ジャック・マーはアリババの前に数社の企業をし、いずれも失敗している。アリババが成功できたのは、豊富な資金を得られたことが大きかった。ジャック・マーは37人の投資家に会ったが、いずれも投資を断れている。38人目に会ったジョセフ・ツァイがアリババに加入し、ようやく投資資金を得ることができるようになったと科学口袋が報じた。
成功に必要な「諸葛亮」の存在
三国志の英雄「劉備」は、長い間低迷をしていた。20代前半に関羽、張飛らとともに義勇軍を結成したが、その少人数の義勇軍のまま、根拠地を得ることができず、50歳間近になっていた。軍師「諸葛亮」を三顧の礼で迎えて、ようやく根拠地を得ることができ、蜀の建国につながっていく。劉備は遅咲きの英雄だったのだ。
アリババの創業者、ジャック・マーもアリババの前に何度も起業をしている。翻訳会社、IT会社、委託開発などさまざまなことをし、そこで人脈という財産は得ることができたものの、起業としてはいずれも失敗だった。
アリババが成功できた大きな要因が、蔡崇信(ツァイ・チョンシン、ジョセフ・ツァイ)の加入だ。ジョセフ・ツァイは、外資系の投資会社で働き、年棒580万元(約9000万円)をもらっていたが、それを捨ててアリババに転職をした。転職後の給料は、月給500元(約7800円)だった。ジョセフ・ツァイは、アリババの諸葛亮と呼ばれている。
▲ジャック・マーとジョセフ・ツァイ。ジョセフ・ツァイの加入がなければ、アリババは成功できなかった。
対照的な生い立ちのジャック・マーとジョセフ・ツァイ
ジョセフ・ツァイは、1964年に台湾の弁護士の家に生まれた。3世代弁護士の家系で、台湾では有名な家だという。
そのような名家であったため、ジョセフ・ツァイも13歳から米国留学をし、イエール大学で法学士の学位を取得した。卒業後は、ニューヨークで税理士として働き、3年後にスイスの投資会社インベストール(インベスターAB)のアジア地区責任者となった。年棒は約9000万円という高額なものだった。
ジャック・マーとは同い年だが、生い立ちはまったく正反対だった。ジャック・マーは伝統芸能の芸人の家に生まれ、どちらかと言えば貧しい家だった。杭州師範大学を卒業したものの、大学受験には2度も失敗し、卒業後も英語教師という給料の安い職しか得られず、起業をしたものの、売上はあがらず、義烏で日用品を仕入れて行商をして、オフィスの家賃を捻出するようなことまでしていた。
普通であれば、2人は「別世界の住人」であり、交わるようなことはないように思える。
ジャック・マーに恋をしてしまったジョセフ・ツァイ
その二人が、杭州の景勝地「西湖」に浮かんだ小舟の上で、互いに一目惚れをしてしまった。
1999年、ジョセフ・ツァイは、ある経営者と会うために杭州市を訪れた。そこで、ジャック・マーと出会い、創業したばかりのアリババを訪問した。当時のアリババは、ジャック・マーの自宅マンションをオフィスにしており、20人ほどの社員が狭い部屋で仕事をしていた。床にはマットレスが敷かれていて、そこに寝泊りをする社員もいて、とても企業には見えず、得体の知れない集団にしか見えなかった。
しかし、みな、希望に満ちた目をして、オフィスの中に笑いが絶えない。エリートのジョセフ・ツァイにしてみれば、初めて見る光景だった。
しかも、そのリーダーであるジャック・マーは、小さな体に大きな夢を潜めていた。失敗ばかりしているが、決してあきらめない。ジョセフ・ツァイは、ジャック・マーに恋をしてしまったのだ。
▲二人は杭州市の名勝地、西湖に舟を浮かべて歴史的な会談をした。ジョセフ・ツァイは年棒580万元の職を捨てて、月給500元でアリババに入社した。
あなたの収入ならアリババを10個買えますよ!
それまで、ジャック・マーは投資資金を獲得する努力を続けていた。しかし、37人の投資家にあったものの、すべて断られていた。ジョセフ・ツァイは38人目の投資家だった。
ジャック・マーは、インベストールからの投資を引き出す目的で、船を仕立てて、ジョセフ・ツァイに西湖を観光させ、その船の中でアリババへの投資の話をしようとした。
しかし、ジョセフ・ツァイの話は意外なものだった。アリババに転職したいというのだ。起業したばかりのジャック・マーにしてみれば、そんなことを言われても困る。まだ売上もろくに立っていないアリババでは、社員の給料は一律「月500元」だった。高給をもらっているジョセフ・ツァイを満足させる給料など払いようもない。
「うちは月給500元ですよ?」。驚いてジャック・マーはそう言ったが、ジョセフ・ツァイはそれでかまわないと言う。ジャック・マーはさらに驚いて言った。「あなたほどの収入があれば、アリババを10個ぐらい買えますよ!」。ジョセフ・ツァイは、アリババを買いたいのではない、アリババでジャック・マーとともに働きたいのだと言った。
しかし、ジョセフ・ツァイの妻、父親、友人のすべてが反対をした。常識では当然そうなる。しかし、ジョセフ・ツァイは周囲の意見をすべて無視して、アリババへの転職を決めてしまった。良家に生まれたジョセフ・ツァイとしては、人生で唯一のわがままだったかもしれない。
アリババの基礎工事をしたジョセフ・ツァイ
ジョセフ・ツァイがアリババに移籍をして、まずやったことは会社として体裁を整えることだった。当時のアリババは、会社ではなく「ごった煮のお粥」のような状態だったという。組織図もなく、評価制度もなく、ただ20人の人が集まって、毎月500元をもらって、仕事をしているだけだった。そもそも会社として登記もしていなかったのだ。
ジョセフ・ツァイは、まずアリババをきちんと企業として登記させ、18人の創業メンバーを「十八羅漢」と呼び、株式を分配する制度を始めた。
こうして、アリババを「会社」にし、アリババの基礎工事を行った。
アリババに唯一足りないものは資金
ジョセフ・ツァイの考え方は、シンプルだった。ジャック・マーは必ず成功する男だと惚れ込んでした。しかし、過去の起業が失敗したのは、単に資金不足でしかないと見ていた。資金さえあればジャック・マーは成功する。そのために、アリババの会社としての体裁を整え、人脈を使って投資資金を引き出そうとした。
1999年に、ゴールドマンサックス香港とインベストールなどから合計500万ドル(約5.5億円)の投資を引き出した。これが引き金となって、アリババはその後の資金調達も順調に進み、成長軌道に乗ることができるようになった。
多すぎた孫正義の投資額
そして、2000年になって、ソフトバンクの孫正義とジャック・マーの面会が行われる。ジャック・マーは、もはやじゅうぶんに投資資金は得ていると考え、ソフトバンクからの投資にはあまりに期待していなかったという。そのため、面会では自分の夢や考え方を一方的に語った。
ジャック・マーの演説が6分間続いたところで、孫正義がさえぎった。「お金の話をしよう。いくらいるの?4000万ドルではどう?」。ジャック・マーも、その4000万ドル(約44.2億円)という一桁大きい額に驚いた。ただし、孫正義はアリババの株式の49%を要求した。
ジャック・マーは合意をしようとしたが、ジョセフ・ツァイが異を唱えた。あまりにも多くの株式を渡すことになり、経営権を奪われてしまうからだ。そこで、孫正義との間で3000万ドルに減額する話になったが、ジョセフ・ツァイはそれも拒絶をした。結局、孫正義が折れて、2000万ドルの投資で合意をした。
そして、アリババは、EC「淘宝」(タオバオ)を始め、急激な成長を始める。
リスクとベネフィットは非対称
このジョセフ・ツァイのアリババ加入は、諸葛亮が劉備に従ったことに例えられる。諸葛亮は、当時すでに多くの軍師から一目置かれる才能の持ち主で、以前から従うべき君主を探していた。そして、選んだのが、流浪をしているような劉備だった。
ジョセフ・ツァイも、元々、インターネット関連の産業がこれから大きく成長すると考え、自分が加入できるIT企業を探していた。それには、ある程度の規模の企業ではなく、吹けば飛ぶような小さな規模の企業がいいと考えていた。
後にジョセフ・ツァイは語っている。「リスクとベネフィットというのは非対称なのです。小さな企業であればあるほど、失敗した時のリスクは小さく、成功したときのベネフィットは大きくなります。私はイエール大学の学位を持っていました。これは世界でも貴重な学位です。なので、私がアリババに加入して、万が一アリババが失敗をしても、私はまた税理士をするか、投資会社に勤めればいいだけです。リスクはものすごく小さい。一方で、アリババが成功をすれば、そのベネフィットは計り知れません。人は冒険といいますが、私には合理的な選択でした」。
ジョセフ・ツァイは、2018年3月、アリババの副総裁という地位を捨て、辞職をし、NBAのブルックリン・ネッツの株式の49%を取得し、共同オーナーとなった。スポーツビジネスに「冒険」をした。ジョセフ・ツァイは言う。「生まれて初めて、自分が経営をするリーダーになりました。でも、冒険ではありません。失敗をしたら、またなにか面白い仕事を探せばいいだけです。成功したら、そのベネフィットは計り知れません」。