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再始動を始めた滴滴出行。滴滴の8年間の戦い(上)

中国のタクシー配車、ライドシェア大手の滴滴出行。中国最大のユニコーン企業と呼ばれ、わずか4年で大きく成長をし、ウーバー中国をも買収したが、2018年に運転手が乗客の女性を殺害するという問題を起こし、滴滴の成長は完全停止をしていた。今年2020年になって、程維CEOは新たな中期計画を発表し、滴滴出行が再始動をしようとしていると捜狐汽車E電園が報じた。

 

中国最大級のユニコーン企業「滴滴出行

中国最大級のユニコーン企業「滴滴出行」(ディーディー)。日本でもDiDiとして、タクシー配車サービスを始めている。企業価値は3300億元(約5兆円)となり、タクシー配車サービスだけでなく、ライドシェアサービスも提供している。このライドシェアは網約車(ネットで約束する車)として、都市の公共交通のひとつとして定着をしている。

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滴滴出行は、配車データをビッグデータ化し、さまざまなコンサルティングやデータ提供を行っている。市の交通局も滴滴から提供されたデータを参考に、都市交通計画を立てるようになっている。

 

ダメダメ学生だった創業者の程維

しかし、2012年に滴滴が創業した時に、今日の滴滴を予測できた人はほとんどいなかっただろう。創業当時の滴滴、当時は小桔科技という名前だったが、すぐに消えてしまいそうな泡沫スタートアップにすぎなかった。

そもそも、創業者の程維(チャン・ウェイ)がダメダメ学生だった。学校の成績はよかったので、中国の一流校である北京大学清華大学に進学することを考えていた。しかし、共通入試である高考でやらかしてしまった。ページに綴じられている数学の試験問題で、最後の1ページが存在することに気がつかず、最後の3問を未回答のまま終えてしまったのだ。

仕方なく、決して一流校とは呼べない北京化工大学に進学をした。当初は情報技術を専攻したが、自分に合わないと感じたのか、専攻を行政管理に変更した。

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▲滴滴の創業者、程維CEO。成績はよかったが、どこか抜けたところのある典型的な「80后」青年だった。アリババの営業職で頭角を現し、滴滴を創業してからは常に挑戦をし続けている。

 

保険の営業、足裏マッサージ店で働く

2004年に北京化工大学を卒業したが、ダメ学生であった程維にろくな就職口はない。そういう学生が就くのが保険の営業だった。給料はなし、契約が取れたらコミッションがもらえるというもので、世間知らずの学生あがりに契約が取れるはずもない。研修もなく、仕事を教えてくれる先輩もなく、しかも仕事をするには800元の登録料を支払う必要があるという怪しげな会社だった。

程維は大学時代の指導教官を訪ね、保険の勧誘をしたが、丁寧に断られた。それで、程維もこの仕事は無理だとあきらめて辞めてしまった。

しかし、仕事がない。そこで求人広告で見かけた北京の足裏マッサージ店で働いた。

 

アリババの営業職として成功、独立して起業

それが変わったのは、アリババの営業職に応募をし、なぜか採用されたことからだった。法人営業の仕事に就いた程維は、水を得た魚のように成果を上げていく。しかし、これといった工夫があったわけではなかった。とにかく大量の顧客を訪問し、数打てばあたる作戦を徹底した。

2011年に、最年少で法人営業のエリア責任者となった。さらにアリペイB2C事業部の副責任者となり、アリババの出世コースに乗った。そのままいけば、アリババの経営陣に名前を連ねることができるかもしれないというところまでたどり着いた。

しかし、2012年6月に、程維はアリババを辞職して、7月に小桔科技を創業する。アリババ時代にさまざまな都市に出張したが、どこの都市でもタクシーがつかまらない。これをどうにかしたいと考えるようになった。小桔科技を創業して、スマートフォンでタクシーを呼べるアプリを開発しようと考えた。

 

アプリ開発が遅れ、しかもバグだらけ

創業資金は80万元(約1200万円)。創業オフィスは、北京中関村にある中関村E世界の中にあった。中関村E世界は14階建ての建物で、地下1階から4階までが小さなパーツ屋が並ぶ販売スペースになっていて、5階はフードコート、6階から14階までがオフィススペースとなっている。しかし、小桔科技のオフィスは地下の元倉庫だった小さな部屋だった。

創業直後から難問が続出した。1つはタクシー配車アプリ「嘀嘀打車」(嘀嘀はディーディー。自動車の擬音。ブーブーにあたる)の開発を8万元で開発企業に依頼をしたが、予定通りに上がってこない。しかも上がってきてもバグだらけで使い物にならない。アプリのサイズも異常に大きく、起動するとスマホのバッテリーを急速に消耗させる。位置情報をとる必要があったため、GPSユニットの電力消費が大きいためだが、それにしても目に見えるように減る。省電力に対する工夫が何もされていなかった。

程維はアプリ開発に関しては専門ではなく、うまくマネージメントできなかったのが原因だ。

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▲滴滴の創業の地である中関村E世界のショッピングゾーン。北京のラジオ会館にあたる施設で、滴滴のオフィスはこのビルの地下の元物置だった部屋にあった。

 

ビジネスとCTOの2人が加入

しかし、滴滴にとって、重要な2人の人物が加わることで、この問題が解決されていく。王剛(ワン・ガン)と張博(ジャン・ボー)の2人だ。

王剛は、アリババ時代の上司であり、小桔科技の出資者でもあった。創業資金80万元のうち、70万元を王剛が出資していた。王剛は小桔科技に加わるだけでなく、さらに追加の資金も投資をしてくれた。ビジネスに長けた人物であり、この後、滴滴がライバルと競争をして、買収をしていく過程で中心的な働きをすることになる。

張博は、百度の研究開発の責任者だったが、辞職をして滴滴に加わった。程維はこれを「天からの贈り物」と呼んでいる。なぜなら、張博がCTOとなり、エンジニアを集め、滴滴は自前の開発チームを持つことができるようになったからだ。アプリの問題はこれにより解決されていった。

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▲程維のアリババ時代の上司であり、滴滴の出資者である王剛。ビジネス面に長けた人であり、この人の加入で、滴滴のビジネスが回り始めた。

 

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▲滴滴の張博CTO。張博が加わったことで、質の高い開発チームが作れるようになり、滴滴はこの時からデータテクノロジー企業となった。

 

タクシー業界の古い体質という問題

もうひとつの問題が、タクシー会社がとてつもなく古い体質だったということだ。中国のタクシーの歴史は、1908年に上海の百貨店が顧客サービスの一環でタクシー部を開設したことに始まると言われる。100年以上の歴史を持っている会社も多い。

そのため、業界は複雑で閉鎖的だ。外の業界からの提案はそれだけで相手にしてもらえない。程維は当初、配車アプリを開発して、タクシー会社に販売するか、利用料を徴収するビジネスモデルを考えていた。しかし、まったく相手にしてもらえなかった。

2ヶ月間、100社以上のタクシー会社への営業活動を行なったが、どこも採用してくれない。それどころか話も聞いてくれない。

そこで、程維は販売対象をタクシー会社ではなく、運転手にすることに転換をした。配車アプリは無料で提供し、配車を受けた場合に、乗車料金の一定割合を送客手数料として徴収するという仕組みに変えた。運転手にしてみれば、効率よく客を見つけることができ、乗車率が上がるので、送客手数料を支払っても収入は増えるはずだという触れ込みだった。

 

運転手がスマホを持っていない!

これにより、北京の保有車数200台の中堅タクシー会社「銀山タクシー」が、運転手への説明会を行うことを認めてくれた。程維は自ら出向いて、500人のドライバーに配車アプリの説明会を開いた。

しかし、これも難問が山積みだった。2012年8月のことで、500人のドライバーのうち、スマホを使っている人は100人しかいなかった。400人はまだフィーチャーフォンを使っていたのだ。程維は、まずスマホとは何か、どこで買うのか、どう使うのかというところから説明をしなければならなかった。

9月になって、ようやく銀山タクシーの運転手たちの配車アプリ「嘀嘀打車」が動き始めた。しかし、初日に嘀嘀打車をオンにしてくれた運転手はわずか16人だった。翌日になると8人に減ってしまった。

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滴滴出行の運転手は、スマホを使って、利用客のピックアップ地点や行き先の指示を受ける。

 

運転手の間に広がる「嘀嘀打車は詐欺」の噂

運転手たちの間では、嘀嘀打車は詐欺なのではないかという話が広まっていた。乗客はアプリなど使わなくても、道を流していれば見つかる。自分で見つけられるものをアプリで見つけたと言い張って、送客手数料を取る詐欺なのではないかという話が広まっていたのだ。

そこで、程維は、嘀嘀打車を1週間オンにしてくれた運転手には、5元の奨励金を払うことにした。これにより、多くの運転手が、アプリを使うと効率的に客を見つけられるということを体験し、次第に嘀嘀打車を活用する運転手が増えていった。しかし、それでも利用する運転手が100人を突破したのは11月に入ってからのことだ。

さらに、北京南駅、北京西駅などのタクシーの「要所」を管理する会社と説明会開催の交渉をし、運転手に対して嘀嘀打車の導入を進めていった。この地道な努力により、嘀嘀打車を利用するタクシー運転手は次第に増えていった。

 

北京のタクシーの半分を握るライバル

ようやく嘀嘀打車が広まり始めたが、北京には強力なライバルがいた。揺揺招車(ヤオヤオ)だった。

揺揺招車は決してあなどれないライバルだった。セコイアキャピタル、真格基金といった著名なベンチャーキャピタルから360万ドル(約3.88億円)の投資を受けていた。それだけではなかった。揺揺招車は北京首都空港の第3ターミナルの管理会社と提携をし、ターミナルに出入りをするタクシーに揺揺招車を提供することに成功した。ターミナルには毎日2万台のタクシーが出入りをし、この2万台という量は、北京市内を走るタクシーの量とほぼ同じだ。つまり、嘀嘀打車はどれだけシェアを伸ばしても、北京市の50%が限界であり、揺揺招車に勝つことができない。揺揺招車が市内のタクシーにまで進出をしてきたら、嘀嘀打車の居場所はなくなる。

そこに程維たちにとって幸運が起きた。揺揺招車の経営に脱法行為が存在するという匿名の告発があり、北京首都空港は揺揺招車との提携を解消した。嘀嘀打車は、そこにすぐに食い込み、北京首都空港に出入りをするタクシーに嘀嘀打車を導入していった。

これにより、嘀嘀打車の信用度が高まり、北京市のほぼすべてのタクシーで嘀嘀打車が使われるようになった。揺揺招車の匿名の告発をしたのが誰なのか、現在でも明らかになっていない。

 

上海にも強力なライバルが

2013年には、嘀嘀打車は北京市をほぼ手中にしていた。次の目標は、他都市展開だ。しかし、そこにもライバルが立ち塞がっていた。

2012年11月、嘀嘀打車から遅れること数ヶ月で、杭州市で「快的打車」(クワイディー)が起業していた。しかも、創業者の陳偉星は、北京化工大学で、一時期、程維の同級生だったことがある。陳偉星はその後、浙江大学に入学し直し、杭州市で起業をした。

快的打車の成長は順調だった。最初から優秀な開発チームを揃えたことと、杭州市のタクシー業界は大きくなく、しかも開放的で、まったく新しい配車アプリという仕組みにも理解を示し、導入は順調に進んだ。杭州市を手中にしたら、誰が考えても、次は上海市に進出したいと考えるだろう。

程維はかなり焦っていたと言われる。もし、快的打車に上海市を取られたら、嘀嘀打車が南方の都市に進出することができなくなる。中国の半分しか抑えることができなくなる。なんとしても、快的打車が上海に進出する前に、嘀嘀打車が上海を手に入れる必要があった。

 

滴滴の成功に群がる投資家たち

しかし、程維の足元は騒がしくなるばかりだった。北京市のシェアを取るという成功を経たことで、さまざまな投資企業、テック企業が嘀嘀打車に注目をし始めた。その中でもテンセントが出資を申し出てきて、テンセントの創業者、馬化騰(マー・ホワタン、ポニー・マー)と程維の会談が行われた。

テンセントから投資を受けることはありがたい面と困る面がある。資金や技術を提供してもらえることは程維にとって何よりもありがたいことだが、その反面、経営に参加をされてしまい、自由な経営ができなくなる可能性がある。テンセントがどのような方針を考えているかは別として、スタートアップ企業に大企業の経営者が入ってくるということは、安定はするが成長は止まるということを意味している。嘀嘀打車は北京市を手中にしたばかり。まだまだ成長をしなければならない企業だった。

テンセントに投資をしてもらう際に、どのような条件を飲んでもらう必要があるのか。その交渉に時間を取られている間の2013年4月、快的打車が上海に進出をしてしまった。

 

資金を燃やして上海の市場を制圧

一歩遅れた程維は、テンセントからの1500万ドル(約16.1億円)という莫大な投資話をまとめて、上海に進出をした。そして、圧倒的な資金力を背景に、運転手への奨励金、利用者への優待クーポンを大量発行して、先行していた快的打車に肩を並べるところまで追いついた。

しかし、そこに上海から第3のプレイヤーが登場する。大黄蜂(ダーホワンフォン)だ。嘀嘀打車と快的打車は、上海だけでなく、他都市でもサービスを展開している。しかし、大黄蜂は他都市展開をせずに上海だけでサービスを展開している。上海に集中をしているため、規模は小さくても、意外にしぶとい。

程維は、上海でさらに資金を投入して、優待クーポンを大量発行した。特に大黄蜂が強い地区での優待を強化し、大黄蜂を狙い撃ちにして潰そうとした。

大黄蜂は百度バイドゥ)からの投資を引き出して対抗しようとした。嘀嘀打車はテンセントの資金を背景にし、快的打車はアリババの資金を背景にしている。上海で中国のテックジャイアントBAT(百度、アリババ、テンセント)の代理戦争が起こる気配になってきた。

しかし、百度は大黄蜂への投資を結果として行わなかった。これにより、大黄蜂は資金が枯渇し、急速に後退をしていく。

しかし、その大黄蜂を買収したのが、快的打車だった。これ以降、嘀嘀打車と快的打車は中国の各都市で熾烈な消耗戦を展開していくことになる。

 

出口の見えないクーポンばらまき合戦

2014年になると、嘀嘀打車と快的打車は中国の1級都市、2級都市と呼ばれる大都市のほぼすべてでサービスを展開し、しのぎを削っていた。どちらが優勢とも言えない状況だった。

程維は、この最終全面決戦とも言える大勝負に、テンセントの巨大な資金力を利用して、「投資資金を燃やしながら前進する」作戦をとった。「乗客には乗るたびに10元割引」「運転手には乗せるたびに10元の奨励金」の優待クーポンを大量配布したのだ。まったくの赤字だが、赤字水域に踏み込むことで、快的打車がついてこれなくなることを狙っていた。

クーポン配布を始めた2013年1月10日、嘀嘀打車の利用数は跳ね上がった。1日の乗車数が100万件を超えた。

10日後、快的打車もアリババの資金力を背景に、乗客に10元、運転手に10元のクーポンを配布し始めた。しかも、翌日には運転手に15元の奨励金のクーポンの配布を始めた。快的打車の乗車数は、1日に最高で162万件を記録した。

クーポン合戦はエスカレートしていき、2014年の1月と2月、両社合わせて19億元(約290億円)の補助金、奨励金が使われたという。しかも、このクーポン合戦は果てがない。これからもエスカレートして一方になる。乗客や運転手にとってはありがたい話だが、両社にとっては命を落としかねない消耗戦になっていた。どこかで出口を模索しなければならない。

しかし、その出口は最悪の形で外からやってきた。米国のウーバーが、上海でもライドシェアサービスを提供すると発表したのだ。ウーバーが上陸すれば、嘀嘀打車も快的打車も吹き飛んでしまう可能性が高かった。

 

明日に続きます。