独身の日セールの莫大なトランザクションを支えているのは、アリババのクラウド「アリクラウド」だ。しかし、王堅がアリクラウドの開発に着手をした時は、逆風しか吹かなかった。ジャック・マーから10億元を騙し取ったとまで言われた。しかし、現在のアリクラウドはアリババのサービスを支え、毎年4500億元を稼ぎ出していると三角男が報じた。
1日で10億件以上のトランザクションを処理するアリクラウド
今年も11月11日独身の日セールが近づいてきた。昨2019年のセールでは、アリババの「天猫」(Tmall)では、わずか1日で売上が2648億元(約4.1兆円)、12.92億個の宅配便が発送された。
これを支えるインフラにとって、この桁外れの注文と決済は、もはや国家級サイバー攻撃の規模だ。この処理を可能にしているのがアリババのクラウドサービス「アリクラウド」だ。
アリババにとって、独身の日セールはプロモーション経費が大きく、赤字イベントになる。それでも行う理由は、淘宝網(タオバオ)、天猫などのEC利用者の拡大だが、もうひとつ、アリババのクラウド、物流、プロモーションの実戦演習になっている。毎年、売上記録を更新しながら、アリババはECとしてのインフラを大幅に強化することで成長してきた。
エンジニアたちは、独身の日セールの1ヶ月前からは、もはや自宅に帰ることはできず、社内にテントを貼って、そこで寝泊りをするという。
▲10月になると、アリババ社内にできるテント村。11月11日の独身の日セールに向けて、すべての部署で準備に追われ、帰れない人が出てくる。準備期間は1ヶ月に及ぶ。
アリクラウドの父「王堅」
このアリクラウドをスタートさせたのが王堅(ワン・ジエン)で、現在ではアリクラウドの父と呼ばれる。
王堅は、30歳で杭州大学の心理学教授になるという英才だったが、人間工学、マンマシンインタフェースなどが専門分野であったため、活躍の場を大学以外に求めるようになった。
1999年、37歳の時に杭州大学を辞職して、マイクロソフトアジア研究院に転職をする。この研究機関には、当時、中国の人工知能研究のトップ研究者が集結をしていた。グーグルから移籍してきた李開復、百度(バイドゥ)総裁となった張亜勤、キングソフトCEOとなった張宏江、マイクロソフトグローバル副社長となった沈向洋など、中国トップクラスの人工知能研究機関となり、「人工知能の士官学校」と呼ばれた。王堅は、このマイクロソフトアジア研究院の常務副所長にまでなった。
▲アリババのクラウド「アリクラウド」を開発した王堅。現在ではアリクラウドの父と呼ばれている。
ジャック・マーに直言。それが縁でアリババに移籍
2008年に、アリババの技術総監である劉振飛が、技術的な相談をするため、王堅に面会を求めた。これが縁になって、ジャック・マーとも面会することになる。王堅は、ジャック・マーと初めて会ったときに、大胆にも「テクノロジーを掌握しなければ、将来、アリババの影も形もなくなることになると思います」と言い放ってしまった。
ジャック・マーは、この失礼で大胆な提言に怒ったりしなかった。なぜなら、王堅の言葉は、ジャック・マーが心中抱いていた不安をずばりと言い当てていたからだ。2009年、王堅はジャック・マーの強い要望で、アリババに移籍をし、クラウドシステムの開発を任されることになる。
当時は否定的な見方がされていたクラウド
今でこそ、クラウドは当たり前のインフラだが、当時はそうではなかった。クラウドという言葉が最初に使われたのは、2006年8月のグーグルの検索エンジン戦略会議の席上で、当時のエリック・シュミットCEOが初めて持ち出した概念だ。
しかし、多くの専門家が反発をした。サン・マイクロシステムズのジョナサン・シュワルツCEOは「ネットワークコンピューティングを新しい言葉に置き換えただけじゃないか」と言い、オラクルのラリー・エルソンCEOは「すでに我々がやっていることで、宣伝文句を変えただけじゃないか」と言った。もちろん、クラウドが普及してしまうと、強力なライバルになるため、ポジショントークの側面はあるものの、クラウドは理解されなかったし、反発、懐疑も多かった。
それは中国も同じだった。百度のロビン・リーCEOは「古い酒を新しい瓶に詰めたものにすぎない」と言い、テンセントのポニー・マーCEOは「100年後なら可能かもしれないけど」と言った。
それだけではない。王堅を中心にクラウド開発部隊が組織されたが、そのメンバーたちからして「クラウドって何?。私たちは何を開発すればいいのか?」という議論から始めていた。
脱IOEという具体的な目標を設定した王堅
王堅は、このクラウドに対する理解が進まない中、脱IOEというわかりやすい目標を設定した。当時の中国の大手企業は、どこも、IBMのミニコンピューター、オラクルのデータベース、EMCのストレージ、ネットワークを使うというのが定番だった。この3つをすべて廃止することが目標だとしたのだ。そのためには、データセンターに高い計算能力、処理能力を持たせる必要がある。PCや携帯電話という端末は、クラウドの操作をし、結果を見るだけの存在になる。この目標を掲げることで、クラウドが何であるかを理解させていった。
冷房が壊れ、停電をする環境で始まったクラウド開発
2009年9月、正式にアリクラウドが設立され、王堅たちの開発が始まった。ジャック・マー肝煎のプロジェクトだったが、与えられた予算は多くはなかった。そのため、最初のオフィスは北京の賃貸オフィスの狭い一間で、エアコンも半ば壊れているような古いビルだった。さまざまな機器が動いているため、冬は暖かかったが、夏は耐えられない暑さだったという。そこで王堅は、毎日、氷屋に大きな氷を2つ配達させ、それをテーブルの下に置いて、足をつけて、冷をとっていた。
しばらくして、ジャック・マーが視察にやってきた。王堅たちは、クラウドのデモをジャック・マーに見せる予定だった。ところが、その時に、ビル全体のブレーカーが落ちてしまったのだ。ジャック・マーは30分待たされて、ようやくデモを見ることができたという。
離職率80%、お荷物と呼ばれ、詰められる王堅
開発は難航した。そもそもクラウドなどという誰も見たことがなく、使ったことがないものを開発しようとしているのだ。王堅の頭の中にイメージはあったが、それをどう実現すればいいのかは王堅もわからない。仕事は過酷。方向性はぶれる。オフィスはボロボロ。王堅チームの離職率は80%にも達していた。
次第にアリババ内部で、アリクラウドは「アリババのお荷物」と呼ばれるようになっていた。すでに10億元(約155億円)の経費を使っているのに、稼いだ金額はゼロに等しかった。アリババの内部では、王堅を詐欺師ではないかと囁く声も聞かれ出した。王堅はジャック・マーから10億元を騙し取ったのだとひどいことを言う人もいた。
会議で追及され、泣き出した王堅
2012年8月、王堅がアリババのCTOに就任することが決まると、不満が爆発した。アリババの例会で、王堅の解雇を要求する声が上がってきたのだ。さらにアリクラウドチームの解散も要求された。このとき、矢面に立たされた王堅は、あまりの反発の強さに驚いて、社員の前で泣いてしまった。どうしていいか分からなくなってしまったのだという。
その時に、ジャック・マーが発言をした。「王堅にもう少し時間をあげてほしい。テクノロジーはアリババの生命線だ。みなさんにお願いをする。王堅を支持してあげてほしい。王堅を信じてあげてほしい」。
これはジャック・マーの発言としては極めて異例だった。ジャック・マーは、何かを決めるまでは徹底的に考えるが、いざ決断をしたら絶対に譲らない。絶対に人に頭を下げない。しかし、この時、ジャック・マーは王堅のために、社員に向かって頭を下げた。誰も何も言えなくなってしまった。
▲CTO就任の時に、各方面から批判され、うろたえ人前で大泣きしてしまったクラウドの父、王堅。これを救ったのがジャック・マーの言葉だった。
クラウド始動。ジャック・マーは大笑いして、ご飯をお代わりした
王堅はアリクラウドが始動した日のことを覚えている。「チーム全員が大泣きしました。私も泣きました。ジャック・マーに成功の報告をすると、彼は大きく笑って、ご飯をおかわりしました」。
2013年、11月11日独身の日セールのトランザクション処理の75%はアリクラウドが担当した。故障もトラブルもなく乗り切った。それ以来、アリクラウドは毎年の独身の日セールによって鍛えられ、2019年の国際シェアは4.9%となり、AWS、Azure、GCPに次ぐ第4のクラウドサービスに成長をしている。
2019年、アリクラウドは4500億元(約7兆円)の営業収入を挙げている。王堅は、かつてジャック・マーから10億元を騙しとったとしても、4500億元のお返しをしているのだ。
▲2019年のクラウドサービスの市場シェア。圧倒的なトップはアマゾンのAWSだが、アリクラウドもグローバルベースで第4位に入ってきている。中国と東南アジアが主な市場になっている。Canalys調べ。