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累計陽性者4300人で乗り切った上海市。過去のA型肝炎の大失敗に学んだ上海市政府

人口2700万人という巨大都市の上海市は、新型コロナの陽性者数が累計で4300人、その多くは海外、市外からの流入というほぼ無傷で乗り切ることができた。その感染予防策の成功には、過去にA型肝炎での大失敗があり、それに学ぶことができたからだと紅団団医生Lynnが報じた。

 

ほぼ無傷で乗り切った上海市

ゼロコロナ政策を続ける中国だが、感染予防対策は原則として省、市などの地方政府が実施をするため、具体的な対策は地域によって異なっている。その中で、中国人にどの地方政府の感染対策が優れているかと尋ねると、10人のうち9人は上海市だと答える。

上海市の累計陽性者数は4300人程度。これは1日ではなく、今までの累計だ。死亡者も累計で7人しかいない。しかも海外からの流入が4000人近く、上海市以外からの流入が100人ほどいる。つまり、市中感染がほぼ起きていない。

さらには、多くの人が外出を自粛したために、飲食店や商店などは打撃を受けているものの、一般商店や公共施設は営業制限などをせずに乗り切っている(飲食店では人数制限などを行った)。人口2700万人の巨大都市で奇跡的なことだ。

上海市がこれだけ見事に対応できたのには、過去2回の大きな感染拡大を経験し、失敗と成功をしてきた経験があり、それが活かされたからだ。

 

貝から感染したA型肝炎

1988年、上海市では感染症が31万人に拡大するというアウトブレイクを経験している。

1988年の1月、春節を迎えた上海市で、アサリに似たサルボウガイの価格が安くなり、多くの人が争って購入した。焼いて食べると美味しい。

しかし、食べた人が熱が出て、腹を下し、脱力し、顔が黄色くなるという症状に見舞われた。すぐに病院に行くと、医師は顔を見るなり、肝炎ではないかと気がついた。小水の色も醤油のように濃くなっている。医師は感染症である疑いが濃いと考えすぐに入院させた。そして、精密検査をするとA型肝炎であることが判明した。

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サルボウガイは上海人の好きな食べ物だった。しかし、A型肝炎の感染拡大があってから、ほとんど食べられなくなっている。

 

原因が確定できず、食中毒との注意喚起が裏目

前年の1987年12月中旬、上海市の公衆衛生担当である謝麗娟副市長は、不穏な予兆を感じていた。上海市衛生局の王道民局長から電話が入り、病院に腹を下した患者が殺到している。ただごとではないという報告が入ったからだ。謝麗娟副市長はすぐに問題の病院に急行した。原因を調べると、患者のほぼ全員がサルボウガイを食べていることがわかった。

さらに患者の排泄物から赤痢菌が発見された。サルボウガイの生息している地域の河川からも赤痢菌が発見された。しかし、同時に医師は、症状は肝炎であることから混乱をしていた。この感染症の原因がどちらによるものかはともかく、サルボウガイに原因であることは間違いなかった。

すぐに上海市は、各市場、商店にサルボウガイの取引を禁止し、在庫として保存されているサルボウガイは地中に埋めて処分をするように命じた。さらに1988年1月5日には、新聞でサルボウガイを食べるのは危険であると公告を出した。

しかし、この時は、感染症の原因が確定をしていなかったため、「食中毒」と称して公告を出した。このため、業者の対応に甘さが出てしまった。新鮮なサルボウガイならだいじょうぶだと考えて、隠れて販売をする者も現れ、処理をする業者も地中に埋める作業を人に頼んでしまう。頼まれた業者は、新鮮だからだいじょうぶだと考え、家に持ち帰って食べてしまうという事態も発生した。

赤痢菌とA型肝炎ウイルスが同時にサルボウガイを汚染していたのも不幸なことだった。赤痢は潜伏期間が1日から3日、しかしA型肝炎は1ヶ月もある。しかも、当初は食中毒として公告されたため、食べて数日してなんともない様子を見て、新鮮なサルボウガイであれば問題がないと考える人もいて、このような人が1ヶ月後の1月にA型肝炎アウトブレイクを起こすことになる。

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▲テレビ番組でA型肝炎の感染拡大を振り返る謝麗娟氏。この時の失敗が、後に大きな経験となった。

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上海市はすぐに注意喚起をおこなったが、原因が確定をしていないため「食中毒」として注意をしたため、市中での対応が甘くなり、大きな感染拡大に結びついてしまった。この失敗が、上海市にとって大きな経験となっている。

 

あらゆる場所を病床に。医療崩壊始まる

1988年1月18日には、新聞でA型肝炎の危険性を告知したが、すでに遅かった。18日は43人の新規患者が発生したが、27日には1日で5467人の患者が発生した。2月1日には1万9000人を突破した。

わずか半月で患者は4万人を超えたが、上海市の病床は5.5万床しかない。医療崩壊が起きることは確実だった。上海市伝染病医院には290床のベッドがあったが、すぐに足りなくなり、病院の会議室、浴室、礼拝堂、自転車置き場、さらには廊下まで使ってベッドをつくった。これで1000以上のベッドを用意したが、すぐに満床になってしまう。

市民は、家族のために入院手続きをしたいと病院に長い行列を作るようになり、市内は混乱の様相を呈してきた。

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▲1月になってようやく原因が確定し、A型肝炎であるとの注意喚起が行われた。しかし、遅きに失した。

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▲原因が確定をしていなかったため、食中毒としての注意喚起をおこなった。この甘さがアウトブレイクを招き、病院に人が殺到し、市中は混乱をしていくことになった。

 

隔離にすべてのリソースを集中

謝麗娟副市長は、基本対策は隔離だと現場に檄を飛ばした。隔離さえきちんと行えれば、感染の拡大は止まる。

そこで、病院のベッドが満床になり、医療崩壊をしているのであれば、あらゆる施設を活用して隔離施設に転用した。治療はできなくてもまずは隔離を発症から24時間以内に行うことが最優先された。

国営企業には倉庫などを提供するように呼びかけ、地区の集会場、ホテルなどが次々と隔離施設になっていった。さらに、建設が済んでいるのにまだ入居されていない集合住宅、春休みの学校の教室や学生寮も活用された。

最終的に隔離施設は1254カ所、病床数は11.8万床、また自宅療養が2.9万人となり、発症した患者の完全隔離に成功した。また、このような隔離施設に対応するために、多くの医療従事者が動員された。当時、上海市には10万人の医療従事者がいたが、そのうちの6万人が何らかの形でA型肝炎の治療に関わっている。

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▲あらゆる場所にベッドが設置され、病床または隔離施設となった。医療従事者も総動員され、全医療従事者のうちの6割が何らかの形でA型肝炎の治療に携わった。

 

A型肝炎の経験から疾病センターを設立

2月15日には患者数がピークアウトし、2月23日には新規発症者数も1桁に落ち着き終息が見えてきた。結局、A型肝炎の感染は患者数31万人、死亡者32名で終息することができた。感染を早い段階で終息させることができ、他都市への飛び火も防げた理由は、リソースが不足をする状況の中で「隔離」という一点に絞り、これを徹底させたことだと評価されている。

また、上海市はこの経験から、衛生促進委員会を発足させ、不衛生な環境の対策に乗り出した。同時に上海市疾病センターを設立し、アウトブレイクが起きた場合は、この疾病センターが中心となって対応することが定められた。この手立てを打ったことが後々活きてくる。なお、これ以降、上海市民はサルボウガイをあまり食べなくなった。

 

SARSを発症者8人、死亡2人で乗り切った上海市

2002年12月10日、春節まであと45日という日、広州市の飲食店のコックが突然発熱をした。病状は重く、入院をし、転院を何回か繰り返した後、約1ヶ月で回復をし、退院することができた。このコックは、退院をしてから、実はSARSという病気だったことを知らされた。SARSは北京、広東省、香港などでクラスターが発生して感染拡大が始まった。患者はあっという間に1000人を突破し、しかもその多くが、医療従事者だった。

しかし、当時の人口が1700万人という大都市であった上海市は、発症者がわずか8人、死亡は2人で乗り切ることができた。しかも、医療従事者の感染はゼロ、クラスターも発生しなかった。

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SARSの時も、徹底した消毒が行われた。SARSの時も、新型コロナの時も、感染予防策の基本は変わっていない。

 

監視網を発動し、濃厚接触者を徹底隔離

上海市には1988年のA型肝炎アウトブレイクの経験があったために、SARSへの対応が早かったことが最大の勝因だ。上海市疾病センターは、上海市で初めての症例が出る2ヶ月前から対策を始めていた。しかも、広東省や北京でアウトブレイクが先に起きたため、情報をじゅうぶんに収集して分析することができた。以前から定められていた疾病監視網を発動した。市内の病院など508カ所に、24時間ごとにSARS患者の発生を報告させるというものだ。

4月2日、上海市で初めてのSARS患者が捕捉されると、疾病センターのスタッフが夜の10時に、住民にわからないように発生現場に向かい調査を行った。さらに、4日の間に2例の患者が発生したため、疾病センターでは接触履歴の追跡を行い、濃厚接触者168人を特定した。患者はもちろん、濃厚接触者も入院させ、隔離をし、医学的な観察を行った。

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SARSの時も、陽性者が出たマンションが閉鎖されて外との行き来ができないという地区閉鎖隔離が行われた。2003年5月15日、隔離が溶けるのを門の前で心待ちにする住人たち。みな、疲れ切った顔をしている。

 

専門家委員が積極的にテレビで正しい知識を伝える

さらに、上海市衛生局は、20名の感染症の専門家を招集し、専門家委員会を設立し、感染状況の分析を行わせた。この委員会の報告により、上海市が対応策を決めていく。

この委員の一人である上海市伝染病医院の巫善明院長は、積極的にテレビ番組に出演し、SARSとはどんな病気なのか、どんな予防をすればいいのかを語り、正しい知識を伝え、デマの発生を未然に防いだ。

その中で、1988年のA型肝炎の時は、情報が不明確な中で感染拡大をしてしまったと素直に反省をした。そして、今回のSARS広東省や北京でのアウトブレイクの情報を分析できるため、A型肝炎のような感染拡大は起こらないと語った。これが多くの上海市民を安心させた。

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▲当時を振り返る上海市伝染病医院の巫善明院長。上海市専門家委員会のメンバーとしてテレビ番組に積極的に出演し、正しい知識を伝え、デマを未然に防ぎ、市民を安心させた。

 

マスクの増産、移動は自動車か自転車で

上海市は、SARSの流行により、マスクが不足をしてパニックが起きることを予防するため、さまざまな企業にマスク生産を依頼した。セメント生産企業の海螺集団もマスク生産を始め、1.5元という低価格で販売をしたため、市民から称賛されることになった。

さらに上海市は、公共空間の消毒を義務付け、飲食店の大人数での会食を禁止させた。また、市民には公共交通を使わず、自動車か自転車で移動するように呼びかけた。

このような対策により、上海市SARSに対してほぼ無傷で乗り切ることができた。

 

陽性患者ゼロの段階で調査員のトレーニングを開始

2019年12月31日、上海市疾病センターの潘浩氏は、1本の電話を受け取った。それは武漢市で原因不明の肺炎が発生しているというものだった。潘浩氏はすぐに武漢市の情報収集を始め、上海市の状況の確認作業に入った。

中には「武漢は上海から760kmも離れている」と言うスタッフもいたが、潘浩氏は叱責をした。上海から武漢までは高鉄でわずか2時間58分で行くことができる。3時間で感染症武漢から上海に到達すると叱責した。

夕方4時になって、監視網からの報告がまとまった。原因不明の肺炎の報告はなかった。

1月3日、上海市は、80名の濃厚接触者調査員の訓練を開始した。SARSと同じように、患者だけでなく、濃厚接触者をもれなく把握をし、隔離をすることが決め手になるという判断からだった。

 

初の陽性者、深夜に立ち寄り箇所を消毒

1月20日、ある中年女性が発熱したといって病院の診察を受けた。医者はその女性が上海市の健康保険証を出さずに、自費で診療を受けていることに疑問を持った。「上海の人ではないんですか?」と尋ねると、その女性は申し訳なさそうに「武漢です」と答えた。これが上海市で最初の患者となった。

医師は機転を効かせて、その女性を隔離入院させた。また、家族が2人付き添いできていたが、まだ感染をしていない可能性もあるので、2人を別々に隔離して経過を観察した。この情報は、数分で疾病センターに伝わり、疾病センターは夜中の3時に消毒チームを患者の家や立ち寄った虹橋駅などに派遣し、消毒を行わせた。

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▲コロナ禍での上海市の高鉄駅。マスク着用とソーシャルディスタンスは義務付けられたものの、公共施設や商店は営業制限などを受けなかった。

 

感染予防策は濃厚接触者を含めた徹底した隔離

上海市の感染予防対策が評価されているのは、1人でも患者が出たら、その濃厚接触者を調査し、隔離をするというやり方を徹底したことだ。これにより、マスクの着用や消毒は義務付けられたが、商店や映画館などの営業停止には至らなかった。多くの市民が飲食店や人が密になる場所を避けるため、経営的には苦しいとはいうものの、正常営業を続けることができた。商店は生き残りのために、宅配やデリバリーに積極的に対応をして、自ら工夫をして乗り切ろうとした。

上海市内は、ほぼ無傷でコロナ禍を乗り切っている。その理由は、早め早めに対策をとること、隔離というシンプルな手法を徹底することの2つだとして、中国市民から称賛されている。