕事は、投稿される爆笑写真に、どれが笑えて、どれがクールかをマークしてくというものでした。いつも仕事をしながら笑いをこらえていました。楽しい仕事でした。しかし、私の笑いのポイントは人と違うのか、私が選んだ写真はリーダーから首を振られることもよくありました。

そのリーダーは、私を彼のPCの前に連れていき、写真を1つ1つマークしながら、なぜこの写真が笑えるのか、ミーム要素(拡散をさせる要素)がどこにあるのかを教えてくれました。さらに、ユーザーの反応を見ていくことで、徐々に自分の判断基準ができあがっていき、さほど時間はかからずに求められる水準の仕事ができるようになりました。

その後、編集、運営、コピーライティング、リコメンドなどさまざまな業務をしました。人が足りないため、1人でさまざまな業務を担当せざるを得なかったのです。今、振り返ってみると、私はこの時期に急速に成長をしたと思います。

 

学習意識の高かったバイトダンス

私を成長させてくれたのは、オフィスでの業務だけでなく、社内にある強い学習意識と共有意識もありました。毎週金曜日の午後には、お茶会のようなセッションがあり、全員が集まり、さまざまな知識を共有します。プロダクトの責任者は、そのプロダクトをどのように発展させるかを話し、ある人はプロダクトから発見された課題を取り上げ、その課題がユーザーにどのような影響を与えるか分析します。さまざまなことが語られ、いつも多くのことを学ぶことができました。

このお茶会では、創業者の張一鳴(ジャン・イーミン)と梁汝波(リャン・ルーポー)の二人が、ホワイトボードに会社の成長スケジュールを書いて説明することがよくありました。どのようなプロダクトが登場して、いつまでにどの程度成長をするかが詳細に語られました。当時、私のビジネスに対する理解度は限られていたのでよくわからないところもありましたが、時間が経ってみると、二人の計画通りにプロダクトと会社が成長をしていることに気づかされます。そのようなことで、私の会社に留まるという気持ちが強くなっていきました。

▲2015年頃の金曜日の勉強会。まだ、著名なプロダクトはなかったが、学ぶ姿勢が社内に満ちていた。

 

今日頭条で人気投稿者を育てる仕事に

私は2012年6月に卒業をし、そのままバイトダンスの正社員となりました。すぐにニュース配信サービス「今日頭条」が開発され、ユーザーの規模と会社の規模は急速に大きくなりました。会社も錦秋家園から近くの盈都ビルに引っ越すことになりました。

会社の業務の中心が、今日頭条に移っていくと、私も今日頭条に投稿してくれる著名人に声をかける業務を担当することになりました。これは私にとって、まったくやったことのない仕事です。最初は何もわからず、ファン数と閲覧数が多い人にいきなりプライベートメッセージを送っていました。しかし、これは効率の悪いやり方であることに気がつきました。

まずねらうべきなのは、科学技術関係に特化した投稿者であることがわかりました。科学技術系の人は、インターネット技術をよく理解しているだけでなく、今日頭条がどのようにリコメンドを行うかもよくわかっています。そのため、拡散しやすい記事を書くことができるのです。そのような投稿者とコミュニケーションをとっておくと、次第に拡散する記事を書いて、ファンがついてくるようになります。すると、その投稿者の周辺にいる投稿者たちもファンがついて記事が拡散するようになっていきます。また、その投稿者のリアルな友人たちも記事を投稿するようになります。最初に核になる人を見つけ、コミュニケーションをとっておくことで、多数の投稿者を獲得できるようになるのです。

▲バイトダンスの創業の地「錦秋家園」。普通の住居用マンションの一室がバイトダンスのオフィスだった。

 

心地よいポジションだからこそ異動をする

数年後、私は自分が心地よい場所にいることに気づき、自分自身を突破するために、あえて国際プロダクトに異動をするために動き始めました。バイトダンスでは、新しいことを始める機会はたくさんあります。社内には起業家精神を奨励する文化があります。

私がチームリーダーになったのもこの頃です。リーダーになったからといって、特別な扱いを受けることはありません。ただ、現場の仕事を今まで通りこなしながら、メンバーに仕事を振り分けるという仕事をしなければならなくなります。これは疲れました。メンバーの能力を理解し、最適な仕事を割り当てなければなりません。その上、チームの業務量を最大化しなければなりません。これは、自分自身を突破しなければならない新しい課題でした。

しかし、その突破は簡単なことではありません。解決する方法は一般的には2つあります。ひとつは現状を変えるために辞職をして転職することです。もうひとつは、周囲の人に助けを求めて手伝ってもらうことです。

 

会社は短期的に評価しないことがあっても長期的には必ず評価してくれる

実際、私はしばらくの間、仕事をしても周りから認められていない、評価されていないと感じていました。この考えは私を悩まし続け、辞職をしたいとすら考えるようになりました。しかし、私はこの混乱の解決を手伝ってくれる人を見つけました。何年にもわたっって、私の姉であるかのように私を助けてくれた同僚です。

彼女は、会社というものは短期的にはあなたを評価をしないこともあるが、長期的には必ず評価してくれると言いました。もし私が金塊であったとして、会社は一度はその金塊を埋めてしまうかもしれません。しかし、ずっと埋めたままにすることはなく、もしそんなことをする会社なら価値はないと言ってくれたのです。

私は何年にもわたってバイトダンスで人間的な成長をしてきました。その中で、バイトダンスがどのような原則を守ってきたか、従業員に誠実に向き合ってきたかを思い出しました。これでネガティブな考えを捨てることができ、問題を解決する方向に向かうことができたのです。

バイトダンスには優秀な人がたくさんいて、私を助け、刺激し続けてくれます。これが私がバイトダンスに留まる理由になっています。ですから、学生にどこに就職するかを尋ねられたら、優秀な人がたくさんいる会社を薦めます。

 

トマトノベルズに異動

私の最後の異動は、トマトノベルズで、それ以来、現在でもここにいます。異動した直後はトマトノベルズのサービスが始まったばかりで、チームの人数は少ないものでしたが、製品は急速にダイナミックに成長し、ちょうど錦秋家園のオフィスにいた頃の雰囲気を感じます。

私は学生の頃から小説が好きでした。学生の時は教室の中に小説を持ち込んで、教師に没収されたこともありました。この異動で、私は自分の趣味を仕事にすることができました。

このチームにきて、最初に手がけたのは、誤字脱字、変換ミスを検出するツールの開発でした。小説好きの私としては、読んでいて誤字脱字を見つけると、体験がどれほど損なわれるかをわかっていました。しかし、調査をしてみると、作者が自分ですべての誤字脱字を修正するのは不可能であり、編集者が加わって何度確認をしても完全には回避ができない問題であることがわかりました。

そこでエンジニアと協働して、トマト小説で原稿を書いている時に、誤字脱字を警告するツールをつくり、作者が無料で使えるようにしました。このチェックツールは高速で動いたために、多くの作者が小説だけでなく、その他の文章を書くときもトマト小説にテキストを入れて誤字脱字のチェックをするようになりました。

小さな機能ですが、作者と小説にとっては重要なツールです。誤字脱字がなくなり、読者の読者体験は非常によくなり、読者からも作者からも好意的なフィードバックがされているのを見ると、私がした仕事は非常に価値のあるものだったのだと実感できます。

▲リリーの現在のデスク。ここでトマトノベルズを担当している。

 

善意を循環させるプロセスがバイトダンスにはある

さまざまな仕事をしてきて、多くの同僚に助けられてきました。今では、私も他の同僚の問題解決を手伝えるようになっています。これは、私の中では優しさや善意を循環させるプロセスだと思っています。今まで私を助けていただきながら、ほとんどの方は何の見返りも求めませんでした。そのため、私はこの文章を書いて、優しさと善意を伝えていこうと思っています。それが私の話です。読んでいただいてありがとうございます。