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長期にわたる営業制限で、すべてを失なう。コロナ禍の打撃を受けた起業家の物語

コロナ禍の影響が中国でも深刻になっている。感染症としての規模よりも、長期にわたることで正常な営業ができず、収入の道を失い行き詰まる企業が続出している。王栄輝さんは、幼児教室と保育所で成功をした起業家だが、コロナ禍ですべてを失ったと自身のブログ「王栄輝快楽育児」で語った。

 

コロナ禍ですべてを失った起業家

私は王栄輝と言います。起業に失敗をし、大きな負債を背負った負け犬で、道を歩けば詐欺師と罵られます。すべてを失いましたが、これでも以前は経営者だったのです。それは私の人生の輝かしい時代でした。まるで昨日のことのように思えます。

2009年、私は所有しているマンションを売り、起業をしました。幼児教室を開いたのです。2011年、もうひとつのマンションを売り、2つ目の教室、3つ目の教室を開きました。2013年、保育所を開き、評判も良く、すぐに2つ目、3つ目の保育所を開きました。2017年には投資家がつき、保育所を一気に10ヶ所以上に増やしました。2019年には、40ヶ所以上となり、企業価値が5億元を突破しました。

事業は順調で、入園率は95%となり、保護者にも喜ばれ、口コミで新しい利用者がやってくる状態になっていました。

テレビ番組の育児番組にはゲストとして呼ばれるようになり、全国で講演するようになり、保育士の教育教材の制作にも関与するようになり、専門学校などと保育士養成講座の設立もお手伝いをしました。私は周囲の人から必要とされ、尊敬され、「王先生」と呼ばれるようになっていました。

保育所で子どもたちと遊ぶ王栄輝さん。現場によく顔を出す経営者で、子どもたちからも園長先生と呼ばれ親しまれていた。

▲幼児教室は好評で、業績はあがっていき、保育所運営にも進出をして成功をした。

▲2017年、初めての投資を受けた時の王栄輝さん。事業に問題はなく、経営にも問題にはなかった。すべてはコロナ禍の6ヶ月間の営業停止が原因だった。

 

コロナ禍で半年間の閉鎖、資産はすべてなくなる

しかし、2020年2月、新型コロナの感染拡大が起こり、すべてが変わりました。保育所も閉鎖をするしかなく、それは結局6ヶ月間に及びました。500名の保育士、3000名の子どもたちが行き場を失いました。

保育所を開くことができず、収入はゼロになります。しかし、家賃や管理費、保育士の社会保険費などは支払わなければなりません。しかも、保育費を前払いをしていただいていたため、閉鎖期間分を返金しなければなりません。これが3000万元。管理費が2000万元、従業員の社会保険費が2000万元。次々とお金が出ていきます。それまで積み上げてきた資産はすべてなくなってしました。それでも足りず、銀行から私個人が保証人にとなって1000万元を借入するしかありませんでした。

▲家賃も滞納せざるを得なくなり、家主はドアに鍵をかけて中に入れないようにした。

 

長期にわたるコロナ禍がすべてを失わせた

私の見通しは甘かったと思います。2003年のSARS(サーズ)の時のように、一時を乗り切ればすべては正常に戻る。今は苦しくても、終息をすればまた日常が戻ってくると思っていました。

しかし、コロナ禍は3年が経っても終わりません。最後には私は自宅を売って、会社を維持しなければならなくなりました。12年間、すべてを犠牲にして積み上げたものが3年で消えてしまい、気がついてみたら、私は何も持っていないただの中年女性になっていたのです。

▲ネットの掲示板には「詐欺企業は早く金を返せ」という書き込みが相次ぎ、ひどい言葉を使った書き込みも相次いだ。

 

通報、訴訟。それでも支えてくれる人々

いよいよ保育所の家賃も支払うことができなくなり、管理会社から鍵を閉められ、水道や電気も停められてしまいました。従業員に支払う給料もなくなり、多くの保育士たちが次々と離職をしていき、不払い分の給料をめぐって関係機関に苦情も持ち込まれるようになりました。投資機関も私を訴え、仲裁の結果、私の保有株は凍結をされ、さらにはWeChatペイの中に入っている小銭まで自分の意思で使うことはできなくなりました。

子どもたちの保護者、従業員である保育士、投資家たちは、私の顔を見ると、私を罵るようになっていきました。

それでも耐えることができたのは、暖かい人もいたからです。ある家主は、倒産を避けるために家賃の値下げを申し出てくれました。給料も遅配になっているのに、子どもたちに対する責任があるからといって出社をして仕事をしてくれる従業員もいます。以前、私たちの保育所を気に入ってくれた保護者たちが、営業再開をすると戻ってきてくれます。子どもたちの食事や飲み物を納入してくれる業者は、私たちの苦境を察して、支払いの先延ばしを申し出てくれました。投資家の中には、私を励ましてくれる人もいます。

▲オフィスも引っ越しをして、家賃を節約する必要に迫られた。関係者の好意で低家賃の場所が見つかり、引っ越しをする直前のオフィス。

 

子どもに励まされ、今でも生きている

ようやく広州市に手に入れた自宅も売却をし、引っ越しをしなければならなくなった日、広州市には大雨が降りました。それでも引っ越しを中止するわけにはいきません。4歳の娘は、窓の前に立ち、長いこと、外に降る雨を眺めていました。そして、私に向かってこういったのです。「ママ、だいじょうぶ。これからは私がお金を稼ぐからね」。こんな小さな娘が、すべてを理解しているのだと思うと、涙が止まらなくなりました。

今、再び、感染が拡大をしています。私はICUに入院した重病者のようなもので、何もすることができません。ただ、呼吸を止めないように努力をすることしかできません。道を走ることもできず、休むこともできないのです。今後、どう生きていくべきか、まだ何もわかりません。私の人生にこのような3年間が訪れるとは思ってもみませんでした。コロナ禍は多くの人の人生を変えてしまったと思います。

▲ようやく購入した自宅も手放さなければならなくなった。名残惜しそうに窓から外を眺める4歳の娘。