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アリババの神と呼ばれるエンジニアたち

アリババという企業が成功をした理由は、創業者のジャック・マーの未来を見通す力、その未来を自分で創ってしまう力が何より大きい。しかし、もうひとつの理由として、アリババには優秀なエンジニアが集まっているという要因もある。創業時に入社し、神と呼ばれる蔡景現(ツァイ・ジンシエン)が有名だが、それ以外にも並び表されるエンジニアが各部門にいるとが報じた。

 

アリババ三剣客の一人「蔡景現」

アリババという企業が成功できた最大の要因は、創業者のジャック・マーの未来を見通し、実現する力によるところが大きいが、もうひとつの要因として、優れたエンジニアが集まったということがある。

その中心になっているのが、蔡景現(ツァイ・ジンシエン)、通称「多隆」(デュラン)だ。蔡景現は、ほぼ一人でECサイト「淘宝」(タオバオ)を短期間で書き上げ、アリババのエンジニアから「神」と呼ばれている。

それだけではない。アリババの主要メンバーは、創業に参加した18人=アリババ十八羅漢と呼ばれる人たちだが、アリババが上場する前に株式を分け与えられた三剣客と呼ばれる3人がいる。蔡景現はこの三剣客の一人なのだ。

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▲アリババ三剣客の一人、蔡景現。タオバオのシステムをほぼ一人で書き上げた伝説の人。

 

小覇王がきっかけでプログラミングの世界に

蔡景現は、1976年、浙江省蒼南県魂渓蔡村の農家に生まれた。性格は内向的で、口数は少なく、教師と話をするときに顔を赤くするような恥ずかしがり屋だった。

1991年、15歳で、蒼南高校に進学をした。数学と理科が得意で、国語と英語が苦手。成績はごく一般的なものだった。しかし、歩歩高の前身である小覇王が発売したファミコン互換機に夢中になった。蔡景現が使っていたのは、小覇王のまがいものだったが、Basicプログラミングに夢中になった。

1994年に杭州大学に進学。当時すでにコンピューター科学が人気だったが、蔡景現は生物学を専攻した。それでもコンピューターに夢中で、図書館やコンピューター室、指導教官の部屋でコンピューターばかり触っていた。

2000年に、杭州大学の生物学で修士号を取得、まだ小さな企業だったアリババに入社をした。そして、タオバオのサイトをほぼ1人で書き上げ、ほぼ1人でメンテナンスを行った。

しかし、アリババのスーパーエンジニアは、蔡景現だけではない。ジャック・マーという人の魅力に惹かれて、優秀なエンジニアが続々と集まってきた。これがアリババを成功に導いた要因のひとつになっている。

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タオバオを開発している頃のアリババ。前列中央がジャック・マー、前列右が蔡景現。ジャック・マーは竹刀をいつも持ち歩き、エンジニアや社員に檄を飛ばしていたという。

 

アリクラウド、セキュリティ主席研究員、呉翰清(ウー・ハンチン)

呉翰清は医師と教師の家庭に生まれ、小さい頃から成績は優れていた。15歳で、西安交通大学の少年班に合格するほどだった。西安交通大学に正式に入学すると、コンピューター室が自由に使えることから夢中になり、呉翰清は西安では有名なハッカーとなった。

若さゆえ、法に触れる行為もしている。テンセントのQQのシスステムに侵入し、数日間、システムの中をたっぷりと散歩をした。飽きてしまうと、テンセントに電話をして、セキュリティホールが存在すると詳しく説明をした。テンセントのエンジニアが調べてみると、まさにその通りで、しかも侵入されて自由にシステム内部を歩き回られている。テンセントは当時、通報をして、警察の捜査が行われたが、誰が侵入したのかまったくわからなかった。

2005年、20歳になった呉翰清は、アリババの入社面接を受けた。しかし、年齢が若く、まだ大学も卒業をしていない、業務経験もないということから、アリババ人事部の回答は「大学を卒業したらまたいらっしゃい」というものだった。

不満に感じた呉翰清は、PCからアリババのルーターに侵入し、停止をさせてしまった。わずか3分間で、アリババ全体がパニックとなった。それでも、面接官は、面接にきた学生とアリババのトラブルを結びつけて考えることができずにいたという。

ジャック・マーがこの騒ぎを聞きつけてやってきて、呉翰清を年棒500万元で採用すると言い出した。これで呉翰清のアリババ入社が決まった。

入社した呉翰清は、セキュリティエンジニアとなり、B2Bタオバオ、アリペイなどのセキュリティシステムを設計開発した。23歳で、アリババの最年少のシニア研究員となり、その当時、史上最大と言われたアリババに対するDDoS攻撃を防御する先頭に立ち、アリババの業務にまったく影響を与えなかった。

30歳の時はセキュリティチームを率い、毎日、中国のネットに対する攻撃の37%、1日16億回の攻撃を呉翰清のチームが防御していた。

呉翰清は、MITテクノロジーレビュー誌が選ぶイノベーター35(35歳未満のイノベーター)にも選出され、中国三大ハッカーの1人とも言われている。ジャック・マーの言葉によると「僕を安眠させてくれる人。アリババの数千億元の収入を守ってくれている」という。

現在は、アリババの人工知能「シティブレイン」の開発に携わっている。

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▲セキュリティエンジニアの呉翰清。ご多分に漏れず、アリババ入社前はハッカーだった。アリババのシステムにも侵入したことがあり、ジャック・マーはそれを見て採用をした。

 

アリババ、通信主席サイエンティスト、謝崇進(シエ・チョンジン)

謝崇進は1999年に、北京郵電大学で博士号を取得している。その後、スウェーデンのチャルマース工科大学で研究を続けた。2001年5月に、当時ルーセントテクノジーズの所属だったベル研究所(現ノキア傘下)に移り、光ファイバー通信システムの研究を行った。

謝崇進は、国際学会誌に200以上の学術論文を発表し、50以上の特許を取得している。

輝かしい経歴だが、謝崇進は、面白いことに大学を卒業していない。謝崇進が生まれたのは、安徽省の馬鞍山の農村で、学習環境は決して恵まれていなかった。中学生になって初めて町の書店に行き、本がたくさん並べられていることに驚いたほどだ。

1985年に中学を卒業したが、高校や大学に進学する道を選ばず、山東郵電学校という日本の高専にあたる学校に進学をした。卒業後に就職しやすいということと、卒業をすると農村戸籍から都市戸籍に変更することができたからだった。しかし、この学校でマイクロ波通信の面白さに魅入られてしまった。研究することの楽しさを知ってしまった。

山東郵電学校を卒業すると、大学卒業と同等の卒業資格が与えられることから、謝崇進は北京郵電大学の大学院を受験し、合格をした。それ以来研究者としての道を歩み続けている。

アリババでも通信関係の研究を続けている。

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▲通信システムのサイエンティスト、謝崇進。大学を卒業していない異色のサイエンティスト。

 

アリババ、林昊(リン・ハオ)研究員

2007年にタオバオに入社した林昊は、コンピューター科学ではなく、生物学で学士号を取得している。高校生の頃はコンピューターには触れたこともなかったという。しかし、大学の軍事教練があまりにも退屈なので、ルームメイトと一緒にコンピューター室に隠れていた。これがきっかけで、コンピューターに触れるようになった。初めて、コンピューター室に入った時、ルームメイトが「Windowsを使う、それともDOS?」と尋ねてきて、一体何のことを言っているのかまったくわからずショックを受けたという。それからコンピューターに夢中になっていった。

大学2年生の時に、HTMLに興味を持ち、ウェブ掲示板やフォーラムなどを自作し始めた。

大学卒業後は、深圳のある行政系のソフトウェア開発企業に入社し、その後、アリババに転職をした。

それから10年、林昊はエンジニアのP10と呼ばれる階級に昇進した。P10以上は通称「高P」と呼ばれ、創業者のジャック・マーやダニエル・チャンCEOが出席する会議に出席することができる。

しかし、高Pになった途端、林昊が責任者となったチームが開発をした登録システムがまったく動作せずに、会社に損害を与えるという大失敗をして、P9に降格になってしまった。

しかし、林昊は、手順通りの動作テストをしたのに問題が出たことを重要視し、第三者の目による安全検査が必要であることを訴え、安全生産委員会の設置を提案。そして、この委員会の責任者となり、安全生産委員会の存在意義が評価され、再びP10に昇格した。

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▲安全生産委員会を立ち上げた林昊。現在でもプロダクトの品質管理チームを率いている。

 

アリババ、張瑞(ジャン・ルイ)研究員

張瑞は2005年にアリババに入社した。当時、アリババはタオバオが急成長をしている頃で、大量のデータベースエンジニアを必要としていた。張瑞はそれに応じて、アリババに入社した。

張瑞は、かつてオラクルエースでもあった。データベース関連ソフトウェアを開発しているオラクルが、能力の高いエンジニアに与える称号のようなものだ。しかし、張瑞は2009年に「脱IOE」戦略を提案する。IOEとはIBMOracle+EMC

の3つのことだ。つまり、自社サーバーを運営するのではなく、クラウドサービスに移行するというものだ。

張瑞がこのような考え方に至ったのは、独身の日セールのデータベース責任者になったことが大きい。毎年、取引額が異常な成長をする独身の日セールで、当初はIBMミニコンピューターとオラクル+EMCのデータベースを利用していたが、限界がくるのは明らかだった。

そこでクラウドサービスを利用し、データベースをMySQLに変更することを提案した。独身の日セールでは、わずか1日にで膨大な流量が生まれるが、その他の日はそこまでの流量は生まれない。そこで、独身の日のピークに合わせたクラウドを設置し、独身の日以外の日は、クラウドサービスを提供するビジネスを行うことも併せて提案した。ここからアリクラウドが生まれてくる。

2013年5月17日、アリババ、アリペイ部門で稼働していた最後のIBMニコンピュターが停止された。2009年に提案された「脱IOE」戦略は4年で達成された。

張瑞は、自分が持っていた高いスキルを自己否定するような戦略を提案して、それをやり抜いた。

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▲オラクルエースだった張瑞。アリババに転職後、クラウドサービスへの移行を提案する。それはオラクル製品の使用もやめるという自己否定の提案だった。この「脱IOE」戦略を成功させた。

 

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▲2013年に、最後のIBMコンピューターが撤去されたことを祝うチーム。脱IOE戦略は4年がかりで完成した。

 

アリババ、庄卓然(ジュアン・ジュオラン)

2009年にアリババに入社し、2013年から独身の日の技術責任者を務めている。8月以降、11月11日のその日まで、10時に出社して、翌日の午前3時に寝るという生活が連続をする。毎年2000件以上ものシステムの問題が噴出をし、それを2週間で解決をし、テストをしていかなければならない。ストレスがどうしようもなくなると、午前3時から車を運転して杭州市の龍神山に行き、明け方の空気を吸い、午前5時に戻って寝るということもあるそうだ。

庄卓然が最初に参加した独身の日セールは、2011年の第3回だった。その前の2回で、多くの販売業者が、セールの前に値上げをして、セール当時に値引きをして、値引き幅を大きく見せるということを行ったため、事前にセール中の価格と値引き幅を定める方式に変えた。このために50もの新しいプログラムを開発しなければならなかった。

11月10日、セール前日の午前11時、あと1時間でセールが始まるという時に、テストをしてみると、一部の販売業者で「5割の価格」が「0.5割の価格」で表示されてしまう問題が発覚をした。

この問題が修正できたのは、セールが始まってしまった11日午前0時10分だった。しかし、たった1行のプログラムミスにより、一部の販売業者に、注文した商品のサイズやカラーの情報が送られていない問題が発覚をした。庄卓然ともう一人のエンジニアである蔡勇(ツァイ・ヨン)の2人は、華星時代広場24階の会議室で、このデバッグを行っていた。

バグを修正し、送信されていなかった商品情報を復元して送信できたことを確認し、作業が終わったのは午前6時だった。庄卓然は72時間、一睡もしていなかった。しかし、仮眠を取ろうとしても目が冴えてまったく眠れなかったという。

この年の独身の日セールの売上は52億元となり、その前の年の約4倍となった。

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▲独身の日を担当している庄卓然(右端)。左から2人目が当時のタオバオ総裁、現アリババCEOのダニエル・チャン。


独身の日セールで鍛えられるエンジニアたち

アリババの2019年の独身の日セールは、売上が27億元、発送した荷物が12.92個となった。この注文がわずか1日に間に入り、すべて決済をしなければならない。これはエンジニアから見れば、トランザクションの規模ではなく、サイバー攻撃の規模だ。

アリババのエンジニアが優秀な理由は、核になるリードエンジニアがそろっている。ジャック・マーがエンジニアをどんどん採用する、毎年の独身の日セールで鍛えられるといういくつもの要因が重なっている。

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