中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

倒産した16人のスタートアップ起業家のリアル。それぞれの苦しみ(2/4)

中国のスタートアップ倒産件数が減少をしている。しかし、起業数も減っているため、これは中国経済停滞のシグナルだ。倒産する理由はさまざまで、燃財経では、倒産をした16人のスタートアップ創業者に話を聞いた。分量が多いため、隔日で4回に渡ってご紹介する。

 

起業家のリアル。苦しみはそれぞれに

「幸福な家庭は同じように幸福だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」とトルストイは言った。スタートアップも成功する企業は同じように成功するが、失敗するスタートアップにはそれぞれに失敗要因があるのかもしれない。

テック企業調査ポータル「IT橘子」によると、2019年のスタートアップ倒産件数は336件。近年のピークだった2017年の2145件から比べると大きく減少した。しかし、スタートアップ倒産件数が少ないことはいいシグナルではない。もともとが95%のスタートアップは4年以内に倒産をするもので、倒産件数が少ないということはそれだけ起業する母数自体が減っているということだ。

倒産件数が少ないのは、起業を目指す人が減っているという、経済の倦怠感の現れでもある。

失敗をするスタートアップはどのような原因で失敗をしているのか。燃財経は16人の失敗した起業家を取材した。

呉秀易、29歳。AIデバイス電子タバコ販売

今年の初めに電子タバコのビジネスを始め、それまでのAIデバイスのビジネスを整理しました。以前の事業を閉じて、新しい事業にピボットするのは、私にとっては精神的にものすごくキツかった。

いちばんキツかったのは、スタッフを解雇しなければならないことでした。能力のある人なのに、新しいビジネスにとっては価値が高くない人を解雇しなければならないのです。その人の問題ではなく、会社がピボットをして新しいチャンスをつかむために仕方のないことでした。

私は、主要なスタッフと食事をし、ピボットすることを打ち明け、彼らの考えを聞きました。すると、みな、明日から会社には来ず、辞めるというのです。創業からずっと一緒にやってきた仲間です。いちばんつらいことは何かと問われれば、仲間との別れだと思います。

次につらかったのが、投資家との関係です。私は最初、AIデバイスの事業を清算して、新会社で電子タバコの事業を始めるつもりでした。しかし、投資家たちは、新しい会社の株式を要求したのです。新会社の私の株式は、大いに希釈されてしまうことになりました。

ピボットをしたのは、新しいチャンスをつかみたいということもありましたが、もうひとつは投資家とスタッフのことを考えた結果でもあります。電子タバコの業界も競争が厳しいですが、新しい投資はなるべく受けないように、倒産させないように運営をしていけば、チャンスはあると思っています。

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▲中国でも紙巻きタバコの売上は年々減少しているため、電子タバコはちょっとした起業ブームになった。しかし、加熱式はともかく、リキッドタイプのものは違法薬物が使われているものが登場する恐れがあり、ネット販売が禁止になった。このため、多くの電子タバコ業者が苦境に立たされている。

 

マイク、31歳。ドローン製造

2018年5月に創業し、2019年末に会社を解散しました。

私はエンジニアで、創業当時、世界でも私たちのようなドローンを開発している企業はなく、開発をすれば必ず受け入れられると信じていました。そこで、2人のパートナーと自己資金で会社を設立し、私たち3人は無給で働きました。理想的なテック系のスタートアップだったと思います。

半年でサンプル品を生産できるところまで漕ぎ着けました。11月から、サンプルを持って営業を始めましたが、その過程で、自分たちの甘さを知りました。私たち3人はビジネスのことを何も知らなかったのです。製品を大量生産をするには大きな資金が必要になるということも知りませんでした。私たち3人は、いいものさえ開発すれば、それから投資家を探せばなんとかなると思っていたのです。

しかも、サンプル品を持ってあちこちを回ると、「これは売れないよ」という声ばかり聞こえてきます。

何か大きな問題があって、私たちの会社が倒産したというわけでありません。サンプル品を作った後は、それぞれが生活のために別の仕事をするようになり、いつの間にか会社に誰もこなくなっていたのです。

失敗というのは、ある瞬間の選択を間違うことではなく、長いプロセスで起こるものだということも知りました。私は、自分の開発したドローンでこの世界を変えたいと思っていましたが、ある日、家に帰ると母親が私の好きな料理を作ってくれました。私のやるべきことは、世界を変えることではなく、この両親との暮らしを永遠のものとして変えないことなのだということを悟りました。

今では、起業とは子どものおもちゃのように飛びつくものではなく、自然の成り行きによって起きるものだと考えています。各自がそれぞれの領域でじっくりといい仕事をしていれば、いろいろな条件が成熟してきて、自然に起業することになる。そういうものだと理解しています。

社会に出て仕事に慣れてくると、私の一生はこんなものなのかと疑問に思えてきます。起業は、平凡な人生に対する抵抗です。しかし、残酷です。この経験で、私は物事を堅実に考えるようになりました。

 

楊璨、31歳。ゲーム開発

勤めていた会社を離職して874日。私は再びその会社のビルの前に立っていました。この3年間、リアルな夢を見ていたとしか思えません。私は100万元以上の借金を背負い、創業して、失敗した。でも、それは夢ではなく、現実だったのです。

2017年5月24日、私は広州市のあるゲーム大手企業を辞職し、ゲームジャムで知り合った数人の仲間とゲームスタジオを起業しました。広州市の天河区の古いビルの一室を借り、そこに8台のPCを置きましたが、ものすごく狭い。5ヶ月後には複数の部屋があるマンションを借り、そこに10人のメンバーが寝起きを共にし、ゲームの開発を続けました。

最初に作ったのはパズルゲームで、Steam上で公開しましたが、評判にもならず、収入はほとんどありません。それで、より大掛かりなゲーム開発に挑戦することにしました。

私たちは会社ではありましたが、実際は自分の好きなことをやっているメンバーの集まりにすぎず、業務管理は適当で、業務効率は最低でした。これが失敗の原因のひとつです。

秋になると、資金が苦しくなってきましたが、子育てシミュレーションゲーム「チャイニーズペアレント」のような独立スタジオが成功していることに刺激を受け、私たちはあきらめずに開発を続けました。

私は美術系の出身で、原画やモデリングはできましたが、ゲームのキモはシステムで、私と共同創業者の間には路線の違いが出てきました。そのために、労力や資金も無駄に浪費しました。今思えば、メンバーのそれぞれの情熱が大きすぎたことが、起業の失敗の最大原因だと思います。

今年の9月になって、共同創業者が私にこう言いました。「もう、無理だ。続けられない」。私は引き止める言葉をかけましたが、この会社がもう難しくなっていることは明らかです。結局、私は彼らが離職することに同意しました。

その日、仕事終わっても、私は3時間もただ椅子に座っていました。何も考えることができませんでした。天の時は得られず、地の利も得られず、人の和もなくなりました。それから1ヶ月間、私は会社を整理し、従業員の行き先を決め、そして昔の上司に話をし、以前勤めていた会社に戻ることになりました。

3年の間に描いた原画、作ったモデリングは売らずに持っています。いつかゲームとして日の目を見る機会もあるかもしれないと思っているからです。しかし、今は、起業したことでできたしまった借金をきちんと返していかなければならないのです。まずはそこからです。

 

王銘銘、25歳。占いサイト運営

2019年9月19日、私は共同創業者という立場で、あるスタートアップ企業に加入しました。この日は、9が多く縁起のいい日(9は久と発音が同じ)でしたが、このスタートアップ企業は長続きはしなかったのです。

この会社は、オンライン占いサイトを開発、運営する企業です。周りの友人たちは、うまくいかないのではないかと忠告してくれました。私も、実は、占いなど信じていません。人生とは予測のできないことの連続だと思っています。しかし、創業者はこのビジネスの可能性を語り、1年で数千万元の収入があると太鼓判を押すとまで言いました。同様のビジネスモデルの経営者と話をしても、確かに利益の出るビジネスのようです。それが本当であるかどうかはともかく、私はリスクを取って冒険してみることが好きな質なのです。

最初は楽観的でいられました。どんどん人が増えていき、最初の1ヶ月で2人から7人になりました。ウェイボーやWeChatで、提携している占い師にトラフィックを流すというのが私たちの仕事です。しかし、2ヶ月経ってみると、1カ月の収入は1万元前後で頭打ちになってしまいました。このビジネスが簡単ではないと悟りましたが、少なくとも年末まではなんとか続けようと考えていました。

しかし、この年は市場環境が悪すぎました。投資家は慎重になり、私たちの経営数字がよくなかったために、投資家が一人も得られなかったのです。毎月数十万元の支出があるため、創業者は焦り始めました。

12月になっても突破口は開けなかったため、私は離職することを申し出ました。その夜、私と共同創業者、中心メンバーは一緒に大酒を飲み、会社を解散することが決まりました。

私が参加する時、株式の5%の出資をしましたが、結局、紙屑となりました。そのことは後悔していません。私は賭けに負けたのです。

私は今は元の仕事に戻っています。しかし、起業した頃を懐かしく思うことがあります。共同創業者と一緒に努力をし、投資家にビジネスモデルを説明し、将来の大きな利益に期待を膨らませる。今は、すべてを上司が決め、私はその通りに仕事をするだけです。

(3月12日配信に続く)