中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

EC「京東」の創業者もかつてエンジニアだったのか?ネットで話題に

中国のテック企業の創業者はほとんどがエンジニア出身だが、例外はアリババのジャック・マーと京東の劉強東だと言われていた。2人ともエンジニアではなく、ビジネスサイドの人材だからだ。しかし、ネットで劉強東がかつて受託開発をやりお金を稼いでいたということが話題になっていると輝達IT教育達人が報じた。

 

エンジニア出身が多いテック企業の創業者

中国テック企業の創業者の多くは、エンジニアとしても優秀だった。百度バイドゥ)の創業者、李彦宏(リ・イエンホン、ロビン・リー)はニューヨーク州立大学に留学後、米国のダウ・ジョーンズインフォシークでエンジニアとして働いた。テンセントの創業者、馬化騰(マー・ホワタン、ポニー・マー)も深圳大学を卒業後、ポケベルを主力製品としてしていた潤訊でエンジニアとして働いた。

拼多多(ピンドードー)の創業者、黄(ホワン・ジャン)はウィスコンシン大学に留学後、グーグルでエンジニアとして働いた。小米(シャオミ)の創業者、雷軍(レイ・ジュン)も金山軟件キングソフト)でビジネスツールなどのエンジニアとして働いた。バイトダンスの創業者、張一鳴(ジャン・イーミン)もオンライン旅行サイト「酷訊」(クーシュン)でエンジニアとして働いた。多くのテック企業創業者がエンジニア出身だ。

例外は、アリババの創業者、馬雲(マー・ユイン、ジャック・マー)ぐらいだが、英語が堪能で「C言語は書けないが、英語が書ける」とも言われ、そのカリスマ性で優れたエンジニアに慕われている。

 

EC「京東」の創業者もエンジニア出身?ネットで話題に

ある人が、SNSで、EC「京東」(ジンドン)の創業者、劉強東(リュウ・チャンドン)も、ジャック・マーと同じように、非エンジニア出身だと発言したところ、多くのエンジニアからそれは事実と異なるという反論があり、劉強東のエンジニア時代のエピソードが語られるたびに、「知らなかった」「すごいエンジニアだ」という賞賛の声が上がっている。

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▲EC「京東」(ジンドン)の創業者、劉強東。あらゆる仕事をやってきた苦労人。CD-Rを販売する小さな店から始めて、独自の物流網を持つ中国第2位のECに育てた。

 

電子哥的日常の発言

劉強東のプログラミングレベルは高い。彼は貧しい農村に生まれて、高考(ガオカオ、共通入試)では宿遷市のトップの成績を取るなど、独学で学ぶことに長けていた。大学の時には、独学でプログラミングを学び、学費を稼ぐためにソフトウェアの受託開発をして数万元を稼いでいた。実際に、劉強東が書いたソースコードを読んだことがあるが、堅牢性に重きを置いた手堅いコーディングだと感じた。

大学卒業後に創業をすることを目指したので、プログラミングはやめてしまったが、上級エンジニアを目指すこともじゅうぶんにできたと思う。

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▲最初に開いた北京市中関村の「京東マルチメディア」の店舗。右の白いポロシャツの青年が創業者の劉強東。

 

一顆夢卜啊の発言

プログラミングスキルというのは、自転車に乗れるスキルとは大きく違う。基本を身につけても、常に新しい言語、新しい技術が登場をして、それを学び続けなければスキルが失われてしまう。

劉強東はかつてプログラミングを独学して、受託開発を行い5万元を稼いだことがあるが、それは1995年のことだ。私は1997年からエンジニアとして働くようになったが、この2年間の間で、テクノロジーの環境は大きく変わっている。劉強東の頃は、MS-DOSであり、C言語であり、ソフトウェア開発だったが、私の時にはWindowsになり、HTMLになり、ゲームやウェブ開発が主になっていた。

劉強東は創業をすることに忙しく、エンジニアとして新しい技術を学ぶことはしなかった。そのため、劉強東のエンジニアとしての評価をすることは難しいと思う。少なくとも、エンジニアとしてよりも企業家の方に適性があったということだ。

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▲京東マルチメディアの店舗。SARSの感染拡大により来店客が途絶え、ECに転換をしたことが成長の出発点になった。

 

大孔成像工作室の発言

ジャック・マーよりレベルが高いのは確か。ジャック・マーは自分でプログラミングはまったくわからないと言っているから。しかし、劉強東の本質はやっぱりビジネスマンであって、学生の時に独学で学んでお金を稼いだことがあるというだけでもすごいことなんじゃないか。

 

なんでもやってきた苦労人の劉強東

劉強東は、学生の時に飲食店の経営に乗り出し失敗をしたこともある。その後、電子機器関連の営業マンとして働き、北京市の中関村に、CD-Rなどを販売するお店「京東マルチメディア」を開業する。ところが、2003年のSARSの感染拡大により、来店客がまったくいなくなるという危機に直面をした。そこで、ネット通販に転換。それが今日のEC「京東」の始まりとなった。どんなものにも挑戦をしてきた人であることだけは確かだ。