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シェアリング自転車の明暗。1位の創業者は破産寸前。2位の創業者は大金を得てイグジット

2016年から2018年の間、新しいビジネスとしてシェアリング自転車が注目をされ、大量の投資資金が流れ込んだ。シェア1位のofoは現在破綻をし、創業者は億万長者から転落をした。2位のMobikeは美団に売却され、創業者は300億円のお金を得てイグジットした。対照的な結果になっていると鬼谷子思維が報じた。

 

1位の創業者は、億万長者から破産寸前に転落

2016年から2018年にかけて、中国で激しい競争をしたシェアリング自転車サービスの「ofo」(オーエフオーまたはオッフォ)と「Mobike」(モバイク)。ofoは結局破綻をし、創業者の戴威(ダイ・ウェイ)は、現在返済方法を模索している最中で、資産はすべて裁判所の管理下に置かれている。生活費として支出できる額は制限され、飛行機のビジネスクラスに乗るのにも裁判所の許可が必要な状態になっている。北京大学の学生だった戴威はわずか数ヶ月で億万長者になったが、わずか数年で莫大な借金を抱える身となった。

▲シェアリング自転車1位2位の創業者である戴威(左)と胡瑋煒(右)。同じビジネスで競争しながら、現在の境遇は対照的だ。戴威は裁判所の個人資産を管理される破産寸前の状態。胡瑋煒は大金を得て、第2の人生を楽しんでいる。

 

普通の女性がわずか3年で億万長者に

一方、Mobikeの創業者、胡瑋煒(フー・ウェイウェイ)は、Mobikeを美団(メイトワン)に売却したことにより、15億元(約290億円)の資産を持つ身となり、戴威とは好対照になっている。

胡瑋煒はごく普通の女性で、社会に出てからは月給3000元(約5.8万円)で、北京市内を転々とする北漂族(北京漂流族)だった。ごく普通の女性がわずか3年で富豪と呼べる身分になったことから、多くの女性の関心を集めている。

 

10年働いても、家も車も買えない

胡瑋煒は、1982年に浙江省東陽市郊外のごく普通の農村家庭に生まれた。両親は農業に従事をし、農閑期には東陽市周辺の木工工場で働くという家庭だった。胡瑋煒の才能もごくごく一般的な普通の子だった。運命を変えるには優れた大学を卒業する必要があると思い、勉強に熱中をした時期もあったが、成績は中位のままだった。

2001年、胡瑋煒は浙江大学の都市学部に進学をし、メディア学を専攻する。この都市学部は、浙江大学杭州市が共同して設立した教育機関で、学位が授与できるようになったのは2012年のことで、胡瑋煒が入学をした時は専門学校だった。

そこでも胡瑋煒は普通だった。高校までは、国語の成績がよく、作文は教師から褒められることも多かったが、浙江大学にきてみるとたいして目立つわけでもない。

卒業後は、地方都市の杭州市ではなく、大都市である北京市で仕事を得ようと、北京市に引っ越し、職を探した。いわゆる北漂族となった。

大量の履歴書を送り、ようやく「毎日経済新聞」の職を得て、自動車産業担当の記者となった。それから「新京報」「商業価値」「極客公園」とメディアを転々とし、10年間、記者を務めた。

それでも給料は低いままで、家も車も持っていなかった。北京で仕事を続けることに疑問を持つようになり、北京に居続けるには会社員では無理だと感じるようになった。そして、32歳の時に、それまで貯めた15万元(約290万円)を元手に、メディア「極客汽車」(ギーク・カー)という自動車専門メディアを立ち上げた。資金にも限りがあるので、オフィスは、胡同の中にある民家の一室だった。

 

取材を通じた出会いが人生を変えた

極客汽車は、自動車の先進テクノロジーや未来の自動車を伝えるメディアだ。その中で、スマート自転車を設計している陳騰蛟(チェン・タンジャオ)と知り合った。陳騰蛟は清華大学美術学部で交通車両の造形デザインを専攻し、日産インフィニティでデザイナーをしていた専門家だ。

陳騰蛟はその時、スマート自転車のデザインをしていて、胡瑋煒はそれに魅入られてしまった。そこで、やはり取材で知り合った蔚来汽車(ウェイライ、NIO)の創業者、李斌(リ・ビン)に意見を求めた。このスマート自転車をレンタルするビジネスの見込みはどうかと尋ねたのだ。すると、李斌は悪くないと答えた。いずれ、電気自動車(EV)が主流にはなるが、公共交通の最後の1kmを補う手段として悪くない。規模は大きくなるとは言えないが、ビジネスとしてはじゅうぶんに成立するというような内容だった。

▲胡瑋煒は、ごく普通のメディア記者だったが、Mobikeを創業し、わずか3年で億万長者の身となった。

 

レンタル自転車の不便さを解消すれば上手くいく

胡瑋煒は、自分の経験からも、このビジネスはうまくいくのではないかと感じた。この頃すでに地方政府が公共交通を補う手段として低価格で自転車がレンタルできるサービスを始めていた。しかし、どれもが使いづらかったのだ。

杭州市に出張をした時に、レンタル自転車を使おうとしたが、時間が早かったせいか、カードを発行する窓口が開いていなかった。目の前に自転車はあるのに借りることができなかった。

上海市ではレンタル自転車を借りることができたが、カードの発行に手間と時間がかかった。また、借りた自転車は借りた場所に返却しなけれならず、移動ツールとして使うことができない。しかも、拠点の数が少ないので、そもそもレンタルできる場所を見つけるだけでも手間がかかる。自転車を借りられる場所を探すために、自転車に乗って探し回ることが必要なほどだった。

陳騰蛟のスマート自転車なら、スマートフォンで自転車のIDを読み込むことで貸し出しをすることができる。李斌が言うように、どこでも借りることができ、どこにでも返すことができるレンタル自転車があれば、多くの人が便利に感じてくれるのではないか。李斌は「モバイルフォン」を文字って「モバイルバイク」という言葉を使った。胡瑋煒は、ここから「モバイク」というブランド名を思いついた。

李斌はNIOの仕事が忙しいため、胡瑋煒に起業することはできないが、問題が起きたらいつでも相談にきてほしいと言った。

 

モバイク創業、美団に売却

2015年1月、李斌が146万元(約2800万円)を出資して、モバイクが創業した。そして、同時期にofoが登場し、両社は競い合うようにして成長をしていった。競争が激しくなり、資金不足に陥ると、李斌が投資家や投資会社を紹介してくれる。さらには美団(メイトワン)の創業者、王興(ワン・シン)が支援を申し出てきた。そして、最終的に2018年4月、モバイクは美団に売却をされることになる。買収額は27億元で、胡瑋煒は15億元の大金を手にすることになった。

この一件は、15万元の資産の女性が、わずか3年で15億元になったと話題になった。

▲2018年には、シェアリング自転車各社が過剰に自転車を投入したため、街のあちこちに自転車の墓場が出現し、大きな社会問題にもなった。

 

好機を逃さなかった「普通の女性」、胡瑋煒

胡瑋煒が成功できたのは、デザイナーの陳騰蛟、NIOの李斌と知り合えたことが何よりも大きい。このため、彼女の成功はたまたま幸運に恵まれただけだとみなす人もいる。しかし、李斌が彼女を信頼したのは、知り合いだからではなく、彼女のビジネスアイディアに見どころがあったからであり、その後、出資をしたのは大きなリターンが得られると判断をしたからだ。

好機を活かせた人は幸運だと言われる。好機を活かせなかった人は不運だと言われる。幸運も結局は本人次第なのだ。