中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

中国市場からの撤退が続く外資系小売企業

経営環境が激変している中国の小売業界。いわゆる「新小売革命」でITと小売を結びつけた新業態が登場する中で、外資系の小売企業の撤退が相次いでいる。その理由は、いずれも変化の速度に追いつけなかったことだと亜洲食品産業鏈が報じた。

 

中国小売業界のホットワード「新零售」

中国では今、「新零售」という言葉が毎日にように新聞やニュースに登場する。零售は小売の意味で、「新しい小売」「新小売革命」といった意味だ。その中身については、決まった定義があるわけではないが、一般には「無人スーパー、無人コンビニ」「電子決済による購入履歴からのリコメンド」「物流、宅配の迅速化、無人化」「SNSを利用した個人間売買」など、ITと小売を結びつけた新しい現象を指すことが多い。要は、今、中国の小売業は激変の時代を迎えているということだ。

この変化についていけない小売業は、市場から退場するしかない。実際、伝統的な個人商店の多くが退場を余儀なくされている。さらに、この数年、目立っているのが、外資系小売業の撤退だ。そこに政治的な理由があるというわけではないようだ。過去、何度か反日運動があり、日本系小売に対する不買運動が起きたりしたが、いずれも一過性のもので、商品さえよければ客は戻ってきている。外資系小売りの撤退が相次いでいる理由は単純で、中国の変革のスピードについていけないというものだ。

 

品揃えを変えずに飽きられてしまったマークス&スペンサー

英国の百貨店マークス&スペンサーは、1884年の創業で、英国に約800店舗を展開し、ヨーロッパ、アジア、中東の60地区に約500店舗を展開している。中国では、1988年に香港店が開業してから、2008年の上海店に続き、北京、寧波、武漢、青島と15店舗を展開している。さらに、ECサイト「Tmall」にも進出し、オンライン販売も行っている。

セールスの主体は高級アパレルと高級健康食品で、アパレルの方は価格の問題からなかなか庶民には手が出ないが、中国の経済成長とともに健康志向の高級食品がよく売れている。近年は、売上の半分以上が食品になっている。

中国人の間でのブランド認知は決して低くない。少し経済的に余裕のある都市住人が、高級食品を買いに行く百貨店として認知されている。

しかし、営業収支は悪化を続け、2015年には上海店など5店舗を閉鎖、2016年11月には突如全店舗閉鎖した。Tmallのオンラインストアは営業を続けていたが、最近こちらも閉鎖した。

経営悪化の理由は、全身麻酔をかけられたかのように変化を受け入れなかったことだ。せっかく食品では固定ファンをつかんだのに、ラインナップを変えようとせず、顧客の嗜好を深掘りして、新商品を投入していくということをほとんどしなかった。つまり、商品は評価されているのに、いつも同じものしか売られていないので、飽きられてしまったのだ。その間に、他の小売店が競合する魅力的な商品を発売し、せっかくつかんだ固定ファンを削り取られていくことになった。記事では「創新しないということは競争力を失うことに等しい。中国では、同じ形態を新鮮に感じてくれるのは最長でも10年」と評されている。

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▲英国の高級百貨店マークス&スペンサーは、高級食品で好評を得たが、品揃えを変えようとしなかったため、飽きられてしまった。

 

開店戦略でつまづき、一気に陳腐化したイーマート

韓国の大型スーパー「イーマート」は、韓国国内で70店舗を展開。韓国で業界のトップリーダーとなったイーマートは、1997年、満を辞して中国大陸に上陸し、上海に1号店を開業した。それまで中国のスーパーにはなかった、広々として明るい店内に大量の商品が陳列されているという新しいイメージで、上海店は成功をした。そして、イーマートはその波に乗って「10年で1000店舗計画」を打ち出した。

しかし、理由は不明(おそらく内部的な理由で)、この計画はまったく進まなかった。上海店の開業の7年後に、ようやく上海2号店を開店しただけだった。その後、北京、天津など27店舗を開業したが、この頃には、斬新だったイーマートのイメージは、新しいものではなくなっていて、消費者を惹きつけることはできなくなっていた。

2011年から、イーマートは採算の取れない店舗を閉店するようになり、2016年末には7店舗が残るだけとなっていた。2017年5月、イーマートは中国からの撤退を表明し、9月には完全撤退をした。

記事では「絶好の機会を見逃した」と評されている。最初の上海店は、それまで中国人が見たことのない明るく広い店舗で、商品の種類も国内スーパーに比べてはるかに多かった。上海人にとっては魅力的なスーパーに映った。この時に、「10年で1000店舗」計画を実行していれば、中国大陸に定着をすることができたかもしれない。この動きの遅さが、他小売業にイーマートの長所を学ぶ時間を与えてしまった。

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▲韓国のイーマートは、大型で広々とした店内に大量の商品が並ぶという新しいスタイルを中国にもたらしたが、開店戦略に手間取っている間に陳腐化してしまった。

 

時代の変化に追いつけなかったイトキン百貨

日本のイトキン百貨は、アパレル製造販売業のイトキンが、中国で展開した大型洋品店だ。1995年に中国市場に、製造拠点と大型店舗を設立、上海、天津、瀋陽、大連など流行に敏感な都市を中心に300店舗を展開した。イトキン製品だけでなく、国際的なブランド商品も扱ったため、流行に敏感な若者に、最先端のファッションが手に入る百貨店として受け入れられた。

しかし、同様に流行の最先端を提供する店舗が増え、競争が激化していったのに、イトキン百貨はこれといった対応策を取らなかった。中国が経済成長し、消費者はより多くの選択肢を持とうとする中で、イトキン百貨は次第に流行の最先端ではなく、ちょっと遅れた流行を提供する古臭い店舗になっていった。一方で、経済成長とともに人件費や家賃などの固定費は上がっていき、経営を圧迫するようになる。

2011年には、オンラインに対応するため、ECサイトタオバオ」に出店してみるが、これといった工夫をすることなく、翌年には閉店している。

2016年、イトキン本体が投資会社インテグラルの傘下になるとともに、事業が見直され、中国事業は完全撤退することが決定された。

イトキン百貨も、時代が変わっていっているのに、自ら変化しようとしなかったことが敗因だ。

中国というのは常に変化し続けている国だ。それは最近だけのことだけではなく、華夏から中国文明が始まって以来、激流のように変化をし続けて生き延びてきた。中国人は「同じ場所にとどまっていたら、窒息して死んでしまう」ということがDNAに刻み込まれている。外資系企業は、そのことを頭では理解できていても、その理解には甘さがあるのかもしれず、それが外資系小売の相次ぐ撤退に結びついているのではないかと記事は分析をしている。

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▲イトキン百貨は、各都市の目抜き通りに店舗展開をし、国際的なブランドを扱ったが、流行を敏感に追いかける努力を怠ったために、あっという間に「ちょっと古臭いセンス」の店になってしまった。

tamakino.hatenablog.com

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