中華IT最新事情

中国を中心にしたアジアのテック最新事情

中国IT経営者たちのセンターテスト「高考」

中国の学校の新学期は9月。高校3年生は、年が開けると、いよいよ志望校を決め、受験準備に入らなければならない。そして、6月に行われる高考(中国の共通入学試験)に向けて猛勉強しなければならないつらい時期が始まる。彼ら受験生が憧れるのは、現在、IT業界で活躍する経営者たちだ。その経営者たちは、18歳のとき、高考の時期をどう過ごしたのか。AI財経社が報じた。

 

 

1982年、ジャック・マー18歳

ジャック・マー(馬雲)は、アリババの会長。現在最も勢いのある経営者だ。「銀行が変わろうとしないなら、私が変える」「Amazon Goよりも先に無人スーパーを開店する」といった「宣言」をすることでも有名で、そのたびに世間からは「ホラ吹き」と揶揄もされてきた。しかし、アリペイの普及、杭州市の無人スーパー「アリカフェ」などの開業で、ホラを現実のものに変えてきた。

18歳のジャック・マーは、学校の勉強があまり得意ではなかった。英語は熱心に勉強していて成績もよかったが、数学が大の苦手。足切り基準点にもはるかに及ばないレベルだった。

杭州師範大学を目指して、高考を受験したが、数学はなんと1点。ひとつの科目でも基準点を割ると、合計点がいくら高くても大学には進学できない。アルバイトをしながら浪人生活を送るが、翌年の高考も数学は19点。やはり大学には進学できない。

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当時のジャック・マーは、「この世界は悪意に満ちている」と考えていたという。自分は英語が好きで、英語を使った仕事に就きたい、そういう仕事であれば実力を発揮できる自信もあるのに、自分にはまったく興味のない数学という科目があるために大学に進学ができない。大学進学をあきらめ、働きながら学べる服務学生の道も探ったが、これも成績が足らず叶わなかった。ジャック・マーは、失意のうちに、アルバイトをしながら、参考書で独学をしていたという。

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三度目の高考では、数学は79点となった。しかし、基準点は85点であり、これを下回ったジャック・マーには大学進学の権利が与えられない。しかし、英語の得点はずば抜けてよかった。高校の教師たちは、杭州師範大学に対して運動をし、その結果、ジャック・マーは特別枠で、杭州師範大学への入学が許されることになった。ジャック・マーの人生はここから開けていく。

高校の教師たちを動かしたのは、ジャック・マーの英語に対する熱心さだった。1点しか取れなかった数学を必死で勉強して79点を取るところまできた努力だった。それがなければ、教師たちもわざわざ運動などしてくれなかっただろう。

 

1986年、ロビン・リー18歳

ロビン・リー(李彦宏)は、百度のCEO。中国のグーグルと呼ばれる百度は、検索エンジンを提供しているが、最近では自動運転技術や人工知能技術の開発に力を入れていて、グーグルの真似からスタートして、現在ではグーグルのライバルになるところまで成長している。

ロビン・リーの家庭はごく普通の家だったが、ロビン・リーは子どもの頃から頭がよかった。山西省陽泉市の高考ではトップの成績を取り、北京大学に進学をし、図書情報学を専攻した。子どもの頃から本が好きで、図書館などで働く仕事をしたかったからだという。

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しかし、入学して3ヶ月、ロビン・リーは五月病にかかってしまった。図書情報学という分野に落胆をしてしまったのだ。図書情報学は、古臭い文献カードの作り方と読み方を学ぶばかりで、興味のある授業がまったくない。北京大学の中では、成績があまり振るわない学生が専攻する「吹き溜まり」なのだということも、入学後に初めて知った。

当時、姉が海外の大学に留学をしていて、ロビン・リーも海外留学をしようと考えるようになった。結局、在学中は留学がかなわなかったが、北京大学を卒業後、ニューヨーク州立大学でコンピューターサイエンスの修士課程を専攻する。卒業後、そのまま米国で就職し、インフォシークなどで検索エンジンの設計を行う。その経験を活かして、中国に帰国後、百度を設立した。

ロビン・リーは、成績はよかったが、大学進学は失敗だった。しかし、その失敗を取り戻すために留学をしたことが、ロビン・リーのその後の人生を切り開くことになった。

 

1989年、ポニー・マー18歳

ポニー・マー(馬化騰)は、テンセントのCEO。テンセントは中国最大のSNS「QQ」、メッセージSNS「WeChat」、電子決済WeChatペイなどを運営している。さらに、ゲーム開発にも強く、ネットゲーム「王者栄耀」は中国で社会現象となっている。海外のゲーム開発企業を次から次へと買収もしていて、現在、グループ全体では、世界最大のゲーム企業にもなっている。

馬化騰は、海南島の生まれで、14歳の時に家族で深圳に越してきた。天文学の好きな少年で、天文学者になりたかったという。高校1年生の時、親に天体望遠鏡をねだったが、親は買い与えなかった。当時の天体望遠鏡はとても高価で、親の給料の2ヶ月分もしたからだ。馬化騰は日記にこう書いたという。「天体望遠鏡を買ってくれなかった僕の親は、将来の天文学者を一人、殺してしまったのだ」。

馬化騰の親は、ある時、その日記を読んでしまい、心を痛めて涙を流したという。

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しかし、それは大きな問題にならなかった。馬化騰は、天文学が学べる大学を調べ始めたが、卒業生の就職先を見ると、ほとんどが小中学校の地理の教師だった。馬化騰は、教師になりたいわけではなかった。その時、コンピューターを知り、馬化騰はコンピューターに興味を移していき、コンピューターサイエンス系の大学に進学をしたいと考えるようになる。

高考の成績は900点満点で739点という優秀なものだった。馬化騰は深圳大学への進学を選ぶ。深圳大学は630点ほどで進学できるので、余裕だった。もっとレベルの高い大学にも進学できたが、深圳大学を選んだのは、自宅から通うことができ、親元から離れなくて済むという理由からだった。

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深圳大学を卒業後、深圳のIT企業の研究職に就職、5年後に独立して、テンセントを創業した。そこで、後のSNS「QQ」の前身となるメッセージSNS「OICQ」を開発。パソコンを使って、チャットと音声で連絡ができるというメッセージサービスで、当時としては先端的なものだった。このヒットが、QQ、WeChatに繋がっていく。

 

1992年、劉強東18歳

劉強東は、ECサイト「京東」の創業者。京東は、アリババのTmallに対抗する大手ECサイトで、配送物流に力を入れ、いち早く翌日配送、当日配送を実現し、TmallとECサイトナンバーワンの座を競っている。

劉強東の家は、江蘇省宿遷市にあり、かなり貧しかったという。体が大きかったので、少年の頃は、村長や村の幹部の護衛のようなこともしていた。報酬はなかったが、食事を出してくれるからだ。それほど、家は貧しかった。

それでも学業は優秀で、高考では宿遷市のトップの成績をとる。北京市にある中国人民大学に進学し、社会学を専攻した。県知事になり、地元の貧困問題を解決することが目標だった。学費はなんとか都合をつけたが、生活費などはギリギリだった。劉強東は北京に上京する時に、親戚から集めた生活費500元を下着に縫い付け、リュックには親戚一同が持たせてくれた76個の茶葉煮玉子が入っていたという。

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そのため、大学に入学してすぐさまざまなアルバイト、ビジネスを始めた。大学2年生の時に、コンピュータープログラミングを学ぶと、すぐに宿遷市政府の電力管理部門や、瀋陽市のファストフード店の在庫管理システムなどの仕事をとってきて、学生としてはかなりの額を稼いでいた。

そして、大学4年生の時に、大学近くのレストランを20万元で買収し、オーナーとなる。そこから、本格的な劉強東のビジネス人生が始まった。人民大学は、北京市のIT拠点である中関村に近いこともあり、中関村に「京東マルチメディア」を設立。電子部品やCD-Rなどの卸業を始める。これが後のECサイト「京東」につながっていく。

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この4人は、BATJ(百度baidu、アリババ、テンセント、京東Jingdong)と呼ばれる4社の創業者たち。現在、中国のIT業界はBATJを中心に回っていると言われている。

しかし、この4人の経営者の大学進学は決してスムースではなかった。受験で失敗する者、大学選びを間違える者、大学の外に生きる道を見出す者、さまざまだ。大学選びは、人生を決定づける大きな選択だが、それがすべてではない。大学に入ってから、どう行動するかの方が重要なのだ。

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