あるカップルが、同じショートムービーに対するコメントを比べてみると、人によって表示順が違っていることに気がついた。自分と属性の似た人が投稿したコメントが上位にきているのではないか。ネット民は知らないうちに情報の繭の中に閉じ込められているのではないかと話題になっていると差評が報じた。
ネット民が気づいた「情報の繭」
SNS「微博」(ウェイボー)で、「情報の繭」(インフォメーション・コクーン)という言葉が突如として検索ランキングの上位に来るという現象が起きた。情報の繭とは、SNSなどで自分に都合のいい情報だけに触れるようになり、次第に偏った価値観を持つようになる現象のことだ。本人は温かい繭の中で気持ちよくなっているが、ひとたび、別の繭にいる人と論争が起きると、攻撃的になるだけで相手の意見に寄り添うことはなく、ただただ自分の意見を声高に主張し、相手の意見の揚げ足取りをしようとする。
表示されるコメント順は人によって操作されている?
この「情報の繭」という言葉ににわかに注目が集まったのは、あるネット民の投稿がきっかけだった。
あるカップルが、二人で同じショートムービーを見ていた。それはカップルが口喧嘩をしている内容のものだった。ムービーには視聴者のコメントがついている。男性が見たコメントは「僕が妻と喧嘩した時、歌を歌ってご機嫌を取ろうとしたけど、ずっと無視された」「喧嘩をした時に、文句を言うのではなく古典の暗唱をしたけど、彼女はそれにまったく気づかず怒っていた」など、男性視点のコメントが上位にきていた。
しかし、女性のスマートフォンに表示されたコメントは「どうして多くの動画が、女性は道理がわからず、感情に支配されていると強調するものばかりなの?」など、女性視点のコメントが上位にきていた。
つまり、二人で同じ動画を見ているのに、上位にくるコメントが違っているのだ。男性には男性のコメント、女性には女性のコメントが上位に表示される。これは、アルゴリズムにより、利用者に属性の近い人のコメントを上位に表示しているのではないかとSNSで疑問を呈した。
中高年を演じると、中高年の世界が出現する
すると、ある女性が実験を行った。ショートムービー「抖音」(ドウイン)に新しいアカウントをつくった。そして、自分は60歳だという前提で、中高年が好きそうなムービーだけに「いいね」をつけることを繰り返していった。
そして、1時間、彼女はこれまでに見たことがなかった世界に入り込むことになった。表示されるムービーは、中高年が中国茶を飲んで感想を述べているものばかりになり、コメントも明らかに中高年のものばかりになった。若者が好きそうなダンス映像などまったく出てこなくなってしまった。
アルゴリズムが利用者の属性を判断して、好ましいと思われるムービーを配信するのは当然としても、コメントまで同類の人のものばかりで埋めつくされる。まったく、中高年の繭の中に踏み込んでしまったかのようだったという。
コメントの表示順も何らかの操作がされている
抖音や快手(クワイショウ)では、利用者が自分で、コメント欄の表示順を変える機能は用意されていない。そして、人によって表示されるコメントが異なっていることはもはや間違いがない。しかも、よく見てみると、「いいね」の数の多さ順に並んでいるわけでもないのだ。いいねの数が少ないコメントでも、上位にきていることがよくある。何らかのアルゴリズムにより決められていることは間違いがない。
抖音や快手が表示をするムービーだけでなく、コメントですら機械学習により利用者と属性や感性が近い人のコメントを上位に表示させていることはあり得る。利用者は、自分が好きなムービー、自分が共感できるコメントに囲まれて、情報の繭で快感を感じることができ、それが中毒性を生むことになり、利用時間が伸びていく。もちろん、抖音や快手がアルゴリズムでそのような操作をしているかどうかについては今のところ、何の確証もない。
ニワトリを見たか?
SNSでは「ニワトリを見たか?」という言葉が流行し始めている。これは、ドイツの映画監督ジークフリート・クラカウアーの「映画の理論」という著書の中に出てくるエピソードに基づいている。ある映画監督が欧州の街を題材にした短編映画をつくり、映画を見たことがないアフリカの先住民に見せてみた。映像には高層ビルや夜の照明など近代的なものが映し出されているが、先住民たちはまったく興味を示さなかった。しかし、その映画に一瞬だけニワトリが映り込んだ。すると、先住民たちは喜び、ニワトリについて楽しそうに話を始めた。
つまり、人は見たいものしか見えない。おまけにこの短編映画を撮影した映画監督は、自分の映像にニワトリが写っていることに気がついていなかった。同じ映画を見ても、ある人にとってはバービーの映画だが、別の人にとってはオッペンハイマーの映画になってしまうのと同じことが起きる。
井の中の蛙はインターネットを発明した
さらに、SNSでは現代版「井の中の蛙」というおとぎ話も生まれた。井の中にいた蛙が、外の世界はどれほど大きいのか知りたいと思い、インターネットを発明した。インターネットで世界の大きさを測ろうとすると、同じ井の中にたくさんの蛙の仲間が暮らしていることに気がついた。そして、蛙たちはインターネットを使って議論を始め、ひとつの結論を出した。「世界の大きさはこの井戸の大きさに等しい」というものだった。
アルゴリズムに支配されるインターネットの世界に疑問を感じ始める人たちが現れ始めている。