中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

独身の日セールで、アリババはいくら儲けたのか。ジャック・マー「赤字です」。ネット民「940億円!」

アリババだけで、2648億元(約4.1兆円)の売上をあげた今年2019年独身の日セール。その後のインタビュー取材で、創業者のジャック・マーが「アリババはまったく儲けていない。皆さんを楽しませるためにやっている」と発言して、話題になっている。アリババを称賛する人もいれば、そんなわけはないとジャック・マーの発言を疑う人までさまざまだと自冉が報じた。

 

独身の日セールは、アリババは赤字?

2019年11月11日のアリババの独身の日セールは、アリババのECサイト「Tmall」の売上が2648億元という過去最高を記録した。この日1日で、12.92億個の宅配便が発送された。

その後、アリババの創業者ジャック・マーは、中国第2位のECサイトでありアリババのライバルである「京東」の創業者、劉強東(リウ・チャンドン)とともに、中央電視台財経チャンネルの取材を受けた。その中で、独身の日セールについても語っている。

「実際のところ、11月11日のセールでは、私たちアリババは利益は出ていないのです。まったく儲けていません」

「11月11日のセールは、消費者のみなさんに楽しんでもらうためのもの、販売業者のみなさんに喜んでもらうためのもので、私たちにとっては技術をアップグレードし、組織とスキルをアップグレードするためのものです。ですので、毎年、11月11日には、大幅に技術をアップグレードしています。物流技術、決済技術、プラットフォーム技術などです」。

「実際のところ、11月11日はアリババにとってはものすごく疲れる日です。物流関係者も疲れるし、エンジニアも疲れるし、アリペイ関係者も疲れるし…」。

f:id:tamakino:20191225174327j:plain

▲2019年の11月11日独身の日セールは、2684億元という新記録になった。これはアリババのTmallだけの売上で、他のECサイトの多くが同日にセールを行う。もはや「独身の日」という言い方は廃れ、「購物狂歓節」と呼ばれるようになっている。

 

手数料収入は80億元、しかしキャンペーン費用は100億元

ネットでは、ジャック・マーの発言の「11月11日独身の日セールで、アリババはまったく儲けていない」という部分について、議論が起きている。アリババを称賛する声もあれば、実はしっかりと儲けているとする声もある。

アリババは2つのECサイトを持っている。ひとつはCtoC型EC「タオバオ」、もうひとつがBtoC型EC「Tmall」だ。タオバオは、出店料は無料、販売手数料も無料。しかし、それではアリババはマネタイズができないので、出店料などを徴収する代わりに、販売キャンペーンなどのサポートをする「タオバオ商城」を開設した。この「タオバオ商城」が2012年に「天猫(Tmall)」と改名され、独身の日セールにより、中国最大のECサイトに成長した。

Tmallでは、販売された商品の売上の0.5%から8%が手数料となり、アリババの収入になる。この手数料額は、契約によって異なるため、仮に平均して3%だとして計算をすると、2648億元×3%=約80億元(約1250億円)になる。これがアリババの利益だ。

一方で、アリババは独身の日のために、さまざまな広告をし、クーポンを発行し、さらに著名人を出演させるイベントを行う。これに100億元(約1500億円)はかかっていると言われる。

つまり、100億元を投資して、利益は80億元。赤字であり、確かにジャック・マーの「儲けていない」言葉はほんとうだということがわかる。

 

業者による広告出稿費や関連企業の売上がある

しかし、鋭いネット民たちは、販売業者も広告を出したり、クーポンを発行していると指摘する。独身の日セールには、どの販売業者も大々的に広告を打つ。Tmall内に広告を出せば、当然アリババの収入となる。さらにアリババは宅配企業「菜鳥」、クラウドサービス「アリクラウド」、動画共有サイト「優酷」「Tmall TV」などを傘下に置いている。11月11日前後には、このようなサービスの利用も増え、広告収入も大幅に増えることになる。

 

アリババの営業収入は年末に跳ねる

アリババの四半期レポートから、2015年からの営業収入をプロットしてみると、毎年第4四半期(10月ー12月)には、営業収入が跳ね上がることがわかる。

2018年第4四半期の営業収入は約1172億元で、次の2019年第1四半期の営業収入は935億元と、減少している。これは、当然ながら独身の日セールによる影響だ。一方で、純利益も約51億元減少している。ここから、2018年の独身の日セールの利益貢献率は50億元近くあったと推定できる。つまり、アリババは、独身の日セールによって50億元程度は儲けていたのではないかと推測することができると、ネット民たちは指摘している。

2019年の独身の日セールの売上は、昨年から26%も増えた。ということは、今年の独身の日セールで、60億元(約940億円)程度は儲けたと皮算用することができる。

確かに、ジャック・マーの言う通り、独身の日セール単体では設けていない。しかし、関連事業でしっかりと利益を確保しているようだ。

f:id:tamakino:20191225174322p:plain

▲アリババの近年の営業収入をグラフにすると、第4四半期が必ず跳ねている。純利益も同じで、第4四半期から翌年の第1四半期は50億元ほど減少する。つまり、独身の日セールによって50億程度儲けているではないかとネット民は推定している。

 

独身の日セール。売上シェア伸び率ではテンセント系の勝ち。立役者は拼多多

独身の日は、アリババが育ててきた一大セール。しかし、他のECも便乗して、11月11日にセールを行っている。2019年のセールでは、テンセント系ECの伸びが目立った。特に、拼多多が大きな成長を見せて、中国第2位のECサイトに育ってきたと界面新聞が報じた。

 

独身の日は、アリババ以外のECにとっても掻き入れ時

2019年の11月11日の独身の日セールは、Tmallの売上が2684億元(約4.2兆円)、昨年から25.7%増という好成績をあげた。

独身の日セールは、アリババが企画をし、11年に渡り築き上げてきた一大セールだが、当然ながら他のECサイトも便乗をして、11月11日に同様のセールを行う。

一方で、スマホ決済「WeChatペイ」を擁し、アリババの「アリペイ」のライバルであるテンセントは、11月11日に何をしているのだろうか。テンセントは、自社でECサイトを運営していないので、11月11日は無関係なのだろうか。

 

ECサイトはないものの、出資をしているテンセント

しかし、テンセントはさまざまなECサイトに出資をしている。持ち株比率は、京東の17.8%、拼多多(ピンドードー)の16.9%、唯品会(ウェイピンホイ)の8.7%になる。

アリババも多くのECサイトに投資をしている。63のEC関連業者に投資をし、全投資企業の11.21%を占める。EC投資が多いのは当然だ。自社の傘下に収めることで、シナジー効果を狙っている。

しかし、テンセントも61のEC関連業者に投資をし、全投資企業の7.18%がEC関連と、アリババに近い規模のEC投資を行っている。テンセントは、ECに関しては、自社で運営するのではなく、投資をするという戦略なのだ。

f:id:tamakino:20191218132502p:plain

▲2019年11月11日の各ECの売上シェア。青字のTmallと蘇寧易購の2つがアリババ系、緑字の京東、拼多多、唯品会の3つがテンセント系。シェアではアリババ 系が圧倒している。

 

売上シェアの伸び率ではテンセントの勝ち

このことを頭に入れて、独身の日セールの販売額シェアを眺めると面白いことがわかる。

Tmallが圧倒的に強いのは当然にしても、アリババ系、テンセント系で見てみると、アリババ系の売上シェアは70.4%、テンセント系の売上シェアは25.9%となる。

しかも、アリババのTmallは、昨年からシェアを2.4ポイント落としている。一方で、テンセント系の拼多多は3.1ポイント伸ばすという躍進をしている。

伸び率だけを見ると、テンセント系ECが好調で、アリババ系は不調だったことがわかる。ジャック・マーが、Tmallの売上について、記録を更新したものの不満が残ったと発言したのは、この伸び率の問題だ。

f:id:tamakino:20191218132507p:plain

▲しかし、各ECの売上シェアの昨年からの増減率を見ると、Tmallは2.4ポイントも落としている。一方で、テンセント系の拼多多は3.1ポイント増と大幅に伸ばしている。

 

ECの台風の目となっている「拼多多」

台風の目になっているのが、拼多多だ。拼多多は、一般に「まとめ買い激安ECサイト」と呼ばれ、「都市部よりも地方都市や農村部でよく利用される」とも言われる。一面正しいが、それだけだと拼多多の本質が見えなくなる。

拼多多の創業者である黄(ホアン・ジャン)は、杭州市の出身で、浙江大学を卒業後、ウィスコンシン大学に留学。そのままグーグルのエンジニアとなった。グーグル中国オフィスの立ち上げに参加するために帰国し、その後、起業をするために辞職。最初に起業をしたのは、MMORPGマルチプレイヤーRPG)の開発企業だった。黄は、このRPGのチームプレーをECに応用した。

f:id:tamakino:20191218132511j:plain

▲拼多多の創業者、黄。拼多多は「まとめ買い激安サイト」と軽く見られることが多いが、SNSとECを組み合わせた新しいタイプのエンタメECだ。黄は、コストコ+ディズニーランドなどのだという。月間アクティブユーザー数では、中国第2位のECに成長するなど、無視できない成長を見せている。

 

チームプレーで安く買い物をするエンタメEC「拼多多」

拼多多では、普通に買い物をすることもできるが、醍醐味は、テンセントのSNS「WeChat」を使って、商品を購入するグループを作ることだ。どうやってグループを作るかは、それぞれに任されている。商品のよさをアピールする、どうしてその商品がほしいかをアピールするなどして、不特定多数の人を集めてもいい。あるいは友人などの知り合いを集めてもいい。同じような購買傾向のある人でチームを作って、他のチームと連合してもいい。人数が集まれば集まるほど、特典が増えて、安く商品を買えることになる。

つまり、RPGのチームづくりとまったく同じなのだ。黄CEOは、拼多多のビジネスモデルを「コストコ+ディズニーランド」だと言っている。買い物にゲーム的な要素を持ち込んだ。

f:id:tamakino:20191218132514p:plain

▲拼多多アプリ。とにかく信じられないほど安い。購入者が増えれば増えるほど実質価格が下がっていく。WeChatを使って購入者を募って安くするなど、ゲーム的に楽しんでいる人も多い。

 

消費者がみずから広告とマーケティングを行う

これは販売業者からすると、広告とマーケティング業務を消費者に委託していることになる。自社は製造をするだけで、広告とマーケティングは消費者自身がやってくれて、大量の購入者を集めてくれるのだ。

このため、拼多多では商品を安く売ることができる。広告やマーケティングまで手を伸ばせない中小、零細業者にとっては、とてもありがたいプラットフォームだ。しかも、大量に売れる。

 

伸び率の高い地方都市から大都市へ進出

拼多多は、中国でも当初は「激安まとめ買いEC」と見られていて、都市部の人たちからは、場合によっては「貧乏人のECサイト」と言われることもあった。そのため、地方都市や農村のユーザーが中心になっていた。

しかし、都市部のEC利用はすでに飽和をして、頭打ちになっている。そのために、アリババなどは新小売というオンラインとオフラインを融合した新しい業態を模索している。

一方で、地方都市と農村のEC利用は現在でも伸び続けている。これにより、拼多多の売上は、頭打ち感の強いECの中で伸び続けているのだ。

さらに、拼多多のゲーム性が少しずつ知られるようになって、都市部でも「拼多多の隠れユーザー」が増えているという。

こうして、拼多多は、月間アクティブユーザー数では、京東を抜き、中国で第2位のECサイトに成長している。

f:id:tamakino:20191218132519j:plain

▲調査会社QuestMobileのデータによると、月間アクティブユーザー数では、Tmall+タオバオが頭抜けた1位だが、2018年6月以降、拼多多が京東を抜いて、第2位に浮上している。

 

SNSとECを組み合わせた新しいEC「拼多多」

拼多多のビジネスモデルの鍵になるのは、テンセントのSNS「WeChat」との連携だ。拼多多型のECをアリババが追従しようとしても、SNSを持っていないアリババは追従のしようがない。まさに、テンセントと拼多多がタッグを組んだことで、生まれた新しいタイプのECなのだ。

勢力図が固まったと見られている中国のEC業界だが、拼多多が台風の目になり、この勢力図が大きく変わるということはじゅうぶんにあり得る。

 

実在したアリペイさん。アリペイ公式雑貨店は大繁盛に

アリペイの中国名である「支付宝」という名前の人が山東省に実在する。支付宝さんは当初アリババを権利侵害で訴えることも考えたが、ジャック・マーの提案により、「アリペイ公式雑貨店」を出すことにした。現在では、観光スポットになって大繁盛していると熱点指南が報じた。

 

山東省に実在をしたアリペイさん

アリババのスマートフォン決済「アリペイ」の中国名は、「支付宝」(ジーフーバオ)だ。支付は支払いの意味で、支払いに使う宝という意味だ。

山東省沂南県に、本名が「支付宝」という人がいる。1962年7月7日生まれで、姓が「支」、名前が「付宝」だ。当然、生まれた時に名付けられたので、後からアリババの「支付宝」が登場したことになる。

f:id:tamakino:20191212124109j:plain

▲湖南衛星テレビの取材を受ける支付宝さん。兄は支付順、弟は支付発、妹は支付花という名前だそうだ。

 

弁護士に相談して訴訟を考えたアリペイさん

支付宝さんは、子どもの頃はスマホ決済の支付宝のことなどもちろん知らなかった。支付宝は存在しなかったからだ。しかし、2012年頃から、自分の名前である「支付宝」のことをよく耳にするようになった。しまいには、支付宝は生活に必須のサービスとなり、支付宝の名前を聞かない日はないぐらいになった。

支付宝さんは、当初迷惑だと感じた。自分の名前を断りもなくサービス名に使っていいのだろうかとも思った。そこで弁護士に相談をしてみると、名前の権利が侵害されている上に、生活上もいろいろと迷惑を被っているので、アリババを訴えるべきだとアドバイスされた。

 

ジャック・マーと面会することになったアリペイさん

支付宝さんは、弁護士のアドバイスに従って、アリババに対し、事情を説明し、問題を解決するため、まずは話し合いをしたいと連絡をした。すると、アリババ側から、アリババの創業者であるジャック・マーが対応するという連絡がきて、杭州市までの旅費を送ってきた。それで支付宝さんは、ジャック・マーと面会をすることになった。

f:id:tamakino:20191212124114p:plain

▲ジャック・マーの提案により、アリペイ公式雑貨店を出店した支付宝さん。身分証の拡大写真を掲げて、本当に名前が支付宝であることをアピールしている。遠方からの観光客も訪れ、店は大繁盛だという。

 

ジャック・マーの賢い提案

面会の場で、ジャック・マーはとても親切で、支付宝さんを歓待してくれた。そして、ジャック・マーはひとつの提案をしてきた。それは、支付宝さんは山東省の地元で雑貨店を営んでいるので、そのお店の名前を「支付宝公式商店」にしてはどうかというのだ。アリババが支付宝さんの名前の権利を図らずも侵害してしまっているので、アリババは「支付宝公式商店」という名前を支付宝さんが使っても異論を唱えないというのだ。

f:id:tamakino:20191212124118j:plain

▲アリペイ公式雑貨店を出店した支付宝さん。偶然、名前が支付宝だったために、思わぬ幸運を得ることになった。

 

大繁盛したアリペイさんの「アリペイ公式雑貨店」

支付宝さんは、その話に乗って、お店の名前を支付宝公式商店に改名した。すると、中国中から面白がって商品を買いにくる観光客が訪れ、みな、支付宝さんとの写真を撮りたがる。

店は繁盛し、支付宝さんは調子に乗って、自分の身分証の拡大写真パネルを作り、写真を求める人には、このパネルと一緒に写るようにした。

湖南衛星テレビの「天天向上」という番組が支付宝さんを取材し、放映されると、支付宝公式商店は、沂南県では有名な雑貨店になった。売っている商品は、ごくありふれた雑貨屋だが、支付宝さん人気でお客が絶えないのだ。支付宝さんは、番組の中で、ジャック・マーの人柄を誉め、自分は幸せ者だと語っている。

シヤチハタ おなまえスタンプ入学準備BOX(メールオーダー式) GAS-A/MO
 

 

6万人が整然と規制退場したアリババ年会。その秘密はブレスレット

杭州市オリンピックスポーツセンターで開催されたアリババ年会には6万人が参加をした。この6万人が整然と規制退場したのには、アリババが開発したスマートブレスレットがあったと技術小能手が報じた。

 

巨大施設の悩みは規制退場問題

アリババの20周年記念年会が、2019年9月11日に、浙江省杭州市の杭州オリンピックスポーツセンターで開催された。6万人のアリババ社員、関係者が集まり、ジャック・マー会長の勇退が発表され、また、この日はジャック・マーの誕生日でもあったため、お祝いのイベントが催された。

ところで、話題になっているのが、この6万人の参加者が、どうやって帰ったかだ。大型イベント施設が続々と誕生する中国で、退場の問題が次第にクローズアップされている。我先に帰ろうとするので、ボトルネックになる出入り口付近で渋滞をしてしまい、かえって退場するのに時間がかかるという状況が生まれている。

ブロックごとに退場させる規制退場も行われているが、そのことを理解していない人や、理解していても先に帰りたいという人が多数いて、規制退場がうまく進まない。国家的イベントでは、無数の警官やスタッフが通路に並ぶので、規制退場もスムーズだが、民間のイベントではスタッフにも限りがあり、イベント主催者は苦労をしている。

f:id:tamakino:20191216105456j:plain

杭州市オリンピックスポーツセンター。徒歩圏内に3路線の地下鉄駅があるが、それでもイベント終了後は周辺が混雑をする。大型施設が続々誕生する中国で、規制退場の問題がクローズアップされている。

 

f:id:tamakino:20191216105508p:plain

▲年会では、創業者のジャック・マーがロックバンドのボーカルとなって、曲を披露した。

 

スムースな規制退場が話題になったアリババの年会

アリババの20周年記念年会では、6万人がイベントの最後までいて、しかもスムースに規制退場が進んだ。普通であれば、スポーツセンター周辺や隣接地下鉄駅などは混乱するところが、整然としていたという。いくら参加者がアリババの社員ばかりだからといって、6万人もの人をどうやってスムースに規制退場させたのかと話題になっているのだ。

f:id:tamakino:20191216105452j:plain

▲スマートブレスレットには、心拍センサー、加速度センサー、マイクなども搭載され、観客がどのように盛り上がっているのかというデータも収集された。

 

6万人の参加者に配布されたスマートブレスレット

その秘密は、入場時に全員に配布されたスマートブレスレットにある。102個のLEDが搭載されたこのスマートブレスレットの裏には、QRコードが付けられている。このQRコードをアリペイやタオバオアプリからスキャンをすると、このブレスレットと自分の個人情報が紐づけられる。すると、自分の座席番号が表示をされるので、自分の席を見つけて座る。

イベントが終わると、このブレスレットが一斉に赤色になる。そして、緑色になった人がだけが退場できる。これで規制退場がスムースに進んだ。自分が退場していいのかどうかわからず迷う人は出ないし、まだ退場できないのに勝手に帰ろうとすると人は、ブレスレットが赤く光っているので、目立ってしまい、すぐに発覚をしてしまう。

f:id:tamakino:20191216105449j:plain

▲イベント終了後、規制退場対象者のブレスレットは緑色になる。赤の人は待っていなければならない。各ブロックの担当者が「ブレスレットが、緑色は退場。赤は待機」というパネルで誘導する。抜け駆けをして帰ろうとしても、ブレスレットが赤いのですぐに発覚し、制止されることになる。

 

イベントの演出にも使われるブレスレット

このスマートブレスレットは、18周年記念年会から使われ、徐々に進化をしてきた。単に、LEDが光るだけでなく、心拍数センサー、3軸ジャイロ、3軸加速度センサー、マイクが搭載されている。また、発光はWiFiにより、リモート制御可能になっている。

イベントではこのような機能を活かした使い方も行われた。ジャック・マーの誕生を祝うコーナーでは、全員が腕を掲げて、ブレスレットをステージ側に向けると、大きな人文字で「誕生日おめでとう」の文字が客席から浮かび上がる。

また、環境保全チャレンジのコーナーでは、腕を掲げて左右に振る。動きに合わせて、LEDの色が変色をしていく。全員で腕を振った量を測定して、それが多ければ多いほど、アリババが多くの植樹資金を寄付をするというものだ。

f:id:tamakino:20191216105512j:plain

▲年会の当日は、ジャック・マーの誕生日であったため、スマートブレスレットを使って、「お誕生日おめでとう」の人文字が描かれた。

 

センサーで観客の盛り上がり度を測定

さらに、加速度センサー、マイク、心拍数などのデータから、観客がどのような姿勢(座っていたか立っていたか)、興奮しているか、声を上げているかなどが分析できる。このようなデータは、イベントの各局面ごとに分析され、どのような出し物が好評だったのかを分析し、次回以降の演出に活かしていくという。

f:id:tamakino:20191216105505j:plain

▲スマートブレスレット。イベント中はイルミネーションとしても利用される。

 

会場の通信設備のハードルは高い

技術的に注目されたのは、ブレスレットよりも、会場に設置された通信設備だ。6万個ものIoT機器とリアルタイム通信をしなければならない。ブレスレットのデータは、3秒に1度、クラウドサーバーに送られる。上方向の通信には、冗長性を排除したUDP(ユーザーデータプロトコル、信頼性は劣るがシンプルなプロトコル)を使うなどの工夫はしているが、アンテナの配備、サーバーの準備など、技術的な課題はかなりハードルが高い。アリクラウドでは、この技術開発にかなりの時間を割いて、実現したという。

ネットでは、このシステムを販売して、他のイベントでも使えるようにしてほしいという声があがっている。

 

「変態級おもてなし」でNo.1に登り詰めた火鍋チェーン「海底捞」

中国式おもてなしで、117店舗を展開するNo.1火鍋チェーンに登り詰めた「海底捞」。その人気の秘密は、変態級接客サービスにある。日本のおもてなしとは異なり、形に見えることが重要で、顧客満足度をKPIとし、スタッフ全員の待遇が上下する。それが現場からおもてなしが生まれる秘密になっていると中購聯が報じた。

 

変態級おもてなしでNo.1火鍋チェーンになった「海底捞」

海底撈(ハイディーラオ、かいていろう)という火鍋店をご存知だろうか。日本でも主要な繁華街での出店が始まっていて、中国では117店舗を展開し、火鍋といえば海底捞と言われるほど有名なチェーンになっている。

火鍋そのものが美味しい、スープやタレの味が細かく選べるなどのこともあるが、人気の秘密は接客だ。中国では「変態級接客サービス」とまで呼ばれている。

f:id:tamakino:20191215154518j:plain

▲海底の基本火鍋セット。4つのスープが味わえる。タレはバイキング方式で自分の好みに合わせて作ることができる。わからない人にはスタッフが作ってくれる。

 

ライバル店が追従できない来店客の期待以上の接客

とにかく徹底的に親切で、「そこまでやるか?」という気づかいをしてくれる。荷物には、匂いがついたり、スープのハネがかからないようにカバーをかけてくれる。スタッフがわざわざエプロンをかけてくれる。食事中には、変面や麺打ちのパフォーマンスを随時やってくれる。キャンディやポップコーン、果物を無料で配ってくれる。特製スープや特製のタレを作って無料で配ってくれる、小皿のサイドメニューや飲み物は無料など、接客という概念を超えて、徹底的に親切。場合によっては、過剰でもあり、来店客が期待した以上の接客をする。

それが面白い、気持ちがいいということから人気店になっている。しかも、企業として強い。ライバルが海底捞の変態級サービスを真似しようとしても、うまくはいかない。海底撈の変態級接客サービスを真似をした飲食店はことごとく失敗をしている。スタッフが息切れしてしまうのだ。フォロワーが出てこないので、海底捞は独走状態で、年間に30億元(約460億円)を売り上げるチェーンになっている。

f:id:tamakino:20191215154522j:plain

▲子どもにはプレゼント、大人にはポップコーンや果物などを無料でくれる。さらに、随時、さまざまなパフォーマンスが店舗内で行われる。このような変態級接客サービスは、現場スタッフみずからが考え、実行したもので、優れたものは他店舗に横展開される仕組みだ。

 

お客は食事をしにくるのではない、満足をするためにくるのだ

海底捞は、1994年に、創業者の張勇(ジャン・ヨン)が、四川省簡陽市で、テーブルがわずか4卓しかない火鍋屋を開いたことから始まった。

張勇は、かつてトラクターの製造工場で働いていて、飲食店を経営したことなどなかった。火鍋の激戦区である四川省では、火鍋の味で差別化をすることは難しい。しかし、そのまま手をこまねいていたら、大きな火鍋店に負けて、張勇の小さな店など吹き飛んでしまう。

そこで、生き残るために、張勇は来店客に徹底的に親切にした。子どもをあやす、無料で果物を提供する、果ては来店客の靴まで磨いた。

お客は食事をしにくるのではない、満足をしにくるのだ。張勇はそう考え、来店客を徹底的に観察をした。お酒を飲みすぎて食が進まなくなった客には、そっとお粥を無料で出す。火鍋のタレの味に舌鼓を打っている客を見かけると、お土産にそのタレの缶を持たせる。お茶や水は無料にする(当時の中国では、お茶や水も有料が常識)、小皿のサイドメニューは無料にして食べ放題にする。

こういう努力が、現在の海底捞の変態級サービスの基礎になっている。思いつくことはなんでもやってみる、なんでも無料で提供する。これが海底捞だ。現在では、女性客のために、無料のネイルアートのコーナーまで用意されている。

f:id:tamakino:20191215154534j:plain

▲海底の創業者、張勇。最初はテーブルが4つしかない店から始まった。客は火鍋を食べにくるのではない、満足をしにくるのだと気がついて、あらゆるサービスを提供したことが現在の海底の基礎になっている。

 

「目に見える」おもてなしを追求する海底捞

しかし、日本のおもてなしとはまったく違っている。日本のおもてなしは、来店客の心に訴えかけるものだ。来店客への気遣いも、「気を遣っていると気づかれないように気を遣うのが、気遣いの境地」のような感覚がある。それは素晴らしいことであり、日本人の美点のひとつだ。

一方で、海底捞の「気遣い」は、必ず目に見える形でなければならない。無料で何かを提供する、荷物にカバーをかける。そういう誰の目にもわかる気遣いが、海底捞では極上とされている。

食事中には、担当のスタッフがテーブルに貼り付き、お客様の手を動かさせないことが最上とされる。グラスの中の飲み物は、常にいっぱいでなければならない。お手拭きが少しでも汚れたら、すぐに取り換える。

そういう形に見える「気遣い」をスタッフが日々考え、実行する。それが海底捞の「おもてなし」だ。ネットで都市伝説として語られている話では、赤ちゃんを連れた家族が食事をしていて、赤ちゃんが眠り始めた。すると、スタッフはどこからか、ベビーベッドを運んできて、赤ちゃんを寝かしつけたというのだ。この話が本当かどうかはともかく、やりかねない勢いが海底捞にはある。

f:id:tamakino:20191215154525j:plain

▲火鍋を作るときは、ほとんどスタッフがやってくれる。海底では、「客は、食べる時以外、手を動かさない」が基本になっている。

 

海底捞のアメとムチのスタッフ運用

海底捞は、今では従業員数が2万人に達しようとしている。その多くは、店舗スタッフで、日々、変態級接客サービスを自ら考え実行している。マニュアルに書かれたことを実行しているわけではない。誰もが疑問に思うのが、2万人ものスタッフ教育や意識づけをどうやっているのだろうか?ということだ。

海底捞では、スタッフを家族と位置付け、高待遇であることはもちろん、住居などの福利厚生が一般的な飲食店に比べて、大きく充実している。しかし、それだけでは、従業員はここまで意識を高く持つことはできない。やはり、そこには厳しい競争の仕組みがある。

f:id:tamakino:20191215154531j:plain

▲麺を注文すると、客のそばで麺づくりのパフォーマンスをしてくれる。これを見たいがために、多くの人が麺を追加注文する。

 

顧客満足度が上がれば天国。スタッフ全員の給与が連動

その競争は、売上ではなく、顧客満足度で測られる。顧客満足度によって、各店舗はABCの3つの格付けがされ、C級になると、6ヶ月以内に改善されないと、店長は降格、さらにその店舗のスタッフのボーナスや昇給もなくなる。

一般の飲食店では、店舗スタッフの待遇は固定され、店長などの管理職の待遇が成績に連動するということが多い。そのため、店長が一人で施策を考え、スタッフはそれをしぶしぶ実行するということになりがちだ。

しかし、海底捞の「従業員は家族」の意味は、店の顧客満足度が落ちれば、全員の待遇が悪くなる。逆に、スタッフ全員で店の顧客満足度を上げていこうという意識が生まれる。施策がボトムアップで生まれてくるようになる。

海底捞の店舗スタッフの給与は、月に平均で4000元(約6万1000円)程度と、飲食店としては極めて高い。しかも、店舗の顧客満足度の成績によっては8000元程度まで上昇することも珍しくなく、標準では1年ほどの勤務で他のスタッフを指導する高級スタッフに昇進する。こうなると、1万元(約15万円)を超える給料が普通になる。スタッフの多くは、他の飲食店と同じように、農村出身者が多い。そういう人にしてみれば、夢のような高待遇だ。

f:id:tamakino:20191215154528j:plain

▲なぜか火鍋店に無料のネイルコーナーがある。これが人気で、予約をしておかないとサービスを受けられないほど盛況だ。

 

f:id:tamakino:20191215154537j:plain

▲男性向けには、なぜか靴磨きコーナーもある。こちらも予約必須の人気サービスだ。

 

海外進出も。「中国式おもてなし」は定着するか?

2018年には、香港市場に上場をし、資金を得て、中国の2級都市、3級都市への出店を始めただけでなく、米国、欧州、日本、韓国などの海外展開も始めている。海外でも、海底捞の変態級接客サービスが話題になっている。日本の「おもてなし」は世界的に有名だが、海底捞の変態級接客サービスも「中国式おもてなし」として定着するかもしれない。

なお、日本の海底捞では、飲み物はドリンクバー形式で有料、サービスも簡素化されているが、ネイルコーナーやキッズルームなどは備えており、海底捞の変態級接客サービスの一端を味わえることができる。

 

ECとD2Cが変える農業。販売価格は市場ではなく、生産者が決める

仕事がきつく、最も儲からない産業である農業が変わり始めている。D2CやECを利用して、農産物を販売する若者が登場し始めている。特に、ECサイト「拼多多」を利用して成功している例が増えていると寧夏日報が報じた。

 

激安まとめ買いサービスだけではなくなった「拼多多」

拼多多(ピンドードー)は、中国第3位の売上規模のECサービス。しかし、第1位のアリババのTmall、第2位の京東(ジンドン)とは趣が違っている。簡単に言えば、激安まとめ買いサービスだ。同じ商品を買いたい人をSNS「WeChat」で集めれば集めるほど、価格が安くなっていく仕組みだ。最終的に、タダ同然で商品が買えることもあり、ゲーム感覚で楽しむ人、安さに惹かれて使う人などにより成長をしてきた。

当初は、購買力の小さい農村や地方都市の利用者が多く、都市部の利用者は少なかった。粗悪品や偽物商品なども横行していた。しかし、運営がこのような問題に対処をするにつれ、都市部でも利用する人が増え、第3位のECサービスになるまで成長をした。今、最も勢いのあるECで、月間アクティブユーザー数ではすでに京東を抜いて、第2位に浮上している。

この拼多多が、農業を変えようとしている。

 

WeChatを使って、D2C販売を行う農民

寧夏回族自治区石嘴山市の平羅県上橋村にユニークな農民がいる。4000羽ものカモを飼育し、市場価格の相場が1羽50元(約780円)程度であるのに、128元(約2000円)で売れているのだ。

また、カモの餌にトウモロコシも栽培しているが、余った分は売却をしている。これも高い価格で売れ、1ムーあたり相場よりも500元(約7800円)も高く売れる。

しかも、普通の農民は、自分で町の市場まで運んで売るのだが、市場まで運ぶというたいへんな作業もしている様子はない。周りの農民は、みな不思議がっている。

f:id:tamakino:20191213115549j:plain

▲高品質のカモをD2Cで高価格で販売する袁志儒さん。WeChatを活用し、自力でD2C販売を行っている。

 

市場価格の変動により農家は困窮をする

この農民は、23歳の袁志儒さん。上橋村の出身者で、都市の大学に通っていたが、卒業後は多くの地方出身者が都市で仕事を探す中で、袁志儒さんは故郷に帰ってきて、農業で起業する道を選んだ。

袁志儒さんの家は、上橋村で4世代にわたって農業をしている農家だが、作物を作って市場に売りにいくという農業のあり方に小さい頃から疑問を持っていた。市場の売却価格は変動をする。それは農家にとってどうにも制御できないものだ。その農家にはどうしようもない要因で、農家は困窮をする。これを変えたかった。

そのため、袁志儒さんは、大学でも農学を専攻し、卒業するとすぐに上橋村の農業を変えるために故郷に戻ってきた。

 

価格を生産者自身が決める新しい農業

最初に持ち込んだのが、有機循環農業の仕組みだった。不合格になった野菜をカモの餌にし、カモの糞を畑の肥やしにする。それが無駄なコストを削ることになり、上橋村のカモの品質を高めることにつながる。

しかし、最も大きな改革は、市場を通さずに、SNS「WeChat」で購入者を直接探したことだ。しかも、価格は1羽128元と相場の倍以上。上橋村のカモは、以前から美味しいと評判で、袁志儒さんは飼料の配合を研究して、肉質を向上させる努力を続けてきた。肉質には絶対の自信を持っている。

重要なのは、市場で他人に価格を決めてもらうのではなく、生産者が自分で価格を決めることだ。つまり、農業の領域で、D2C(Direct to Costomer)ビジネスを行っている。

最初は、強気の価格設定により、売れ行きは芳しくなかった。しかし、自分でカモ料理を作り、そのおいしさをSNSで発信し続けることにより、次第に購入者がつくようになった。ある瞬間から、口コミが拡散し、生産したカモはすべて売れるようになっている。中には、レストランが大量に購入し、上橋村のカモを使っていることを売りにするところも出てきた。

現在は、地域の農民たちと一緒に合作社を起業し、生産量を一気に増やす計画を進めている。

 

拼多多を利用して、大量の農産物を売りさばく農業スタートアップ

湖北省には、拼多多を利用して、地域の農業を変えていこうとしている若者がいる。23歳の廖仔傑さんは、湖北省天門市で拼多多を活用した農業を行っている。廖仔傑さんは、南京や武漢などでEC系のウェブエンジニアをして、高収入を得ていた。その時に、農業とECをうまく結びつければ、大きな利益が出ると感じ、農業分野で起業することを思いついた。

廖仔傑さんが目をつけたのは、湖北省京山の米だった。この地の米は品質が高いことで有名で、しかも自分の故郷である天門市に近く、地理もよくわかっていた。

2016年に、友人と起業をし、京山の米を自社開発したECサイトで販売をするビジネスを始めた。しかし、現実は甘くなかった。まるで売れずに、会社の存続すら危ぶまれる状態になった。廖仔傑のECサイトの存在に気がついてもらえないのだ。

しかし、転機は突然やってきた。その頃、拼多多の人気ぶりがメディアで報道されるようになって、廖仔傑たちも、シイタケを試しに出品してみた。すると1日で1000箱も売れた。これを機に、廖仔傑たちは地元の農産物を拼多多に出品することに特化をした。拼多多では、大量に売れるのが魅力だった。

f:id:tamakino:20191213115543j:plain

▲拼多多を活用して、出荷できない農産物を大量に売りさばくビジネスをしている廖仔傑さん(中央)。農家に「失われていたかもしれない収入」をもたらしている。

 

情報を集めて、出荷できない農産物を売る

しかし、地元で農産物を仕入れて、拼多多で転売をするという安直なビジネスではない。地域の情報を集め、地元の農家が持て余している農産物を発見しては、それを引き取って、拼多多で大量に売る。自分たちの利益にもなるし、地元の農民を助けることにもなる。それで、ますます地元の農業情報が集まるようになるといういい循環を生んでいる。

京山の緑林鎮のある農民の鶏卵が大量に売れなくて困っていた。手をこまねいていれば、いずれ腐ってしまう。廖仔傑たちはすぐにかけつけて、拼多多で12万個の玉子を売り切った。

五三鎮のある農家では、市場価格が安すぎて、栽培していたネクタリンの収穫をあきらめていた。そのままでは腐って落ちてしまう。廖仔傑たちはすぐにかけつけて、拼多多で100トンのネクタリンを売り切った。曹武鎮では、40トンの天津栗を売り切った。

f:id:tamakino:20191213115546j:plain

▲拼多多のメリットは、価格を下げれば、大量に売れること。農産物を売るにはうってつけのECになっている。時間が経てば腐敗してしまう農産物を、短期間で大量に売りさばくことができるからだ。

 

失われていた収入を農家にもたらす事業

拼多多では、品質の高い農産物を高価格で販売することは難しいが、農民がさまざまな理由で出荷ができずに困っている農産物を大量に売り捌くことができる。廖仔傑さんたちは、これを利用して、地元の農民に「失われていたかもしれない収入」をもたらし、自分たちも利益を上げている。

廖仔傑たちの拼多多店舗では、1年に6000万元(約9.2億円)もの売上をあげ、地元の農民に300万元(約4600万円)の収入をもたらしている。2019年の目標は、1億元(約16億円)の売上をあげることだという。ECの活用が農業のあり方を変えようとしている。

 

ファーウェイの創業者、任正非が敬愛される理由。中国の辛い時代を生き抜いた苦労人

中国テック企業の経営者の中で、市民から敬愛されているのは、アリババの創業者ジャック・マーとファーウェイの創業者、任正非(レン・ジャンフェイ)の2人だ。2人も中国の貧しい時代に生まれ、成功をしたチャイナドリームの体現者だからだ。特に、任正非は、極貧家庭に生まれ、度重なる不幸を跳ね除けながら、44歳になってファーウェイを創業し、ようやく成功をつかんだ。それが、任正非が敬愛される要因になっていると1号紀実が報じた。

 

HAT経営者は、国内大学を卒業した第1世代経営者

中国のテック企業を表す言葉に、BAT(百度、アリババ、テンセント)という言葉があるが、最近ではHAT(ファーウェイ、アリババ、テンセント)という言葉も使われるようになってきている。百度バイドゥ)がネット広告などの売上を落としたためだ。ファーウェイは、戦略的に上場をしない方針なので、企業価値ランキングなどには登場しない。しかし、売上を考えると、アリババとテンセントの合計を超えており、中国屈指のテック企業だと言って差し支えない。

さらに、このHATという言葉は、中国人にとって座りがいい。なぜなら、HATの創業者たちは、いずれもテック企業経営者の第1世代であり、国内大学の卒業組だからだ。さらに、テンセントの創業者、ポニー・マーは経済的にも余裕のある家に生まれたが、アリババの創業者、ジャック・マーの家は貧しく、ファーウェイの創業者、任正非(レン・ジャンフェイ)の家は極貧家庭だった。

一方で、百度の創業者、ロビン・リーは経済的にも余裕のある家に生まれ、北京大学卒業後、ニューヨーク州立大学に留学をし、米インフォシークで働くという海外組だ。中国人にとって、やはり人気があるのは、国内で貧しさから脱却をした経営者であり、その中でもジャック・マーと任正非の2人は特に人気が高い。ジャック・マーは、自分の夢に向かって突き進んだ情熱の人。任正非は、苦労に苦労を重ねた辛抱の人というイメージだ。

f:id:tamakino:20191217132348j:plain

▲ファーウェイの創業者、任正非。中国の貧しく辛い時代を生き抜き、成功をつかんだ経営者として、人気がある。

 

お腹いっぱい食べたという記憶がない

任正非は1944年生まれ。貴州省の鎮寧県の山の中の貧困村に生まれた。父親は村の中学の教師をしていて、7人兄弟姉妹の長男だった。貧乏人の子だくさんという言葉を絵に描いたような家庭で、両親ともに働いていたが、生活はいつもぎりぎりだった。あちこちからお金を借りても、いつも子どもたちは空腹だった。

任正非の回想によると、家の床は板間の上に一面藁が敷いてあるだけで、子どもたちはお腹いっぱい食べたという記憶がない。任正非も、高校を卒業して初めてシャツというものを着たほどだという。任正非は言う。「生き延びるという言葉の本当の意味を、私はものごころついた頃から理解していた」。

f:id:tamakino:20191217132212j:plain

▲任正非の両親と任正非。両親は貧困村の教師だった。家は貧しく、子どもの頃にお腹いっぱいご飯を食べたという記憶がないという。

 

貧困の中で大学進学をした任正非

任正非の祖父は、ハムを作る職人だった。父親の兄弟は誰も上級学校に進んでいないが、任正非の父は学問で身を立てようとし、大学に進学をした。学生運動にも参加をし、抗日活動や中国共産主義青年団にも参加をした。しかし、そのせいで、貧困の村の教師の仕事しか得られなかった。

任正非の両親は貧しかったが、学問を修めることを重要視し、ご飯は食べられなくても、子どもたちに勉強を続けさせた。貧しい中で進学資金も貯めていた。それで、1963年、任正非は重慶大学の建築学科に進学することができた。

 

貧困と理不尽が任正非を勤勉にさせた

しかし、在学中の1967年に、文化大革命が始まり、父親は反革命的だとして、言われのない罪で投獄されることになってしまった。任正非が急いで家に帰ると、父親は大切に履いていた革靴を任正非に渡し、こう言ったという。「知識こそ力だ。周りが学ばなくても、お前は学べ。周りに流されてはいけない。弟や妹を助けてやってくれ」。

このことが、任正非を尋常でないほどまでに勤勉にしたという。貧困や理不尽な困難から抜け出すには、学問しかないと考えたのだ。大学に戻った任正非は、建築学だけでなく、独学で電子計算機、数学、自動制御、哲学、外国語などを学んだ。

f:id:tamakino:20191217132206j:plain

文化大革命時代の中国。任正非はこの運動に翻弄され続けた。言われのない罪で多くの人が罪に問われる時代だった。

 

不遇だった人民解放軍時代

大学を卒業しても、文化大革命の真っ只中では、仕事もない。それで仕方なく、任正非は人民解放軍に入隊をし、建築兵となった。すぐに食べられる就職口だったからだ。軍用の飛行機工場や、飛行機エンジン工場の建設に従事した。

しかし、どれだけ成果を上げても、なかなか昇進できなかった。父親が文化大革命の犯罪人であるということが常に問題になったからだ。任正非は、人民解放軍でも学ぶしかなかった。知識を蓄えることでしか、理不尽さから逃れる方法が思いつかなかったのだ。

f:id:tamakino:20191217132157j:plain

人民解放軍時代の任正非。文化大革命で父親が罪に問われたため、いくら成果をあげてもなかなか評価してもらえなかった。

 

他人は他人。自分はひたすら勤勉であり続ける

1976年、32歳の時に、初めて、ある機器を改良したことで、人民解放軍から表彰された。しかし、任正非は冷めていたという。もらった賞品も周りの人たちにあげてしまったという。いつの間にか、任正非は人と争うことをしなくなっていた。ただ、自分が学んで、先に進んでいくだけで、誰かより秀でようとか、誰かより褒められたいという気持ちがまるでなくなっていたという。

 

中年になっても、犬以下。不運が重なる任正非

1982年に入ると、中国政府は膨大に膨れ上がった人民解放軍のリストラを始める。任正非は真っ先にリストラ対象となった。仕方なく除隊をし、妻子を連れて、深圳に行き、国営企業である南油集団傘下の電子機器企業の副社長に就任をした。

しかし、副社長といっても、この企業はお金もなければ仕事もないという状況で、任正非はこの企業をなんとか立て直さなければならなかった。学問に関する知識は蓄積があったものの、ビジネスに関する知識はない。悪戦苦闘する中で、任正非は悪い人間に200万元(約3100万円)を騙し取られてしまった。都市の平均給与が100元(約1500円)に満たない時代だ。

この責任をとって、任正非は辞職をすることになる。しかも、最悪なことに、妻が離婚を切り出してきた。任正非にはすでに一男一女がいた。さらに、両親を養わなければならない。さらに、6人の弟たち、妹たちが任正非を頼ってきている。この家族の食い扶持をなんとかしなければならなかった。

中国には、「中年になっても、犬以下」という言葉がある。中年は子どもも親も養わなければならない。ひたすら働くばかりで、自分の楽しみはひとつもないという不幸な状況を表す言葉だ。任正非は、まさにこの時、犬以下だった。

f:id:tamakino:20191217132201j:plain

人民解放軍をリストラされた任正非がやってきた頃の深圳市。ようやく都市としての姿が生まれつつある頃だった。

 

ファーウェイ起業は失業状態をなんとかするため

1987年、44歳の時に、この状況を脱するために、任正非は5人の南油集団時代の仲間と集まって、2万元(約31万円)の創業資金をかき集め、ファーウェイ(華為、ホワウェイ)を起業した。任正非は言う。「会社を大きくしようとか、何かをなそうとか、そういう夢はまったくなかった。創業したのは生き延びるためで、ここに活路を見出すしかなかった」。

f:id:tamakino:20191217132210j:plain

▲ファーウェイを創業した頃の任正非(右端)。44歳という遅い創業だが、失業状態をなんとかするために仕方なく創業したという。

 

交換機の輸入販売から自社開発へ

当初は、普及をし始めた電話のデジタル交換機を輸入して、電話会社に販売をするというビジネスだった。しかし、当時の中国では、欧州などからデジタル交換機を直接輸入するのは難しく、香港の輸入商を経由して輸入するしかなかった。香港の輸入商は、足元を見て、手数料をたっぷりと乗せるため、ファーウェイの利益はほとんど出なかった。

仕方がなく、何でも売った。ダイエット薬品も売っていたし、墓石を売ろうとしたこともあるという。

これではラチが開かないと考えた任正非は、見よう見まねで自分たちでデジタル交換機を開発するしかないと考えた。それまで、ファーウェイの「本社」は、南油集団の社員寮の一室だった。それではあまりにも手狭なので、1991年に、ファーウェイは住宅を借りて、研究所を開設する。しかし、研究所といっても、それは製造現場を兼ねており、社員食堂を兼ねており、社員寮を兼ねているというものだった。

しかも、社員数は50名を超えていたのに、寝る場所は10人分程度しかなかった。50人が交代で寝るしかなかった。任正非のオフィスは、小さなマットレスの上だけだった。

f:id:tamakino:20191217132216j:plain

▲ファーウェイの最初の研究所。一軒家を借りたもので、任正非のオフィスはマットレス1枚の上だけだった。

 

停滞したら倒れてしまう危機感

自社開発をしたデジタル交換機は、規模も小さかったし、見よう見まねの開発なので、性能もそこそこだった。24台の電話を交換することしかできなかった。これを病院や鉱山に売った。

しかし、大した利益にならない。ファーウェイはいつも倒産の危機にあり、それを避けるには、交換機の性能をあげて、売るしかなかった。任正非は、ないお金を研究開発に注ぎ込み、優秀な学生を雇用し、ファーウェイの交換機は次第に規模を大きくし、性能も上がっていった。

こうして、1994年に発売をしたC&C08A型交換機がヒットをした。一般的な輸入交換機よりも扱える電話の台数が多く、しかも価格は1/2だった。大手電話会社はファーウェイ製品の採用に及び腰だったものの、農村の村内電話によく採用された。

ファーウェイは「農村から都市を包囲する」という毛沢東の戦術を引き合いに出して、農村市場の過半数に採用された実績で、都市の大手電話会社にも販売をしていった。ここから、ファーウェイはポケットベル、携帯電話、スマートフォン、通信設備と手を広げていく。

ファーウェイと任正非にあるのは、「停滞したら倒れてしまう」という危機感だ。任正非は、小さな頃からずっとその危機感の中で生きている。極貧の村の極貧家庭に生まれた任正非は、現在ではフォーブスの富豪ランキングに入るまでになっている。

HUAWEI P30 Lite パールホワイト【日本正規代理店品】

HUAWEI P30 Lite パールホワイト【日本正規代理店品】

  • 発売日: 2019/05/24
  • メディア: エレクトロニクス