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フーマの時代が終わる。創業者の侯毅氏が勇退へ。果たせなかったユーザー至上主義

2024年3月18日、フーマフレッシュを構想し、創業した中心人物、侯毅氏がCEOを辞任して、フーマそのものを離れることになった。あまりのユーザー至上主義にサプライヤーがついてこれなくなってしまったからだと毎日人物が報じた。

 

成果を収めたアリババの新小売戦略

2016年にアリババが始めた新小売戦略。「オンライン小売とオフライン小売は深く融合し、すべての小売業は新小売になる」と、創業者の馬雲(マー・ユイン、ジャック・マー)が宣言をし、新小売スーパー「盒馬鮮生」(フーマフレッシュ)、新小売百貨店「銀泰百貨」(Intime)を中心に展開をしたユーザー体験の改革だ。O2O(Offline to Online)という両者を接続するというのではなく、OMO(Online Merges with Offline)という融合を目指した。

その成果は確実にあがった。フーマフレッシュは坪効率(売り場面積あたりの売上)で、平均的なスーパーの4倍以上という成果をあげた。銀泰百貨は百貨店全体が縮小する中で数少ない成長する百貨店となった。

▲新小売スーパー「フーマフレッシュ」。スマホからも店頭でも買うことができ、30分宅配も店頭受け取りも可能というOMO小売で、都市生活者からは圧倒的な支持を得ている。

 

フーマの創業者も勇退

しかし、フーマは、香港証券取引所への上場準備を進めたことにより、つまづきが露呈をした。フーマ側はでは企業価値を60億ドルから100億ドルの想定で上場準備を進めたが、香港の投資家たちが内示した企業価値は40億ドルという低いものだった。これにより、上場計画がいったん仕切り直しとなる。

その後、フーマは上場を焦ったのか、激しい価格競争を始める。しかし、ここへきて、フーマの事業計画をアリババに持ち込み、創業から一貫してCEOを務めてきた中心人物である侯毅(ホウ・イ)CEOが退任をすることになった。この人事は突然のもので、アリババの呉泳銘CEOが、フーマ従業員の全員に人事異動のメールを送信した時、侯毅CEOは執務室でメールの整理をしていたという。フーマのひとつの時代が終わることになった。

▲アリババの呉泳銘CEOが、フーマ従業員全員に出したメール。侯毅CEOの解任が告げられた。

 

新小売を構想した侯毅という人

フーマの戦略やスタイルも大きく変わることになる。売却先はまだ決まっていないものの、その売却先に合う形に変わっていかなければならない。また、フーマのユーザー体験至上主義は、侯毅CEOのパーソナリティーによるところが大きかったからだ。

侯毅CEOは上海人で、上海の発展を見てきた生き証人だ。大学を卒業後、ソフトウェアエンジニアとして働いたが、いつも起業をしたいという思いがあり、不動産仲介やセルフ火鍋屋などをサイドビジネスとして行なっている。その後、EC「京東」(ジンドン)に転職をし、10年間小売業に携わり、京東のO2O事業部の責任者となった。

そこで、新小売生鮮スーパーという事業を構想したが、京東の上層部はその案を採用しなかった。あきらめきれない侯毅CEOは、アリババでEC事業を担当していた張勇(ジャン・ヨン)と会い、アリババに転職をして、新小売スーパーのビジネスを展開することになった。

▲フーマを創業した侯毅CEO。あまりのユーザー至上主義であったため、サプライヤーからの離反を招いてしまった。

 

ユーザー至上主義だったフーマ

侯毅CEOの発想は、ユーザー体験至上主義だ。ユーザーの利便性を中心に置き、それに向かって全員が努力をすべきだという発想だ。そのため、ユーザーには優しく、従業員やサプライヤーには厳しいという傾向がある。

例えば、地下鉄駅構内に盒小馬(フーマ・ピックアンドゴー)という朝食店を展開したことがある。地下鉄の中でスマホから朝食を注文しておくと、保温ロッカーの中に入れておいてくれるので、店舗に着いたらすぐに朝食を取り、そのままオフィスに向かえるというものだ。非常に便利だと好評になった。この店舗形態は、侯毅CEOが自ら発案をし、実行したものだ。

しかし、利用されるのはほぼ朝食のみであるため、採算性は非常に悪い。担当スタッフは黒字化するために大きな苦労をしたという。

スマホ注文しておくと、保温ロッカーに朝食を入れておいてくれるので、受け取るだけというフーマ・ピックアンゴー店。地下鉄構内にあるため、非常に便利だと利用している人も多かった。しかし、ほとんどが朝食需要であるため、黒字化は非常に厳しかった。

 

フーマに協力をして大きな損失を出したサプライヤー

侯毅CEOはサプライヤーにも厳しかった。ウォルマート系のホールセラー「サムズクラブ」が人気になると、フーマは思い切った低価格戦略を実行した。特に戦略商品となったのがドリアンミルフィーユで、フーマが価格を下げると、サムズクラブも価格を下げるという値下げ合戦が始まった。

このミルフィーユを製造し、フーマに納入していたのが、スイーツメーカーの「馬榴香」(マーリウシャン)だった。さまざまなコストダウンを図るが、フーマの要求は厳しく、1つあたり0.05元の利益しか出ない。それでも、フーマの勝負どころだと考え、協力をした。

しかし、価格競争はさらに進み、さらにコストダウンを要求される。無理に無理を重ねたため、品質にも問題が出るようになった。フーマはそれを検品し、容赦なく返品をしてきた。結局、馬榴香は300万元以上の損失を出すことになった。深圳の小さなお菓子メーカーにとって厳しい損失だ。それがビジネスの厳しさだと言えばそうなのだが、フーマの手厚い協力が得られたとは思えない。

ホールセラー「サムズクラブ」に対抗するために、大幅な値下げ攻勢をかけたが、その裏でサプライヤーが厳しい状況に追い込まれていた。

 

サプライヤーの離反も起きていた

もともとフーマは商品の調達に弱点を抱えていた。当初は「数が出る」ということで多くのサプライヤーが集まったが、フーマはすぐに納入価格の交渉をしてくる。それについていけず、脱落してしまうサプライヤーも多かった。

フーマ自身は、サプライヤーから供給をしてもらう形ではなく、全商品をプライベートブランドとして自主製造することを目指していたため、サプライヤーの離脱にもあまり注意を払わなかったところがある。

上場計画が頓挫をすると、フーマは価格を20%以上下げる「移山価」計画を進める。これはすべてのサプライヤーに納入価格を20%下げてもらう通知を出すという乱暴なものだった。多くのサプライヤーが脱落をし、さらには感情的になったサプライヤーが他サプライヤーと協力して、フーマには商品を提供しない申し合わせをする事態にまでなった。

これにより、最盛期に5000SKU(Stock Keeping Unit、商品種目)が、2000前後にまで落ちてしまった。一般的なコンビニが3000前後であるため、結局はユーザー体験を悪化させたことになる。

 

フーマは変われるか

侯毅CEOの頭の中では、ユーザー体験が最も重要なもので、それを実現するために、フーマやサプライヤーはどんな苦労でも厭わずにやり遂げなければならないと考えていたようだ。そのため、フーマは消費者からは歓迎されたものの、サプライヤーから疎ましがられるということになってしまった。

フーマのCEOは、百何(バイ・フー)に変わる。フーマに入社して6年、現場を知り、本社を知り、侯毅CEOを知っている古株だ。百何CEOがこのフーマの路線をどのように改革をしていくのか、注目されている。