中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

底辺プログラマーの生き方。はいあがろうとする3人の残酷物語

中国のITエンジニアは796万もいる。しかし、その中の9割以上は、コード農民、プログラミング猿などと呼ばれる底辺エンジニアだ。なんとか上にはいあがろうと努力はしているものの、高い壁に阻まれている。3人の底辺でもがき続けるエンジニアを媒体が取材した。

 

「大きいが強くはない、速いが質は高くない」中国のデジタル経済

中国短編SFの傑作「折りたたみ北京」(郝景芳)には、こんな一節がある。「人々は階級と出身によって隔てられ、舞台の上で、永遠に終わることがない都市演劇を演じている」。

習近平総書記が発表した「我が国のデジタル経済を強く、質を高く、規模を大きくし続ける」という文章では「世界のデジタル経済大国、デジタル経済強国と比べると、我が国のデジタル経済は規模は大きいが強くはない、スピードは速いが質は高くない」と分析されている。

アリババ、テンセント、百度、バイトダンスというテックジャイアントの技術レベルは素晴らしく、優秀なエンジニアがそろい、常に新しい地平を切り拓いている。しかし、それは796万人いるITエンジニアのうちのごく一部でしかない。9割以上のITエンジニアは、都市演劇という群衆劇の中で端役を演じるしかなく、いつか主役に躍り出たいと思いながら、年を取り、舞台を去ることになる。

 

山村で生まれて10年でグーグル勤務の女性

そのような中で、多くの人を勇気づけているのが、ある女性が発表した「湖南省の山村で生まれて、深圳の工場で働き始めて10年。今は、ニューヨークのグーグル勤務」という文章だ。努力をすれば、必ず報われる。このような文章に勇気づけられて、ITエンジニアを目指す若者が増えている。しかし、彼女のように主役の座を射止めるのは簡単なことではないようだ。

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▲「湖南省の山村で生まれて、深圳の工場で働き始めて10年。今は、ニューヨークのグーグル勤務」の文章を公開した女性の現在。グーグルのニューヨークオフィスに勤務をしている。

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▲この女性は湖南省の山村で生まれた。深圳に出て、工員として働き始めたが、常に這い上がる強い意志を持ち続けた。中国の多くの若者からヒロインとして崇められている。

 

シャオミのスマホに夢中になった高校生

呉哲(仮名)は、高校2年生の時に小米(シャオミ)のスマートフォンを手に入れ、夢中になってしまった。プリインストールされているアプリは消せないものだと思っていたが、友人からその消し方を教えてもらって驚いた。デジタル製品というのは自分で好きなように使うことができる。それからプログラミングに夢中になってしまった。

しかし、呉哲はプログラミングに期待をしすぎたのかもしれない。プログラミングは芸術であって、自分は芸術家なのだという意識を持ちすぎた。高校でプログラミングの初歩を教わっても、素直に学ぶことができなかった。自分が学びたいのは、こんなレベルの低いことではないのだと思ってしまったのだ。

大学で本格的なプログラミングを学ぼうとしたが、学校の成績は芳しくなく、高考(共通試験)の点数も低く、高専に行くしか道がなかった。IT系を専攻しようとしたが、家族は反対をした。家族は当時としては将来性がよくわからないITなどに進むよりも、金融関係に進んでほしかった。その反対を押し切って、IT系の高専に進学した。

入学をして、学ぼうと思ったのがJavaだった。その当時、すでに25年以上の歴史があり、多くのIT企業がJavaのエンジニアを募集している。呉哲は自分の嗜好だけでなく、エンジニアとして働く場所が広くなるような技術を身につけようと考えていた。

 

変化が早すぎて振り回されるばかり

しかし、2年生になって専門教程が始まってみると、Javaに関連した講座がないことに気がついた。教授に相談をすると、高専は明日の人材を育てるところで、Javaを学びたいのであれば独学でも身につけられると言われた。話をする中で、今後有望になるのはアンドロイドのアプリ開発のようだと考え、そちらに力を入れることにした。

呉哲がアンドロイドについて学び始めると、技術の世界に大きな変革が起きた。AIがにわかに注目されるようになり、学ぶのであればPythonだという風潮になった。

呉哲はその大きな変化に驚き、アンドロイドの勉強を中断し、Pythonを学ぶことにした。しかし、卒業をしてみると、確かに多方面のことを学んだものの、どれも中途半端で、これといった技術を身につけることができていないことに気づかされた。呉哲は自分に自信を持つことができなかった。

3年生になり、就職活動が始まる。呉哲も多数の企業にエントリーシートを送ったが、応じてくれたのは1社だけだった。大学との共同ベンチャー企業で、顔認証技術の開発をしていた。しかし、インターンとして働いてみると、企業と言えば聞こえはいいが、実態は、エンジニアをさまざまな企業に派遣する人材派遣会社にすぎなかった。

 

現実の業務に対応ができない

呉哲は結局、卒業後、フィンテック系のベンチャー企業に採用された。しかし、2ヶ月ほどでもはや退職をしたくなっていた。毎日夜9時半まで働いて、仕事が終わると上司が面談に誘う。そこで言われるのは、「現実に適応ができていない」ということだった。プロジェクトがスタートしても、毎日のように軌道修正、変更があり、場合によってはいったん白紙に戻して再スタートということもある。そのたびに会議が行われ、やるべきことが決められるが、それが数日後には再び変更される。呉哲はそれに疲れ切ってしまっていた。しかし、上司の評価は「君は何も生産していない、何も成果を出していない」というものだった。

 

東南アジアで今だけを見て生きている

呉哲は結局、フィンテックベンチャーを退職して、外資系のIT企業に転職をした。そこでの仕事は東南アジアのIT企業の技術支援をすることだった。中国の大手IT企業と中小のIT企業では技術開発レベルに雲泥の差がある。同じように、中国と東南アジア各国では雲泥の差がある。

呉哲はある東南アジアのIT企業に派遣をされた。そこで先方の経営者から求められて、その場でウェブアンケートの画面を作成した。それは誰でもできる簡単なことにすぎなかったが、先方の経営者は目を丸くして驚いている。

呉哲がエンジニアになろうと思ったのは、小米のスマホに感動をして、「技術で世界を変える」という言葉に大きな夢を描いたからだ。しかし、現在は東南アジアの企業向けにウェブアンケート画面をつくって驚かれている。

仕事は毎日6時半には帰ることができる。給料も多くはないとはいうものの普通の人よりはもらっている。呉哲は帰宅をし、食事を済ませると自分の時間をもつことができるようになった。その時間だけが、自分らしく生きているように感じている。しかし、このままただ年をとっていくのだとすると、自分の人生は何なのだろうと暗い気持ちなる。だから、そのことには考えないようにして、今だけを見て生きるようにしている。

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▲中国には無数のIT系の訓練学校がある。どこも盛況で、多くの若者が、高給がもらえるITエンジニアを目指して学んでいる。

 

インターン実習で、さっそく中小の悲哀をまのあたりにする

陳穎(仮名)は高専に通っていたが、最終学年になってソフトウェアエンジニアに興味を持ち出した。以前は、彼女が通っていた高専からIT企業に入社をしても、多くの場合、カスタマーセンターのスタッフになるのが関の山だった。しかし、ある教官がエンジニアとしても働ける道はあると勧めてくれ、挑戦をしてみる気持ちになった。

教官はまずIT企業をあたってみて、インターン実習をしてみることを勧めた。それで様子もわかるし、自分の適性もわかるからだ。そこで、彼女は先輩卒業生などを頼って、ある委託開発企業のインターン実習を取り付けた。委託開発と言っても、テックジャイアントとの共同プロジェクトが多い。就職先としてもじゅうぶんな企業だった。

ところが不幸なことに、インターンが始まって1週間後、彼女が所属をしていたプロジェクトが、発注元のテックジャイアント企業の都合でキャンセルになってしまった。仕事がなくなってしまったスタッフは、他の部署に配置転換になるのかと思っていたら、この規模の企業ではそうではなかった。規模の小さな企業で、プロジェクトが唐突にキャンセルされると、人員を他部署で吸収することは難しく、多くの場合、辞職または解雇になるのだ。中小企業の悲哀のひとつだ。

 

質よりも納期を重視する日本向けの仕事

陳穎のインターン実習をした担当者は、申し訳ないが東莞市の拠点に行って、新プロジェクトに参加し、実習を続けてほしいと言う。彼女はそれに従った。

そのプロジェクトは、日本の企業向けのシステム開発だった。日本企業は納品時期について異常に厳しい。バグが残っていようとも、納品時期にいったん納品をさせ、後からメンテナンスと称して残りの開発をさせる。そして、追加の開発予算は出さない。そのため、日本向けの仕事は、質よりも時間が最優先される。

陳穎の体内時計は混乱をすることになった。本来は9時出社、6時退社なのだが、出社時間はあってないようなものだった。なぜなら毎日深夜まで残業があるので、起きたら出社するというのが全員の習慣になっていた。午前中にバラバラと出社し、午後に打ち合わせをし、本気を出すのは夕方になってからのことになる。

 

IT業界に幻滅をし、メディアへの転職を考える日々

過酷な実習を終え、卒業後、陳穎はある委託開発企業に就職をした。そこで配属されたのは本部のHR部門だった。

陳穎はもはやIT業界に過度な幻想を持っていなかった。その企業でもエンジニアは残業をするのが当たり前だったが、陳穎は意味のない残業は断った。そして、帰宅後は自分に投資をする時間にしている。必要な資格を取り、メディア関連企業に転職をしようと考えているからだ。もうITエンジニアという職業にこだわりは持っていない。

 

見下される文系出身エンジニア

今年28歳になる周凱(仮名)は、外資系企業のITエンジニアをしている。しかし、彼は理工系大学の出身ではなく、外国語専攻だった。エンジニアの世界にも出身による差別や蔑視がある。理系出身者は文系出身者を見下す。自社開発企業は委託開発企業を見下す。大手企業は中小企業を見下す。ネット企業は伝統企業を見下す。エンジニアは合理的であるはずなのに、そのような蔑視がいたるところに存在している。周凱はそのような蔑視とも戦わなければならなかった。

 

素人同然で現場に放り込まれる

エンジニアになるには、普通は理系の大学を卒業するか、IT系の専門学校を卒業する。周凱は大学では外国語を専攻した文系学生だ。しかし、高校の時は理系コースを選んでいて、数学やプログラミングは好きな方だった。そのため、大学の就職活動で、ある日系のIT企業にもエントリーシートを送ったところ、そのまま採用になってしまった。

入社後、3ヶ月間、国内で研修を受けた後、周凱は日本に長期出張をすることになった。1年半の長期プロジェクトに参加するためだ。

しかし、3ヶ月の研修だけではとても一人前になることはできない。それなのに、日本ではいきなり現場に放り込まれた。誰もサポートをしてくれない、誰もコーチングをしてくれない。右も左もわからず、どうプログラミングをしていいのかわからず、下手をすると自分が何をつくっているのかもわからないまま、周りの人に聞き、ネットでググって調べながら、仕事を進めるより他なかった。

仕事は残業が当たり前で深夜に及ぶ。耐え難かったのは、底辺エンジニアの悲哀をたっぷりと味わされたことだ。全体像がわかっていないと、自分の仕事を進められないことがある。そのため、全体構造を聞こうとしても、上級エンジニアは「君が知る必要はない」と見下した目で見る。

一方で、全体像がわからないことにより自分の書いたコードに問題があると厳しく叱責される。レンガを積めと言われているのに、何をつくっているのかは教えてもらえない。壁をつくっているのだろうと思ってレンガを積んでいたら、そこは暖炉にするに決まっているだろうと罵倒される。周凱はオフィスから逃亡をして、そのまま中国に帰ってしまおうと考えたことが何度もあった。

 

現場にいても成長した実感が得られない

ようやく1年半のプロジェクトが終了し、周凱は日本にそのまま残らないかと誘われたが、断って中国に帰ることを選択した。それだけでなく、帰国をしてこの会社を辞めるつもりだった。その理由は、自分が1年半で成長できた気がまったくしないということだった。

日本人のエンジニアは1つの企業に長年努めるため、このような仕事の仕方でも生活をしていくことができる。しかし、中国人である自分は、転職をしながら、技術を身につけ、自分を高めていかないと生活をしていくことができない。このまま日本にいて、同じことをやっていると、疲れるだけで何も身につかないまま年を取ることになってしまう。

周凱は中国に帰国をして、日系企業を退職し、別の外資系企業に転職をした。今度の企業では、小さなチームでプロジェクトを遂行する。そのため、全員がプロジェクトの概要を理解していることが重視されている。自分はその中の小さな部品をつくっているだけだが、それが全体の中でどのような位置にあり、どのような働きをするのかを理解した上でコードを書くことができている。ここで多くを学び、身につけ、次はそれを活かせる企業に転職をしようと考えている。

一方で、自分は小さな歯車にすぎないのだとも感じている。より優れた歯車にならないと生き延びていくことはできない。そう考え、自分を高めようとしているが、夜寝る前には心が折れそうになることが何度もある。