中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

一流校でなくても成功できる。アリババ、テンセント、バイトダンスの創業者は非一流校出身

中国で一流大学を卒業した優秀な学生を、破格の高給で雇用する傾向が進んでいる。そのため、一流校を志望する高校生が増えているとも言われる。確かに、一流大学の卒業者には成功者が多い。しかし、二流校以下の出身者でも起業に成功している例はいくつもあると青企同行が報じた。

 

一流校への進学志向が再び強くなり始めている

ファーウェイが、201万元(約3100万円)の初任給で雇用する「天才少年」計画が話題になっている。すでに8名が内定を得たが、今年2020年では20名から30名、来年2021年は200名から300名を雇用する予定だ。

ただし、当たり前だが、普通の人が採用されるわけではない。ファーウェイに天才少年として入社した張霽は、華中科技大学の時代から、教授や同級生に「スーパー大学生」と称賛される存在で、博士号を取得すると同時に、さまざまな国際会議で論文発表を行い、有名な存在だった。

似たような計画をエンターテイメントポータルの「網易」(ワンイー)でも行っている。こちらは学部新卒限定で、年棒は50万元以上(約780万円)。急速に需要が増しているオンライン学習講座の講師をしてもらう。

しかし、その応募条件が厳しい。清華大学北京大学、上海復旦大学、南京大学、浙江大学、華中科技大学、人民大学というQS世界大学ランキングの上位50位以内に入る大学の卒業者に限定され、数学、物理、化学、生物、情報の5つの国際コンテストで国家級の受賞経験があるか、高考(共通入学試験)で、省の100位以内、市の20位以内に入っている必要がある。

2019年の大学学部卒業者の平均初任給は5440元。年棒換算で6万5280元(約102万円)、大都市部ではこの数倍が相場であるとはいうものの、50万元の年棒は破格ではある。

このような企業の雇用戦略が話題になるにつれ、高校生の間では再び一流校への進学志向が強くなっているとも言われる。

 

非一流校出身でも成功したジャック・マーとポニー・マー

確かに、中国のトップ校である清華大学北京大学の出身者が、テック企業を創業して成功している例は多い。IT桔子の調べによると、清華大学は1800名、北京大学は1100名のテック企業創業者を輩出している。本人が優秀であるというだけでなく、同級生から刺激を受け、さまざまな人脈を作ることができる「一流の環境」が大きく作用している。

しかし、このような一流校ではない大学の出身者で、起業をして成功している経営者もたくさんいる。最も有名なのは、アリババの創業者、馬雲(マー・ユイン、ジャック・マー)だ。数学が苦手であるため、2回大学受験に失敗し、3回目の受験で、杭州師範大学に入学をした。それも、英語が頭抜けてできることから、高校の教師たちが運動をした上での特例入学だった。

テンセントの創業者、馬化騰(マー・ホワタン、ポニー・マー)もそうだ。当時の高考で900点満点中739点を取り、どの大学でも好きに選べる好成績だったが、あえて地元の深圳大学を選んだ。ポニー・マーが専攻したかった計算機科学は、当時、まだ多くの大学の設置されてなく、深圳大学にあったため選んだという。また、ポニー・マーは海南島生まれであるため、深圳市以外の大学に進学をし、市外に居住すると、深圳市の都市戸籍を失ってしまうことも関係したとも言われている。

深圳大学は一流校とは言えないものの、ポニー・マーに優れた環境が与えられなかったというわけではない。テンセントを起業して、後に「テンセント五虎将軍」と呼ばれるようになる4人の仲間は、いずれも深圳大学で知り合った人たちだ。

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▲大学時代のジャック・マー。数学の成績が悪く、大学受験に二度失敗をしている。

 

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▲大校生の頃のポニー・マー。天文学者になるのが夢だった。

 

女性が多く、海鮮が美味しい基準で大学を選んだバイトダンス創業者

バイトダンスの創業者、張一鳴(ジャン・イーミン)も、天津市の南開大学出身で、一流校だとは言えない。張一鳴は、そもそも一流校に入ることを目指していなかった。大学を選ぶ時、4つの条件を考えたという。「ガールフレンドがほしいので女性が多い大学」「海に近く、海鮮が美味しい街」「実家から遠く、親と離れて暮らせる場所」「冬には雪が降る街」。

この条件で、211の大学を調べて行った結果、4つの条件をすべて満たすのは南開大学しかなかったという。生物工学を専攻し、教授になることが目標だったのに、南開大学の生物系にはわずか1点足りなく、仕方なく電子工学を専攻したという。

しかも、入学してすぐに失望したという。静かで学ぶにはうってつけの環境だったが、張一鳴が望んでいたのは、賑やかで大学生にしかできないバカ騒ぎが年中起きている環境だったのだ。後悔をしたが遅かった。張一鳴は、唯一自分の中で面白いと思ったプログラミングばかりしていた。それが後のバイトダンスの創業につながっていく。なお、当時のガールフレンドが現在の妻であり、南開大学は、4つの条件のうち1つは満たしていたことになる。

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▲今日頭条を操業して成功した頃の張一鳴。この頃から、機械学習に取り組んでいた。

 

猛勉強の末、推薦入学だった拼多多の創業者

ソーシャルEC「拼多多」(ピンドードー)の創業者、黄(ホワン・ジャン)も大学で挫折をしている。黄杭州市のごく普通の家庭に生まれた。母親はシルク工場で働く工員だった。しかし、黄は小さな頃から、常にいちばんでないと納得ができない性質だった。高校では杭州市いちばんの一流校、杭州外国語学校に入学をした。

高校でも常に成績が学年1位でなければ納得せず、猛勉強をした。そして、最終学年になると、浙江大学への推薦が決まった。黄は悩んだという。浙江大学は、清華大学北京大学から見れば見劣りがするが、華南地区ではトップクラスの大学だ。そのまま推薦で浙江大学に進むか、あるいは高考を受けて、清華大学北京大学を狙うか悩んだのだ。

結局、黄浙江大学への推薦を選ぶ。その時、大きな喪失感があったという。それまで学生の本分は勉強であると考え、すべての時間を勉強に注ぎ込んできた。しかし、その代わりに、大人に反抗する気持ちや、青春を楽しみたい気持ちを抑え込んできた。生き方として間違っていたのではないか。それ以来「60%の幸福」ということを考えるようになる。

この力が抜けたことで、米国ウィスコンシン大学への留学、グーグル入社、拼多多の創業という道が開けてきたと黄は考えている。

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▲拼多多が成功した頃の黄。勉強熱心で常に成績は1番だった。しかし、推薦で大学に進学したことから、自分の生き方を見直した。

 

受験でポカをやり三流校に進学した滴滴出行の創業者

滴滴出行(ディーディー)の創業者、程維(チャン・ウェイ)は、典型的な受験失敗組だ。母親は数学の教師をしており、程維も小さな頃から数学の才能が突出していた。清華大学北京大学も狙える成績を取っていた。ところが、高考の数学の試験で、綴じられた試験問題の最後の1ページに気がつかず、3問をまるまる未解答のまま提出するという失敗をした。

それで、北京化工大学というかなりランクの下の大学に進むしかなかった。程維は「中国のどこで生まれても、北京で暮らしてみたい」と小さい頃から思っていたので、北京市の大学であればと考えたようだ。しかし、大学を卒業してからは就職に苦労をすることになる。保険の外交であったり、一時期は足裏マッサージ店のスタッフとして働いていたこともある。

それが、学歴にはこだわらないアリババに入社し、法人営業職でめきめきと頭角を現し、同僚や上司に支えられて、滴滴出行を操業することができた。程維にとって、大学は不本意だったが、アリババという企業がビジネスを教えてくれ、仲間と出会う大学の代わりをしてくれた。

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滴滴出行がトップシェアを握った頃の程維。大学受験では大失敗をし、後に卒業をしてから苦労をすることになる。

 

一流大学に失望をした百度の創業者

百度バイドゥ)の創業者、李彦宏(リ・イエンホン、ロビン・リー)は、北京大学に入学をしたが、大きな失望を味わうことになった。李彦宏は、高校生の頃から情報科学という分野に興味を持ち、大学で学びたいと考えていたが、当時の中国の大学で情報科学をきちんと教える学部はまだ存在しなかった。そこで、北京大学図書館情報学を目指して入学したのだ。そこで、デジタル情報学のようなものも学べると思っていた。

しかし、実際に、大学で教わったのは、図書カードの作り方だった。情報学と言うにはあまりにも古い図書分類の手法ばかりを教わる。中国の最高の大学でもこのレベルなのかと失望をして、ニューヨーク州立大学への留学を決意する。卒業後、そのまま米国でダウ・ジョーンズインフォシークでエンジニアとして働いた。特に、インフォシークでは検索エンジンの開発に携わり、それが中国に帰国してから百度を創業することにつながっていった。

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▲大学時代のロビン・リー。北京大学という一流校に入学したが、授業の内容は望んだものではなく、大きな失望を味わった。

 

必要なことはネットから学んだ網易の創業者

面白いのは、出身大学など厳しい条件をつけて新卒者を雇用する計画を進めている網易の創業者、丁磊(ディン・レイ)も大学で挫折をしていることだ。高考の成績はよかったが、一流大学に進学できる予想ラインをわずかに1点超えているだけだった。実際には、成績上位者から進学したい大学を選択していくため、丁磊は安全を考えて、ランクの低い成都電子科技大学を選んだ。

丁磊はパソコンに夢中になっていたが、親が「これからは通信技術の時代だ」と言うのを聞いて、マイクロ波通信を専攻した。しかし、その学科はわずか30名しかいない成都電子科技大学の中でいちばん小さな学科だった。授業も面白いとは思えず、丁磊は図書館でコンピューターを独学し、勝手に計算機関係の授業に出席し、コンピューターばかりを触っていた。

丁磊は、大学で教わったことは、起業してから何ひとつ役に立っていないと公言している。大学の意義は、論理的思考能力と、自分で学ぶにはどうすればいいかが身につくことだと言う。「まったく講義を聞かず、本を読めば、数週間でひとつの学問分野の概要は把握ができるようになった。それが、後にインターネット時代になって大きく、必要な分野のことはすべてインターネットから学べるようになった」と語っている。

その網易が、出身大学の条件をつけた高級人材の雇用計画を進めている。大学共通入試である高考は毎年6月に行われる。今年2020年は、コロナ禍にもかかわらず、1071万人が受験し、2010年以来の記録となった。少子高齢化により、高校生の数は減少傾向であると言うものの、大学を志望する学生は年々増えており、高考は今後も厳しさが増していくと見られている。

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▲網易を創業した頃の丁磊。現在はすっかり貫禄がつき、別人のようになっている。