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投資を受ける前に自分たちでやり失敗をすることが何よりも大切。滴滴創業者が語るスタートアップ企業の育て方

中国のライドシェア大手の「滴滴」(ディディ)。タクシー配車、ライドシェアの分野で圧倒的なシェアを握り、長い間、中国最大級のユニコーン企業と呼ばれてきた。しかし、その黎明期は、アリババの社員だった創業者の程維(チャン・ウェイ)が孤軍奮闘する手づくりスタートアップ企業だった。経済百説は、程維が講演で語った黎明期の滴滴の話を再掲した。

 

創業者は孤独ということを伝えたい

私は、創業してから3年間は、自分の経験を語ることはしないと決めていました。なぜなら、嘘をつくことになるからです。創業の目標が70点か80点達成できた時点で語れば100点だと言うことになりますし、50点か60点の時に語れば70点か80点だと言うことになるでしょう。

では、なぜ今回自分の経験を話すことにしたのかというと、これから創業することを考えている方に、あることを知っていただきたいからです。それは、創業者というのは孤独だということです。

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▲滴滴創業者の程維。大学卒業以降、保険の外交、足裏マッサージの店員などを経て、アリババに入社後に頭角を表し、滴滴を創業した。

 

起業の第一関門は周囲の反対

私はアリババに勤めていて、滴滴を創業しようと決めてからも、9ヶ月の間、アリババに勤めたままでいました。今から思うと、起業しようという気持ちはそれほど強いものではなかったように思います。

アリババ時代、本社のある杭州市と北京市で仕事をすることが多く、タクシーがつかまらずに好機を逃すことがたびたびありました。私の故郷である江西省から親戚が北京に遊びにきて、夜の7時に王府井で食事を一緒にすることにしました。5時半頃電話があって、今タクシーを探しているというので、レストランで待っていましたが、なかなかきません。ようやく8時近くになって、申し訳ないけどタクシーがつかまらないので、迎えにきてもらえないかと電話がかかってきたこともありました。

このような経験からタクシー配車アプリのビジネスを思いつきましたが、起業をしたいと周囲の人に相談をすると、みな、成功するかどうかわからないと反対します。それがあたりまえの反応です。これが起業するための第1の関門で、この関門を突破しなければ起業できません。

2011年当時、スマートフォンを使っているタクシーの運転手はほとんどいませんでした。それなのに、運転手用のアプリを開発して、どうするのだと言われました。しかし、このように市場の環境が整っていないからこそ、起業が成功するのです。今は、スマホも普及して、運転手も乗客もみなスマホを使っています。このような成熟した環境では、すでにタクシー配車アプリがたくさんあって、今、同じ起業をしても、まったくチャンスはなかったでしょう。

 

委託開発したアプリの出来が最悪

起業をする上で、2つの課題がありました。それはアプリの開発と、アプリを使ってくれる運転手の獲得です。私はアリババの営業職だったので、オフラインでのスキルしかありません。テック企業を創業するには、課題の95%は優秀なエンジニアを探すことだと思っていました。

しかし、ライバルの動向などから、どうしても2ヶ月間でタクシー配車アプリをリリースする必要があります。私には2つの選択肢がありました。ひとつは自前の開発チームをつくり、そこで開発をすること。もうひとつは外注をすることです。しかし、時間もないことから、外注を選択するしかありませんでした。

その中で、「e代駕」というアプリを開発していた北京億心宜行技術開発サービスという開発会社に目をつけ、話をしにきました。

「開発にはどのくらいのお金がかかるのでしょうか」と尋ねると、先方は「10万元、8万元、6万元の3つの選択肢がある」と言います。私は、技術的なこともよくわからず、真ん中の8万元コースを選びました。

しかし、2ヶ月にアプリが完成してみると、まったく使い物になりませんでした。タクシーを呼んでも、2回に1回しか見つからないのです。時間もなく、仕方ないので、なんとかタクシーが見つかる率を75%に上げてもらえないかと頼みました。

 

酒で酔わせて、アプリの導入を承諾させる

アプリの普及も難航しました。当時、北京には189社ものタクシー会社があり、私は2ヶ月で1000人の運転手にアプリを導入するという目標を立てていました。しかし、2ヶ月経っても、導入数は0のままでした。

都市を替えてみたらどうかと思い、仲間に深圳市でもアプリの営業をしてもらいました。しかし、結果は同じでした。北京でも深圳でも運転手から言われるのが、交通委員会の正式書類はあるのかということでした。タクシー配車のアプリを使うのに、交通委員会の許可を取る必要はないのですが、運転手たちは交通委員会が認めたこと以外はしないのです。

3ヶ月以上経って、ようやく成果が生まれました。昌平にある70台保有の小さなタクシー会社が、私たちの配車アプリを導入してくれるという話がまとまりました。後から知りましたが、その企業の担当者は私たちのアプリがどういうものかよくわかっていなかったようです。ただ、私たちの担当者と一緒にお酒を飲んで、それがあまりにも楽しかったので、酔っ払った中で「いいよ」と返事をしてしまったようなのです。それでも私たちのお客様です。あのことがなければ、今日の滴滴があったかどうかわかりません。今でも感謝しています。

それから1週間の間に、4社の導入が決まったのです。「あの会社が導入した」という実績ができたことで、状況が大きく変わりました。

 

導入数10台突破が、大ニュース

しかし、当時、100人の運転手のうち、スマホを使っているのは20人ぐらいです。1日に、滴滴のアプリを使ったタクシーは、北京市の中でわずか7台か8台ぐらいしかありません。本来は2ヶ月で1000人にするという目標を立てていたのです。

ある日、担当者が大喜びして私に電話をかけてきました。「今日は大きな進展がありました!なんと滴滴アプリを使ったタクシーが12台になりました!」というのです。そこまで苦しい状況だったのです。

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▲滴滴の最初のプロダクトはタクシー配車アプリ。アプリでタクシーが呼ぶことができ、運転手はアプリで乗客を見つけることができる。ウーバーに対抗して、ライドシェアを始め、中国市場に参入したウーバーを撤退に追い込んだ。

 

エンジニアをWeChatで探す

私は、同時並行で優秀なエンジニアを探すこともしていました。アリババ時代の同僚から、優秀なエンジニアの名前を教えてもらい、全員に会いましたが、話はまとまりません。テンセントや百度などで組織改変が行われると、何人かのエンジニアが転職を考えるようになります。そのような時に、テンセントや百度に行き、何人かのエンジニアとも会いましたが、これという人が見つかりません。

ある時、WeChatのグループでヘッドハンティングを仕事にしているという人と知り合いました。その人にエンジニアを探していることを伝え、希望するエンジニアの資質などを伝えましたが、1ヶ月間音沙汰はありませんでした。しかし、1ヶ月後にある人を紹介してくれました。それが後に、滴滴のCTOとなる張博でした。

会ってみると、私にも非常に優れたエンジニアであることがわかり、私たちのビジネスにも興味を持ってもらえました。私は興奮をして、アリババ時代の上司であり、エンジェル投資もしてくれた王剛に電話をして、「天からの贈り物だ!」と言ってしまったのです。まさに、人と人の出会いは縁なのだと思います。

 

天からの贈り物、CTOの加入でアプリの質も改善

張博は、アプリの問題を解決するのに、本来はゼロから作り直したがいいと言いましたが、時間もないことからソースコードを引き取って、問題のある箇所を改善していく作業を始めました。これにより、アプリの質はどんどん向上していったのです。

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▲現在の滴滴の運転手側のアプリ。地域が六角形のセルに分割され、色が濃い場所は需給ギャップが多い場所。運転手は現在地から、色の濃いセルに向かうと乗客を捕まえられる確率が高くなる。このようにして、タクシーの適正配置を行なっている。現在の滴滴は、データテクノロジーを駆使する企業になっている。

 

運転手から詐欺だと怒鳴り込まれる

私たちのビジネスモデルは、運転手から毎日アプリの使用料として3元を徴収するというものでした。お客が滴滴アプリからタクシーを呼ぶと、近くにいるタクシーにプッシュ通知が行き、お客の呼んだ位置に向かうとお客を拾うことができます。運転手は3元を払うことで、お客を探す手間が省けるのです。

しかし、ある日、ある運転手が滴滴に怒鳴り込んできて、「これは詐欺なのではないか」と叱られました。3元を払うと、1日に10数回、お客からの呼び出しがある。しかし、そこに向かってみると、お客はもう別のタクシーを拾っていて、1件も客を乗せることができない。本当にお客はいるのか?と怒っているのです。

 

美団創業者からゴミだと叱られる

ある時、美団(メイトワン)の創業者である王興に、滴滴のサービスを説明したことがあります。話を聞いてくれた王興に、滴滴サービスの感想を求めると、王興はただ一言「ゴミだ」と吐き捨てました。

私たちは、タクシー運転手に普及することばかり考えていて、お客に普及させることがおろそかになっていました。流量がまったく不足していたのです。王興は、運転手はなぜ3元の利用料を支払おうと思うのかと尋ねました。それは、滴滴アプリを使うと、お客がどんどん拾える。そういう状況があって、3元の使用料を支払うのだと説明してくれました。王興のおかげで、私は自分が何をすべきかがわかったのです。

 

タクシーに乗るサクラを雇う

その時、北京市内で、滴滴アプリを使って走っているタクシーの台数はわずか16台でした。この運転手たちは、お客が捕まらないのに、滴滴アプリを信用して使ってくれる。この16台を失ってはならないと思いました。

そこで、私は人を雇って、タクシーに乗る仕事を1日400元で行わさせました。いわばサクラです。人の多い場所で滴滴の宣伝ビラを通行人に渡し、滴滴アプリでタクシーに乗って、別の場所に行きビラを渡す。しかし、ビラはあまり効果が上がりませんでした。

 

ライバルのCMにタダ乗りする

2012年4月に、揺揺(ヤオヤオ)というライバルが登場してきました。揺揺は、セコイヤキャピタルとジェンファンドから350万ドル(約4億円)の投資を受けていました。私たちの創業資金はわずか80万元(約1400万円)でしかありません。資金力に圧倒的な差があり、普通のことをしていたら、滴滴は駆逐されていたと思います。

当時、テレビショッピングが人気で、揺揺はあるテレビショッピングの番組後に、2週間後に説明会を開くので、「説明会のお申し込みはこちらの電話番号まで」という広告を出していました。その出稿料は30万元であり、全部で資金が80万元しかない滴滴には対抗のしようがありません。

そこで、テレビ局に頼み込んで、「滴滴アプリをダウンロードしてください」という短い広告を揺揺の広告枠の後に流したのです。運転手は揺揺なのか滴滴なのかよくわからず、滴滴のアプリをダウンロードしてくれました。

 

公衆トレイの中にビラを巻く

タクシー乗り場のあたりでビラを配っても、すぐに捨てられてしまいます。いちばん効果があるのは、トイレの中に置くことでした。用を足している間、暇なので目の前の広告ビラを見てくれるのです。しかし、トイレの中にビラを置いたり、貼ったりすることは管理者から厳しく禁じられていました。場合によっては、通報されて警察沙汰になることもあります。

そこで、私たちは、トイレの前に立って、これからトイレに入る人にビラを配りました。ビラをもらった人は、トイレの中に捨てます。そこで、多くの人がビラを読んでくれるのです。

やれることはなんでもやりました。それででようやく、タクシー運転手だけではなく、一般の客の中にも滴滴アプリをインストールしてくれる人が増え始め、流量が増えていきました。

2012年の冬のある日、北京に大雪が降ったことがありました。その日、滴滴の注文が1日1000件を初めて突破しました。それがきっかけになり、「滴滴はタクシーを探さなくても、スマホから呼ぶことができる」という評判が広がるようになり、滴滴アプリが広がる大きなきっかけになりました。そういう運のよさも必要です。

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▲滴滴は長い間「中国最大級のスタートアップ企業」と呼ばれてきたが、昨2021年ニューヨーク証券市場に上場を果たした。しかし、その後、アプリが配信停止となり、滴滴は早くも上場廃止を考えなければならなくなっている。

 

投資を受ける前に自分たちでやり、失敗することが重要

起業をするには、ベンチャーキャピタルの力を借りる必要がありますが、彼らは、最も苦しい時に手を差し伸べてはくれません。私たちは、Aラウンド投資が決まるまで、投資機関の人とは会ったことがなく、自分たちの資金で苦労をしながら企業を育ててきました。それがよかったのだと思います。

どんな小さなことでも、人からは誉めらないようなことでも自分たちでやって、ビジネスを形づくり、それから投資機関の人から出資をしてもらったことで、その後は、急速に成長することができました。

この初期の間に、なんでもやってみて、失敗をして、最も優れた方法は何なのかを把握しておくことが最も重要なのです。企業は船であり、私は船長です。船長は船を捨てることはできません。私の寿命がきたら、滴滴はなくなるか、あるいは次の船長が、私の滴滴とはまったく違った船に改造することになるでしょう。