中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

香港の運び屋から始まった宅配企業「順豊」。成長の鍵は低価格戦略

中国の宅配物流を支えている順豊。荷物扱い量は中国郵政に次ぐ多さだ。しかし、20年前の創業時は、香港と大陸のグレーな運び屋が出発点になっている。成長できたのは低価格戦略をとったため、低コスト意識、サービス品質を常に向上させてきたからだと 欣欣網が報じた。

 

運び屋から始まった巨大宅配企業「順豊」

中国の宅配大手「順豊」(シュンフォン、SFエクスプレス)は、創業わずか20年

の2019年には売上が1121.93億元(約1.7兆円)と、1000億元を突破した。従業員数は30万人以上、66機の貨物専用航空機を所有する企業になった。

しかし、この巨大企業は、大資本が背後にいるのではなく、創業者が始めた「運び屋」の小遣い稼ぎから始まっている。まさに0から1にし、100に成長した企業なのだ。

f:id:tamakino:20201018172939j:plain

▲現在の順豊のトラック。SF Experessが国際ブランド名。日本でも配送を行なっている。SFは順豊(ShunFeng)の頭文字。

 

f:id:tamakino:20201018172945j:plain

▲順豊は専用の貨物航空機を所有している。これにより、中国国内の長距離配送を行っている。

 

上海生まれの香港人、創業者の王衛

創業者の王衛(ワン・ウェイ)は、1971年上海で生まれた。父親は人民解放軍でロシア語の通訳官を務めていた。母親は大学の講師だった。経済的にも豊かな知的な雰囲気のある家庭だった。

しかし、王衛が7歳の時、一家は香港に転居をした。王衛は理由を語っていないが、おそらくは政治的な理由ではないかと思われる。王衛の親の職歴は、香港では考慮されず、親は肉体労働をするしかなくなってしまった。

これが、王衛の人生に大きく影響をする。当時の香港はビジネスが絶好調の頃で、王衛も、成人したら、何らかの商売をするものだと思って育ったのだ。

高校を卒業したが、王衛は大学に進むことをせず、親戚の商売を手伝うことにした。広東省仏山市の順徳にある染物工場の工員となった。ここが王衛のすべての出発点になっている。ブルーカラーの労働者から出発をして、今日の巨大企業を作り上げたのだ。

f:id:tamakino:20201018172942j:plain

▲創業者の王衛(右)。上海の知的な家庭に生まれたが、香港に移住し、生活が苦しくなった。そのため、若い頃から何か商売をしたいと考えるようになったという。

 

香港に生まれた大陸進出熱

90年代、中国の改革開放が始まり、香港にとって中国は新たなフロンティアとなり、香港は活況に沸いた。8万社を越す香港の製造業が、中国国内に工場を作り始めた。安い人件費、安い土地代を活かして、価格競争力のある製品を製造するためだ。そのうちの5万社が、香港から近い広東省の深圳、東莞、広州を含む珠江デルタ地帯に集中をしている。当時の珠江デルタ各都市では、「毎日、新たな香港系企業が創業している」と言われたほどだった。

王衛もこの熱気の中で、広東省仏山市順徳で起業をしたが、うまくいかず失敗をしてしまった。しかし、若い王衛は失ったものは何もなく、得たものは大きかった。多くのビジネス上の知り合いを作ることができたからだ。

f:id:tamakino:20201018172935j:plain

▲初期の頃の順豊の作業の様子。肉体労働であり、今日の順豊の姿を予想していた人は、創業者の王衛ぐらいなものだった。

 

運び屋というグレービジネスを始めた王衛

王衛は、順徳と香港を忙しく行き来していた。すると、知人から荷物を運んでくれないかと頼まれることがあった。多くの香港人が、中国国内に単身赴任をしていたため、家族との間で、手紙や荷物をやりとりしたいが、当時の郵便事情は、配達に時間がかかる上、香港と中国間では税関を通らなければならず、荷物が届かないことも多かった。輸出入が認められていないものは没収されてしまうし、当時の中国では関係者がくすねてしまうことすらあった。

そこで、知人たちは、仕事で行き来をしている王衛に荷物を託したのだ。もちろん、ただではなく、王衛の小遣い稼ぎとなった。

 

「ねずみ」と呼ばれた従業員6名の順豊

王衛は、すぐにこれを事業化しようと考えた。香港と順徳間の配送会社だ。そこで、1993年に、父親から10万元を借り、友人と順徳で「順豊」を創業する。また、香港の九龍呉淞街にある宝魂商業センターの中に小さな店舗を借りて、香港側の集積拠点とした。従業員6名のささやかな宅配企業だった。

企業というより、「運び屋」といった方がいいくらいの規模だった。当時、中国での荷物の配達は、中国郵政以外認められていなかった。あくまでも配達ではなく、順豊の拠点から拠点へと荷物を運んでいるだけという苦しい建前のグレーなビジネスだった。そのため、関係者から「ねずみ」と呼ばれていたほどだ。

f:id:tamakino:20201018172933j:plain

▲香港の九龍呉淞街にある宝魂商業センターの中に、順豊の最初の集積所が設けられた。最初はここから中国の順徳の間を、運び屋のように荷物を運ぶグレービジネスだった。

 

配達料は半額、数でこなして利益を出す

しかし、このねずみたちの結束は強かった。仕事を取るために、ライバルの配達料金の半額ほどで荷物を引き受けていたため、利益は薄いにもほどがあった。それで利益を出すには数をこなすしかない。7人は、同じ家に住み、同じ食事を食べ、朝から深夜まで働いた。その中でも、いちばん働いていたのが王衛で、睡眠時間は3時間から4時間程度だったという。

この王衛はいちばん働いているということが、小さな順豊の求心力となり、結束が強まっていった。

f:id:tamakino:20201018172929j:plain

▲初期の順豊は、従業員がとにかくまめに働く。価格を安くし、数をこなすことで利益を出すしかなかったからだ。

 

たびたび行われる猫のネズミ狩り

彼らがねずみと呼ばれた理由は、違法配達の取締りが強化されていったからだ。香港と中国を結ぶ道路では検問が行われ、公安が荷物をチェックする。ここで違法配達が発覚をすると、罰金を課せられることになる。順豊もたびたび罰金を支払うことになる。

検問をする公安は「猫」、違法配送業者たちが「ねずみ」と呼ばれた。

事業は順調で、売上は上がっていったが、利益のほとんどは罰金で取られてしまう。

f:id:tamakino:20201018172949j:plain

▲中国の街中では、このオート三輪をよく見かける。末端の個別配送に使われる。

 

薄利だからこそ生まれた低コスト体質とサービス品質

王衛は、このようなことを繰り返していても、順豊は成長できないと考え、2つの改革を行なっていった。ひとつは、配送を可能な限り効率化してコストを下げることだ。もうひとつは配達エリアを華南地区全体に広げること。そして、華東、華中、華北と全国展開をしていこうと考えた。

1995年には、順豊は全国をカバーするようになっていた。香港と順徳だけの配送時代に、仕事を取るために価格を安くし、それでは利益が出ないので、業務の効率化を徹底させた。

これが強い競争力となって、順徳は全国拡大をしても強かった。例えば、順豊には黎明期から「収1派2」というルールがある。これは荷物の発送の申し込みから1時間以内にピックアップに行き、配送拠点から2時間以内に出荷するというものだ。低価格で利益を出すために業務効率化を追求し、それが顧客に対するサービス品質に跳ね返ってきている。

2008年には、中国で全国をカバーしている唯一の宅配企業となった。現在では、中国郵政に次ぐ規模の宅配企業となり、中国のECビジネスを支えている。