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倒産したスタートアップ起業家のリアル。それぞれの苦しみ(1/4)

中国のスタートアップ倒産件数が減少をしている。しかし、起業数も減っているため、これは中国経済停滞のシグナルだ。倒産する理由はさまざまで、燃財経では、倒産をした16人のスタートアップ創業者に話を聞いた。分量が多いため、隔日で4回に渡ってご紹介する。

 

起業家のリアル。苦しみはそれぞれに

「幸福な家庭は同じように幸福だが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」とトルストイは言った。スタートアップも成功する企業は同じように成功するが、失敗するスタートアップにはそれぞれに失敗要因があるのかもしれない。

テック企業調査ポータル「IT橘子」によると、2019年のスタートアップ倒産件数は336件。近年のピークだった2017年の2145件から比べると大きく減少した。しかし、スタートアップ倒産件数が少ないことはいいシグナルではない。もともとが95%のスタートアップは4年以内に倒産をするもので、倒産件数が少ないということはそれだけ起業する母数自体が減っているということだ。

倒産件数が少ないのは、起業を目指す人が減っているという、経済の倦怠感の現れでもある。

失敗をするスタートアップはどのような原因で失敗をしているのか。燃財経は16人の失敗した起業家を取材した。

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▲中国はどこにでも起業のチャンスが転がっている。しかし、成功する人はごくわずかでしかない。

 

王辰昊、35歳。フィンテック

2017年に創業し、2019年10月に会社を閉じました。支出を抑えるために、1年に5回もオフィスを引っ越すようなありさまでした。引っ越すたびにオフィスは狭くなっていき、最後には120平米のオフィスを友人とシェアする状態でした。

私は猫が苦手なのですが、オフィスをシェアしている友人がオフィスで猫を飼っています。その猫はいつも私のデスクに飛び乗ってきて、私の椅子で爪とぎをします。いつの間にか慣れてしまって、猫が苦手でなくなっていました。

それも家賃の分担で折り合うことができず、それぞれにオフィスを探して引っ越すことになりました。私が引っ越す前、友人は猫を連れていくことを私に勧めました。

引っ越す時に、シュレッダーやプリンターといった道具を持っていくことはできないので、700元で売却しました。しかし、引越し費用にもなりません。どれも購入したばかりのものですが、購入価格の3割か4割程度の価格でしか売れませんでした。

最後の数ヶ月はスタッフに給料を支払うこともできなくなりました。事業が失敗したことよりも、給料が支払えないことの方がつらかったです。給料を支払うために、友人や親戚を訪ねお金を借りて、自宅を抵当に入れて銀行でお金を借りる。思いつくことはなんでもやりました。兄弟姉妹に、お金を借りてもらい、返す時にはお金がないものだから、別の兄弟にお金を借りてもらいということを繰り返し、最後にはどうにもならなくなりました。

 

石冶、39歳。テック

3年で3回起業しました。それぞれが異なる原因で、いずれも失敗しました。

理系の大学を卒業後、普通の企業で10年近く働きました。しかし、成績を上げることができず、転職を考えましたが、それもうまくいかない。自分で起業するしかなくなりました。

私の会社は、昨年の9月に運転資金がショートして以来、おかしくなりました。収入は減り続け、状況は一月ごとに悪くなっていきます。スタッフを解雇せざるを得なくなりました。

最も困ったのは、創業したばかりのいちばん難しい時期に、妻が妊娠したことです。あの時の気持ちは誰にもわかってもらえないと思います。貯蓄はすべて起業に使っていましたし、自宅の家賃を毎月払わなければなりません。会社の収入は不安定なのに、家庭の方の支出は2万元以上になります。しかも、その頃は私の給料などなかったのです。

仕事が終わっても、家に帰りたくありませんでした。妻の顔を見られなかったのです。かと言って、オフィスにいるのも苦痛でした。オフィスにいると、どうやればお金が手に入るかということばかり考えてしまうからです。

ある晩、友人とお酒を飲んで、帰る時には地下鉄もバスも終わっていて、歩いて家に帰りました。陸橋の上に差し掛かると、突然、私は泣き出してしまいました。起業して以来、初めて泣きました。子どもはいらないのではないかとすら考えてしまったのです。

今でも起業の失敗したつらさから抜け出すことができず、心臓はいつも動悸を打っています。

 

傳奕銘、24歳。飲食

2019年2月に倒産をしました。倒産を回避するために、友人や親戚からお金を借りましたが、資金は少なく、支出は多く、スタッフを一人また一人とと解雇していきました。私も厨房に入って料理を作っていました。

会社のお金がいちばん苦しかった時には、私も10数元しか持ってなく、携帯電話は止められている状態でした。銀行に運転資金の借入の相談をしにいっても、相手にしてくれず、午後6時まで放っておかれ、最後には負債が多すぎるので融資はできないと言われるだけでした。その時は冬で、私は冷たい風が吹く中、ひたすら街を歩き、飛び降り自殺ができる場所を探していました。

会社の倒産が決まった時、店の中の調理用具や食材は、周りの人に無料であげました。すると、大きな石を肩から下ろしたような気分になりました。もう一日中会社のことを考えなくて済むと思ったからです。

それからは、毎日、誰か相手を探して、一緒に酒を飲み、酔っては泣いています。起業した頃はみな私に愛想のいいことばかり言って私に取り入ろうとしましたが、今は会う人みなが諸葛亮のようなことを言います。失敗すると以前からわかっていた、君は人の忠告を聞かない、意見をすればするほど反論してくるので、成功しない人だと思っていた。今さら言われてもどうしようもありません。

会社を整理しても、私の生活はあまり変わりありません。倒産前は、毎日どうやって会社を救おうかとそればかり考えていますが、今は、借金をどうやって返そうかとそればかり考えています。

以前は、起業というのは簡単で、人生を切り開く転換点だと考えていました。しかし、今は200万元近い借金があり、それを返さなければなりません。返し終わったところで、人生が開けるとも思えません。起業とは簡単なことではありません。

 

エドワード、27歳。即時配送

創業して4年になりますが、今年、会社をやむなく売却することになりました。起業したばかりの頃は順調でした。私はまだ大学生で、数ヶ月で400万元の投資資金を獲得したのです。

浮かれていたのかもしれません。その年の終わりには、投資資金だけでは足らないことがわかり、次の投資資金の目処も立ちません。

会社は各地区ごとに分社化し、それぞれの分社で採算をとることを考えることにしました。私個人も50万元の借金を背負うことになりました。

いちばんひどい時は、取引先から中華包丁を振りかざして追いかけられたこともあります。従業員に軟禁されて、未払い給料分の借用書を書かされたこともあります。会社のすべての責任を私個人が取らなければならなかったのです。

まだ調子がよかった頃、私は経営パートナーと出会いました。最初は、協業先だったのですが、いつの間にか共同経営者になり、私の会社の経営を見るようになっていました。彼が経営陣に入って、しばらくは会社も成長していました。他都市の市場も開拓してきて、いろいろな課題に直面しましたが、私一人ではなく、彼という仲間がいたために、どんなことも乗り越えていけると思っていたのです。

しかし、会社が成長していくとともに、彼は外から別のパートナーを連れてきて、私を追い出そうとし始めました。

結局、私は私の会社を彼らに売却するしかありませんでした。私たちのビジネスは、外売企業「ウーラマ」や「美団」の委託先で、利益を出すのは簡単ではなく、しかも「ウーラマ」「美団」のプラットフォームは私たちの利益を圧縮させる圧力をかけ続けます。彼らは私たちの利益をよく知っていて、利益が出れば出るほど、手数料を上げてくるのです。

ビジネスに展望が見えない、そしてパートナーによる追い出しを受けて、私は会社を彼らに売却しました。それでも、ごくわずかな株は手元に残しました。彼らが頑張って会社を成長せさてくれれば、そのわずかな株により、私も会社の成長の恩恵に預かれるからです。それが精一杯の抵抗でした。

(3月10日配信に続く)