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KFCはなぜマクドナルドより多いのか。ますます熱くなる中国バーガー戦争

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今回は、中国のファストフードチェーンついてご紹介します。

 

中国のファストフードは、世界の他の国と同じように、マクドナルドとケンタッキーフライドチキン(KFC)がリードをしています。メディア「DT財経」のアンケートによる人気調査によると、その後にバーガーキングが続き、蘭州ラーメン、沙県小喫と中華系ファストフードが続きます。

しかし、他の国と違っている点が3つあります。マクドナルドは世界3.9万店、KFCは世界2.0万店となっており、どこの国でもマクドナルドがリードをしており、KFCはやや少なめというのが一般的です。しかし、中国では2023年8月現在、KFCが10040店舗、マクドナルドが5455店舗と、ダブルスコアに近いほどKFCが多いのです。中国はファストフード業界をKFCがリードするという珍しい国になっています。

もうひとつ、中国で大きく違うのがKFCとマクドナルドは直接のライバルであるということです。日本の場合は、KFCとマクドナルドが直接のライバルという感覚はピンときません。KFCはやはりチキンを食べにいくところで、マクドナルドはハンバーガーを食べにいくところです。ところが、中国ではKFCのチキンバーガーも人気で、マクドナルドでもチキンクリスプ(チキンサンド)が人気なのです。かなり重なる部分があり、ネットではKFC派とマック派に分かれてどちらが美味しいか議論が白熱していることも少なくありません。

そして、3つ目が、国内系のハンバーガーファストフードが、KFCとマクドナルドの脅威になってきているということです。地方市場を中心に低価格で展開をする「華莱士」(ホワライシー、Wallece)は店舗数1万6514店で、売上はともかく、店舗数では西洋ファストフードNo.1になっています。KFCの1.5倍以上の店舗があるのです。もうひとつ、脅威になっているのが「塔斯汀」(タースーティン、tasiting)で、中国の伝統食である肉夾モーからヒントを得て、中華と洋食を融合したような新しい感覚のハンバーガーを武器に5445店と、もう少しでマクドナルドを抜くところまできています。

 

なぜ、マクドナルドよりKFCの方が店舗が多いのでしょうか。味の点ではマクドナルドに軍配をあげる人が多いように思います。しかし、マクドナルドは店舗が大都市中心になっています。一方、KFCは地方にまで店舗があり、チキンが美味しいために人気があります。また、最近ではSOE(シングルオリジンエスプレッソ)を9.9元というコンビニコーヒーよりも安い価格での販売を始め、カフェとしても利用する人が増えています。

一方、マクドナルドは味の点では人気があるのに、大都市中心で地方にはあまり進出していません。この戦略の違いは、面白いことに両社の創業時の考え方が影響をしているのです。

 

KFCとマクドナルドが生まれたのは、1930年代に米国で起きた世界恐慌が関係をしています。この世界恐慌の前に起きたのがモータリゼーションです。1908年に有名なT型フォードの生産が始まり、中産階級でも自動車が持てるようになりました。世界恐慌が起きる直前には、ゼネラルモーターズGM)が分割払いの自動車ローンを導入し、フォードを追い抜いて世界一の自動車企業になっていました。

これに伴い、米国中に舗装道路網が広がり始めました。すると、その道路の脇にはガソリンスタンドが生まれます。

この時には、シアーズ・ローバックのメールオーダーという仕組みがありました。カタログを見て郵便で注文すると、近所の拠点や自宅まで届けてくれるというアナログ版ECです。配達までの時間はかかりますが、すでにアマゾンそっくりの仕組みがあったのです。このシアーズ・ローバックでガソリンスタンドのスターターキットが販売されていました。ガソリンタンクと給油装置、簡単な事務所のプレハブキットもあります。さらに、ガソリンの定期的な供給もサブスク方式で申し込めるようになっていました。

当時の米国は、びっくりするぐらい最先端だったのです。日本では昭和の時代が始まるあたりのことです。

 

近所に舗装された街道が通ったら、メールオーダーでガソリンスタンドのキットを購入し、土地の権利者と話をつければ、ガソリンスタンドがオープンできます。自動車の普及とともに米国中を旅するディスカバーアメリカ的なブームもあって、儲かったと言います。

ガソリンスタンドの経営者は、ガソリンを売るだけでなく、人間のエネルギー源である食事も売ろうと考えるのは自然な発想です。このようにしてドライブインが誕生しました。ドライブインというのは、本来は「ドライブしたまま入れる」(drive-in)飲食店で、駐車場に停めるとカーホップと呼ばれるウェイトレスが注文をとりにきます。そこで注文すると、料理を車まで持ってきてくれるので、車の中で食べるというのが基本です。当時は、車が自分のパーソナルな空間になっていて、車の中で食べたいというニーズが強かったのです。これは、ドライブインの経営者にとっても都合のいいことでした。客席を用意する必要がなく、厨房と駐車場とカーホップのアルバイトを用意すればドライブインが開けます。

地方では、今日のファミレスの原型になるようなドライブインレストランも生まれました。客席がある本格レストランで、落ち着いて食事ができる施設です。このような施設では次第に宿泊ができるモーテルも併設するようになり、ドライブイン(drive-inn、innは旅館の意味)の原型ができあがっていきました。

 

KFCの創業者であるハーランド・サンダース(カーネルは名誉大佐の称号)もこのようなドライブインの経営者でした。サンダースは13歳で独立をして鉄道職員や保険外交員、弁護士などの仕事をしました。しかし、血の気が多い人で失敗も多かったそうです。法廷では、依頼人と殴り合いをするもめごとを起こしています。

1930年、サンダース40歳の時に、ケンタッキー州ノースコービンの国道25号線沿いのガソリンスタンドを購入し経営を始めます。ガソリンスタンドの物置を改造してダイニングテーブルを置き、ステーキやハムなどの料理も提供しました。しかし、大恐慌時代でもあり経営は芳しくなかったようです。

そこで、国道沿いに看板を出すなどさまざまな工夫をしました。ところが、ライバルであるガソリンスタンドの経営者が、その看板をペンキで塗りつぶしてしまいます。その経営者は、サンダースの看板のおかげで、自分のスタンドへくるお客が減ったと感じたようです。

サンダースは猟銃を持ち出し、従業員の2人を連れ、ライバルの経営者のところへ苦情を言いに行きます。向こうも猟銃を持ち出してきて、激しい銃撃戦となりました。ライバルの経営者は肩を負傷、サンダースの従業員は死亡するという大きな事件となりました。結果、ライバルの経営者は刑務所に入ることになり、ガソリンスタンドは閉鎖。これにより、サンダースのガソリンスタンドは経営が安定したということです。

 

サンダースは、ガソリンスタンドで出す料理に、ケンタッキー州ではポピュラーだったフライドチキンを加えました。しかし、ひとつ大きな問題がありました。それは油をたっぷりと入れたフライパンにチキンを入れ、トングで転がしながら調理をしますが、中まで火が通るのに35分もかかってしまうことです。ドライブインで食事をするお客さんは料理が出てくるまで35分もかかる料理は注文してくれません。

一方、深鍋に油をたっぷりと入れ、チキンを沈めて揚げるようにすれば5分ほどで調理ができます。しかし、そのような調理法でつくったフライドチキンは、肉がパサパサになり、硬く、中まで火が通らないこともありました。

1939年、サンダースが注目したのが新しく発売された圧力鍋でした。水を入れておくと、水蒸気で圧力があがり、肉などを短時間で柔らかく調理ができるというものです。ここに油を入れて、フライドチキンが短時間でつくれないかと考えたのが、KFCの始まりになります。

これはたいへん危険な調理法でした。圧力鍋の閉じが弱いと、爆発をして沸騰した油が飛び散ります。そのため、圧力鍋も改良が必要でした。さらに、11種類のハーブとスパイスを使ったオリジナルレシピも考案し、ケンタッキーフライドチキンが完成しました。

サンダースは、自分のドライブインレストラン「サンダース・コート・アンド・カフェ」でチキンを出すだけでなく、このチキンの製法そのものを販売し始めました。調理法を教える代わりに、チキン1個を販売するたびに4セントを支払ってもらうという契約でした。

この原始的なフランチャイズに加盟をしたのが、ユタ州サウスソルトレイクでレストランを経営するピート・ハーマン(KFCの共同創業者)です。ハーマンのレストランは、わずか1年で売上が3倍以上になり、その上昇分の3/4がフライドチキンの売上でした。また、後にウェンディーズを創業するデイブ・トーマスもこの時に加盟店契約を結んでいます。その後、ビジネスパーソンであるジョン・ブラウンと、投資家ジャック・マッシーが加わることで、KFCは米国を代表するファストフードチェーンに育っていきます。

KFCのフランチャイズの特徴は、料理が軸になっています。

 

一方、同じ時期に生まれたマクドナルドは、考え方が少し違っています。マクドナルドは、マクドナルド兄弟が1940年にカリフォルニア州サンバーナーディノで始めたドライブインレストランが始まりです。カーホップが料理を運び、車の中で料理を食べる典型的なドライブインです。

しかし、やはり経営難に悩みます。そこで、マクドナルド兄弟は徹底的にコストダウンすることを考えました。

まず目をつけたのが、カーホップを廃止して、お客が車を降りて、カウンターにまで料理を取りにくるセルフ方式でした。カーホップは若い女性であることが多く、客の中にはカーホップ目当てで通ってくる人もいます。それはいいのですが、問題は料理を届ける時に、カーホップが長々とお客とおしゃべりをすることでした。楽しくおしゃべりをすれば、チップをもらえることもあり、カーホップは喜んでお客さんの話し相手になります。しかし、料理はなかなか運んでもらえず、非常に効率が悪いのです。これを廃してセルフ方式にすることにより、効率を高めようと考えました。

次に考えたのが、SKU(Stock Keeping Unit、商品種目)を徹底的に削減することでした。メニュー項目が少なくなれば、食材の仕入れ、オペレーションが簡素化され、コストが削減できます。それまでのドライブインでの人気メニューから、上位3種類に絞り込むという大胆な削減をしました。すると、上位3位は、ハンバーガー、フライドポテト、シェーキだったのです。こうして、マクドナルドはハンバーガー専門店に衣替えをすることになりました。

 

カーホップを廃止して、セルフ方式にしたのはいいのですが、来店客が車を降りて、カウンターで注文をして、それからハンバーガーができるのを待つというのはあまりにもユーザー体験が悪いものでした。そこでマクドナル兄弟は、いかに早くハンバーガーをつくり短時間で提供するかの工夫をしました。バスケットコートにチョークでキッチンの絵を描き、2人でストップウォッチを持ってシミュレーションをしてキッチンの設計を考えたというのはあまりにも有名な話です。

これが完成をし、マクドナルドは世界初のファストフードとなりました。しかも、マクドナルド兄弟は950ドルの参加料で、この秘密を教えるセミナーを開催したのです。その中にはタコベルの創業者グレン・ベル(最初はハンバーガー店を経営し、後にメキシコ料理にピボットします)、バーガーキングの創業者マシュー・バーンズとキース・クレイマーもいました。マクドナルド兄弟はファストフードを発明したと言っても過言ではありません。

つまり、マクドナルドはシステムを販売したのです。ここがKFCと大きく違うことです。KFCは料理を軸にしたフランチャイズマクドナルドはシステムを軸にしたフランチャイズなのです。この違いが、中国という巨大市場でも戦略の大きな違いとなってきます。

今回は、KFCとマクドナルドが、中国市場でどのように戦ってきたかをご紹介します。そして、どのようなライバルが中国国内から生まれてきているのかについてもご紹介します。

 

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