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会議室はベランダ。マンションの一室から始まったTikTok運営のバイトダンス

今日、世界中で10億人以上の利用者を獲得するTikTokを開発、運営しているバイトダンスは、10年前に北京市のあるマンションの一室から始まった。当時は、ベランダが社食であり、会議室だったと字節范児が報じた。

 

マンションの一室から始まったバイトダンス

今日、TikTokで知られるバイトダンスは、2012年3月、北京市の知春路にあるマンション「錦秋家園」の一室で創業された。4部屋しかない普通のマンションで、研究開発、経理、会議室、応接室でいっぱいになってしまう。食事はキッチンでつくり、デスクかその場で立って食べるが、室内に食べ物のにおいが充満をしてしまうため、次第にベランダで立って食べるようになっていった。バイトダンス最初の社食はベランダだった。

▲バイトダンスの創業の地「錦秋家園」。

 

バイト(情報)を社会でダンス(拡散)させる

バイトダンス創業時のミッションは、人と情報を連結させ、情報を効率的に拡散させる方法を確立することだった。

社名のバイトダンスもこのミッションから名づけられた。情報の拡散は本質的には情報のトラフィックであり、トラフィックの最小単位はバイトだ。このバイトを使って社名をつくろうと創業メンバー全員が集まって、目を閉じて考えた。その中である人が「バイト・ジャンプ」という名前を提案した。しかし、現在の梁汝波(リアン・ルーポー)CEOが、今ひとつピンとこないと発言した。ジャンプは確かに勢いのある言葉だが、下から上の一方向へのトラフィックのイメージになる。もっと複雑にトラフィックが交錯するイメージが適していた。

そこで出てきたのが「バイト・ダンス」という言葉だった。中国名はこのバイトダンスを直訳して「字節・舞動」とされたが、ダンス教室と勘違いされるという意見が出て、「字節・跳動」に決定された。

▲マンション時代の開発室。貧弱な設備の中で数々のプロダクトが開発された。タコ足配線なども見られる。

 

最初は面白画像の共有サービスから始まった

情報を効率的に拡散させると言っても、具体的には何をしたらいいのか?創業メンバーは最初は何をすべきかの議論に時間を費やした。情報というのはフォーマットとテーマの2つの側面がある。フォーマットは画像、長文テキスト、短文テキスト、動画などさまざまある。テーマは教養、娯楽、生活などさまざまある。その中で何をするのか。

創業メンバーが最初に企画をしたのは「画像×面白」で、最初のプロダクト「敲笑図」(ガオシャオジョントゥー)だった。面白画像を配信するアプリだ。これが受けて、1ヶ月で100万人の利用者を獲得した。

その後のプロダクトが、「長文テキスト×ニュース」の「今日頭条」(ジンリートウティアオ)だった。読者の嗜好を学習し、その人が読みたいニュースを配信するアプリだ。これが非常に広く使われるようになった。日間アクティブユーザー数(DAU)が100万から1000万になるのに1年ほどしかかからなかった。

▲学習会で講義をする創業者の張一鳴。AI教材がないために、自分たちで教材をつくるところから始めた。

 

ベランダが社食、ベランダが会議室

社食となっていた錦秋家園のベランダは、ブレーンストーミングを行う会議室にもなった。開発チームが方向性が見えなくなると、このベランダで激しい議論をすることが多かった。

後のバイトダンスの方向を決定づける議論もこのベランダで行われた。今日頭条はニュース配信アプリだが、新聞社や雑誌社が運営をしているニュースアプリでは、編集者が重要なニュースを決定し、それを配信する。しかし、バイトダンスにはこのようなプロの編集者がいなかった。

さらに問題は、編集者も人であるということだ。読者の全員が編集者の編集方針に納得をしているわけではなく、自分が読みたいニュースが配信されていないと感じている読者もいる。つまり、どのようなニュースを読みたいのかは個人によって異なり、編集者はどうやっても最大公約数をねらうしかない。

しかし、アプリであれば、全員にすべて異なる内容のニュースを配信することも可能だ。では、どうやって、読者全員それぞれに最適のニュースを決定すればいいのか。

そこで注目されたのが、AI、機械学習だった。

▲ベランダからの風景。北京市の中にあり、眺望はものすごく悪い。この風景を見ながら、従業員たちは食事をし、議論をしてきた。

 

AIを学ぶためにAIの教材をつくり、その作業が学びになる

ところが、AIを学ぼうにも当時は教材そのものがなかった。中国にもすでにAIの研究者は生まれていたが、自分の仕事が忙しく、バイトダンスのような企業のために授業をしてくれるはずもない。

そこで、開発チームは、ネットの英語情報を探して、それを中国語に訳して教材をつくることから始めた。この教材をつくるプロセスそのものが、開発チームにとってはうってつけのトレーニングとなった。教材ができあがる頃には、全員がAIを近いをするようになっていた。

この教材は、世代から世代へと受け継がれ、改訂と追加が行われ、現在でも重要なテキストとして使われている。

 

tamakino.hatenablog.com

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プロダクトが立派だから成功した。オフィスが立派だからではない

2013年5月、バイトダンスは知春路のオフィスビル「盈都ビル」10階に引っ越しをする。フロアは700平米もあり、全員が「豪華すぎる」と感じたという。しかし、実際はすでにバイトダンスは数百人規模に成長をしており、分散していたオフィスを1箇所に集めるには、すでに盈都ビルでも手狭になっていた。

2016年2月には、海淀区の中航広場ビルにさらに引っ越しをすることになる。創業者の張一鳴(ジャン・イーミン)は、引越しの翌日、全員にメールを発信した。まるで大企業のようなオフィスに入り、世界中にもすでにオフィスが数百も出来始めていたが、くれぐれも大企業の社員の気持ちになってはいけないという内容だ。バイトダンスが成果を上げられたのは、プロダクトが立派であったからで、オフィスが立派だったからではない。私たちはプロダクトの開発に集中をしなければならないというものだった。

その言葉通り、この新しいオフィスで、TikTokの原型となる「抖音」の開発が始まる。

▲創業から1年後、バイトダンスは盈都ビルに引っ越しをする。同じ知春路にあるオフィスビルでようやくまともなオフィスに入ることができた。

▲再度引っ越した中航広場ビル。ここから抖音やTikTokが生まれてくる。