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伝説の起業家が10年間の沈黙を破り、物理の授業を公開。スター起業家の10年に何があったのか?

ポータルサイト「捜狐」(ソーフー)の創業者、張朝陽(ジャン・チャオヤン)が10年間の沈黙を破り、突如、動画共有サイト「ビリビリ」で「張朝陽の物理の授業」を公開して話題になっているとOK媽談育児が報じた。

 

スター起業家の沈黙の10年

張朝陽(ジャン・チャオヤン)は、ポータルサイト「捜狐」(ソーフー)が成功して以来、非常に派手な生活を送り、テックニュースだけでなく、ゴシップ欄でも話題の中心となっていた人だ。しかし、2010年頃からめっきりメディアに登場しなくなり、ある意味忘れられた、過去の人になっていた。

しかし、突如としてビリビリで物理の授業を公開し、非常にくつろいだ様子で物理に講義を行い、穏やかな表情を見せている。ネットは突然再登場した有名人に驚いた。この10年、ネット民の中には「すでに亡くなった」と言う人もいるほど消息が伝わってこなかった。この10年、張朝陽が何をしていたのかについても話題になっている。

▲ビリビリで物理学の授業を公開する張朝陽。10年前、毎日のようにゴシップを提供していたスター起業家も中年になっていた。しかし、くつろいだ様子でハイレベルの講義をする姿に、50万人ほどの視聴者が受講をしている。

https://search.bilibili.com/all?keyword=朝阳的物理&from_source=webtop_search&spm_id_from=333.1007

 

物理学者を目指す超エリート学生

張朝陽は、1964年、陝西省西安市に生まれた。両親は医者で、知的な空気の家庭に育った。張朝阳自身も自分に厳しく、定期試験では常に1位でないと自分が許せないほど勉強に励んだ。その結果、清華大学の物理学系に進学をした。

清華大学に入っても勉学に励んだ。定期試験の成績が悪いと、夏は頤和園を一周するランニングをするか、冬は氷を割って寒中水泳をして、自分に喝を入れた。その結果、全国で39名が選出される李政道奨学金を受けることができ、MITに留学をすることになる。

清華大学時代の張朝陽。勉学が生活のすべてで、物理学者として成功することが夢だった。

 

孤独による挫折、起業を目指す

張朝陽はMITの大学院で物理の研究をし、物理学者になるつもりだった。しかし、ここで初めての挫折をした。孤独に耐えきれなくなり、自分を見つめ直すようになった。すると、成功して有名になりたい、成功してお金を得たいと思う自分に初めて気がついた。

その頃は、インターネットの商用利用が解禁されたばかり。すでに米国ではインターネットビジネスが登場をし、Yahoo!Amazonが成功し始めていた。張朝陽は、このチャンスを逃してはならないと帰国をして起業をすることにした。

▲MITに留学をした張朝陽。しかし、孤独に耐えきれず、人生で初めての挫折をする。

 

ポータルサイト「捜狐」で成功

1996年、張朝陽は「愛特信」を創業し、2年後に「捜狐」と改名し、中国で最も利用者の多いポータルサイトとなった。2002年になると、一気にインターネット利用者が増え、ネット広告ビジネスが好調となり、捜狐も大きく成長をした。その創業者である張朝陽も胡潤富豪番付の66位にランクインした。

有名になり、一生かかっても使いきれないお金を得て、張朝陽の生活は派手になっていった。高級車を次々と購入し、北京の狭い路地を疾走する。クルーザーを購入しメディアで公開する。自分の上半身裸の写真を雑誌に掲載する。

この当時のネットビジネスで成功した人と言えば、張朝陽の他には、「新浪」の王志東と「網易」の丁磊の2人で、3人合わせて「ネット三剣客」と呼ばれた。しかし、王志東と丁磊の2人は仕事が中心であり、ゴシップネタを提供するようなことはなかった。その一方で、張朝陽は毎日のようにゴシップネタを提供した。

張朝陽はこの頃を振り返って、自嘲して語ったことがある。「若いうちに成功をしましたが、何もわかっていなかった。男性が私に会いたいと言えば、私を利用する気だろうと思いました。女性が私に会いたいと言えば、好みのタイプであればそのまま男女の関係になり、好みのタイプでなければ無視をしました」。

「中国インターネットの父」とまで呼ばれるようになり、全能感を感じていたと言い、挙句のはてに「私は150歳まで生きる。老化を止めることができる」と大真面目で語るほどになっていた。

▲帰国をして起業したポータルサイト「捜狐」が成功し、使い切れないお金と名声を手にし、張朝陽の生活は派手になっていった。

 

ボス不在の捜狐の失速

しかし、捜狐はしだいに荒れていった。従業員の管理に興味を持たないため、会社は混乱と怠惰が蔓延をした。張朝陽が信頼できるはずの仲間たちも忠告をすることに疲れて、捜狐を去っていった。

捜狐は急速に輝きを失っていき、インターネットの中心は百度バイドゥ)、微博(ウェイボー)、騰訊(テンセント)に移っていった。

▲有名女優と「美女と野獣の登山隊」を結成し、チベットの启孜峰に登頂。有名人と美女が大好きで、毎日のように世間にゴシップネタを提供した。

▲雑誌の表紙には裸体の写真を提供。起業家ではなく、芸能人か芸術家のような振る舞いをした。

 

うつ状態に陥った裸の王様

それは張朝陽にとって耐えられない事態だった。もはや常に自分がステージの中心にいて脚光を浴びていないと耐えられない。張朝陽はなんとかして脚光を再び浴びようともがいたが、もがけばもがくほど、スポットライトは逃げていく。「私は教育の機会に恵まれ、お金もあり、有名になり、なんでも好きなものを買えるようになっていたのに、なんでこんなに苦しいのかと思っていました」。

他人から見れば、張朝陽は宮殿に住んでいる王様だったが、張朝陽自身は常に悲観をして死ぬことを考えている精神の牢獄に住んでいた。もはや仕事は手につかず、それどころか日常生活もまともに送れない状態になった。張朝陽は医師により鬱病と診断され、入院を勧められた。

 

世間を捨てて寺院で仏教と心理学を学ぶ

張朝陽の弟が、陝西省宝鶏市の法門寺で出家をして果義法師となっていた。張朝陽は、果義法師を頼り、世間から隔絶された生活を送るようになる。

そこで、仏教学と心理学を一心不乱に研究した。そして、2000年前に生まれた仏教と、20世紀に成立した西洋の近代心理学が、似通っていることを発見する。煩悩から逃れる唯一の方法は、その煩悩が自分の中から湧いて出るものであることを受け入れることから始まるということに気がついた。

張朝陽は1年以上法門寺で暮らし、ようやく山を下りた。そして、毎日5kmのジョギングを行い、12kmの海峡横断遠泳にも挑戦をした。

2年間休職していた捜狐に戻った張朝陽は、堅実な経営者になっていた。

陝西省宝鶏市の法門寺での張朝陽(中央)。世間を捨て、山寺で仏教と心理学を学ぶ日々を送る。

 

自分の居場所を見つけ、不安から逃れる

しかし、捜狐がもはやインターネットビジネスの中心にいないことは明らかだった。ネットビジネスの競争は激しく、百度、微博、テンセントの3巨頭は、すでにアリババとテンセントの一騎討ちの時代に変わっていた。両社はすでに捜狐が仰ぎ見るような大企業になっていて、とてもまともに戦うことなどできない。

それでも、張朝陽の心は穏やかだった。アリババやテンセントに対抗してインターネットの中心に行こうとするのではなく、捜狐のいるべき場所で、捜狐がやるべきことをしっかりやる。もう以前のような不安に満ちた生活を送ることはなくなっていた。

▲山から下りてジョギングをする張朝陽。体を鍛え直し、自分がやるべきことをやるという活力を取り戻した。

 

若い世代に物理の面白さを伝えるのが自分の仕事

心穏やかな生活を送るようになると、捜狐のやるべきことの他に、今度は張朝陽としてやるべきことがあるような気がしてきた。それは学生の頃に物理学を学び、物理学者になろうと必死に勉強と研究をしていた時に身につけた知識と感覚を、若い世代の学生たちと分かち合うことだと気がついた。若い人がゼロから物理学を学ぶのではなく、自分が身につけた知識からスタートして学べば、自分よりも遠いところにたどり着いてくれる。そのためには無償で自分の知識と経験を分け与えるべきだと思った。

10年前、世間の話題を独占していた若々しいプレイボーイが、今、中年の姿で物理学の講義をしている。内容は相対性理論やビッグバン、量子力学について、「誰にでもわかりやすく」ではなく、物理学の公式を駆使したレベルの高い授業を行なっている。高校の物理をきちんと理解していないと聞いても内容を理解することができない。それでも毎回、50万人ほどの視聴者がいる。視聴者から、張朝陽は「学覇」(シュエバー、学問が非常に秀でた人)と呼ばれている。