浙江省温州市で、10年の間、手書きの偽札で麺を買っていた老人が交通事故で亡くなった。その偽札を受け取り続けた麺屋の主人、李国色さんは、この手書きの偽札を展示公開しようとSNSで訴えていると南方+が報じた。
北京五輪で終わった中国の偽100元札
中国では偽札のことを多くの人がもはや忘れている。1990年代から2000年にかけて、中国では偽の100元札が大量に流通をしてしまい、小売店で100元札を使おうとすると、偽札チェッカーにかけるということが常識になっていた。当時の紙幣は1980年に発行された第4版で、当時の技術で作られているため、精巧な偽造が可能だった。
そこで、中国政府は2005年に第5版の新型紙幣を投入した。ホログラムなど数々の「目で見て真贋がわかる」機能が採用された。これにより、流通する偽札は激減をした。中国政府は、2008年の北京五輪までに、この偽札問題を解決したかったのだと言われている。
その後も偽札事件は発生したが、その多くが倉庫の商品を偽札で買い取るという取り込み詐欺に利用されるもので、それが流通までしてしまうことはほとんどなくなっている。偽札関連のニュースを聞くことは、この10年ほとんどなくなった。
手書きの偽札を使って買い物をする男
ところが、2022年の暮れ、浙江省温州市で、偽札の話題が久々に全国ニュースとなった。温州市霊渓鎮で麺屋を営む李国色さんが、10年にわたって大量の偽札を使われたとメディアに訴えたのだ。
李国色さんが店を開いて5年目の2012年、ぼろぼろの服を着て、全身から不快な臭いがする老人がやってきて、麺を買いたいそぶりをする。しかし、言葉がよく理解できなかった。どうもその老人は知的障害があり、放浪生活を送っているようだった。2元を出してくるので、李国色さんはどんな人でもお客さんはお客さんだと考え、麺を一袋渡した。
すると、その老人はたびたび麺を買いに来るようになったが、お金を持っていないことも多かった。李国色さんはとても困った。いくらなんでもタダで商品を渡すわけにはいかない。
しばらくすると、その老人は稚拙な手書きの札を渡すようになった。確かに稚拙だが、老人なりに似せようとしてさまざまな工夫がしてある。李国色さんはその努力に感動し、麺を渡した。それ以来10年間、老人は手書きの偽札を持ってきては麺を求めるようになっていった。李国色さんはその偽札を受け取って、麺を渡し続けた。
SNSでは賛否両論の反応
李国色さんはこの老人をなんとかして助けたいと思った。そこで、老人が描くユニークな偽札をSNSで紹介して多くの人の善意に頼ろうと考えた。しかし、世間の反応は複雑なものだった。李国色さんの話を美談として受け止め、支援金を送ってくれる人も多かった。しかし、障害者を笑い物にしている、障害者を利用して金儲けをしようとしているのではないかと疑う人も多かった。
そのような疑いが生まれたのは、あるネットユーザーがこの老人のことを調査して、地元政府から毎月1300元の支援金をもらっていた事実を突き止めたからだ。しかし、この老人にお金という概念は希薄だった。周りを見て、お金を渡せば食べ物などをもらえるということはうっすらわかっていたが、金額やお釣りの概念はないようだった。せっかく、支援金をもらっても、あっという間になくなってしまうようだった。
李国色さんの店では、自分で書いたお札を持っていくと麺がもらえると思い込んでしまい、お腹が空くと、せっせとお札を描いては麺をもらいにくる。李国色さんも10年間、麺を渡し続けた。
偽札を描き続けた老人は亡くなった…
2022年1月7日、この老人は交通事故にあい、亡くなってしまった。李国色さんは2日後にそのことを知った。そして、李国色さんは1枚の老人が描いたお札に火をつけ、天国に送った。そして、そのことをSNSで報告し、残りのお札は大切に保管をし、老人のことを忘れないために、公開展示する方法を模索している。