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メディアでは報道されなかったファーウェイ創業者、任正非のエピソード

ファーウェイの創業者、任正非は異色の経営者だ。貴州省の貧困の村に生まれ、文化大革命に人生を翻弄され、44歳という年齢でファーウェイを起業した理由は「食うため」だった。朱邦凌はメディアにでは報道されていない任正非の人柄がわかるエピソードを紹介している。

 

「食うため」にもがき続けた任正非

ファーウェイの創業者、任正非(レン・ジャンフェイ)は、現代のテック企業経営者の中でも異色の存在だ。1944年に貧しい家庭に生まれ、44歳でファーウェイを創業するなど、多くのスタートアップ経営者とは世代も出自も違っている。

苦労人という言葉では収まらない、中国の激動の近代史に翻弄され続けた人だ。大学に進学したのは「食うため」であり、人民解放軍に入隊したのも「食うため」であり、ファーウェイを創業したのも「食うため」だった。任正非の人生は、食うことが常に大きなテーマであり、自殺を考えたことも何度もあると言う。

朱邦凌は、その任正非の人柄がわかるエピソードを紹介している。

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▲ファーウェイの創業者、任正非。中国の近代史に翻弄され続けた遅咲きの経営者。ファーウェイを創業した理由は「食うため」だったという。

 

リムジンのお出迎えは無駄遣い

任正非が、新疆ウイグル地区に視察に行った時、その地区の責任者は抜擢されたばかりで、任正非の考え方をまだよく理解していなかった。任正非に対する敬意を表すため、リンカーンのリムジンを借りて、それで空港に迎えに行った。

空港について、飛行機から降り、そのリムジンを見た任正非は怒り出した。「無駄遣いだ。時間の無駄だ。無駄以外の何物でもない。なぜ迎えになどくるのだ。あなたのやるべきことは執務であって、私の横に座ってお供をすることではない。お客様が私たちの衣食の父母なのだ。自分の時間をお客様のために使いなさい」。

 

スーツを着たコックが実は創業者

1994年、金森林という新入社員が、製品試験をする部署に配属された。当時、ファーウェイは電話交換機の量産を始めたところだったが、計測機器は粗末なものしかなく、金森林の仕事は忙しく、職場に寝泊まりするしかなかった。食事は、食堂から届けられ、その場で食べていた。

ある晩、コックのチーフが慰問にやってきた。ワゴンを押し、何人かのコックを引き連れていた。金森林は知らなかったが、このコックのチーフが実は、ファーウェイの創業者の任正非だった。金森林はただのコックだと思い込んでいた。

一ヶ月後、新入社員の集まりがあり、そこに創業者の任正非も出席すると知った金森林は、自分の名前を覚えてもらおうと、かなり早い時間に会場に入った。すると、そこにはもう先にきている人がいる。例のコックだった。金森林は不思議に思った。コックは白衣ではなく、スーツを着ていたからだ。集まりが始まり、創業者の任正非が紹介されると、そのスーツを着たコックがステージに上がっていった。金森林は心底驚いたいという。任正非は挨拶をした。「新入社員のみなさん、ようこそファーウェイへ。私が任正非です。みなさんがファーウェイという会社が好きになってくれることを希望します」。

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▲社員食堂に現れた任正非。現在でも、贅沢なことを嫌い、質素な生活をしていると言われる。

 

世間知らずでお金を騙されて左遷される

任正非はファーウェイを創業する前、人民解放軍で施設担当をし、その後、深圳南油集団の副社長を務めた。しかし、市場経済というものがわかってなく、結果を出すことができず、退職せざるを得なかったと本人が述懐している。中国社会が改革開放によって大きく変わる時期で、テクノロジーを知らず、ビジネスを知らない任正非のような人たちは、生きていくことすら難しく、社会の端に追いやられていた。

南油集団の時代に、任正非は人に騙されて、200万元(約3000万円)以上の損害を会社に与えたことがある。一般的な都市のサラリーマンの月給が100元(約1500円)に満たない時代のことだ。この時代、任正非は仕事も家庭も最も辛い時期だったという。妻は、父親が南油集団の幹部であったために、南油集団に転職後、出世をして経営層に入った。一方で、任正非は南油集団の子会社に移ったが、その会社は長い間赤字が続いていてまったくお金がない。仕事には希望が持てない、家では妻に頭が上がらない、さらに両親や兄弟姉妹も生活を任正非に頼って、同居をしていた。任正非は当時、プレッシャーに潰される寸前だったという。

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▲若い頃の任正非。食うためには大学に行って、いい仕事につくしかなかったが、文化大革命の時期にあたり、就職などできず、仕方なく、すぐに食べられる人民解放軍に入隊をした。

 

ファーウェイを創業したのは「食うため」

任正非は、44歳という遅い時期にファーウェイを起業したが、ファーウェイを世界的な企業に成長させようなどとは考えていなかった。お金に困り、落ちぶれた状況をなんとかするためで、両親や子どもたちを養わなければならないことから創業をしたと述懐している。創業をした人が成功をすると、後から、当時は大きな夢を描いていたと言いがちだが、自分はそんなことはなく、生活をなんとかしようとして創業したのだと言う。

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▲ファーウェイの最初の社屋。それなりに立派そうな建物だが、実は、深圳市で勤めていた南油集団の社員住宅。その一室がファーウェイ創業の地だ。

 

過去少なくとも2度、自殺を考えている

ファーウェイを創業してからも、会社が何度も危機に陥り、自殺を考えたこともあると言う。2002年には、当時のITバブルが弾け、経営が苦しくなり、任正非は半年の間、ほとんど寝ることができなくなった。2006年にも自殺を考えたことがある。この頃、食事をしているところに、内モンゴルの少女たちがやってきて、1曲400円程度で歌ってくれると言う。貧しさの中にいるのに、楽しそうに笑う彼女たちの笑顔を見ていて、任正非は涙が溢れてきた。それで自殺を思いとどまったと言う。

 

安易な社名の付け方を後から後悔

ファーウェイ(華為)という社名にはあまり深い意味はないという。起業するため、社名を決めなければならず、たまたま壁に「中華有為」(中華には大きな前途がある、可能性があるといった意味)という標語があって、そこから取ったにすぎない。

任正非は後からこのネーミングに後悔をしていたという。ひとつは「ホワウェイ」という発音がおとなしく、華やかさがないこと。もうひとつは、外国人から「ハワイ」と発音とスペル(huawei)が似ているため、しばしば間違えられるから。10数年にわたって、社名変更をすることが議論されたが、結局ファーウェイの名前が有名になったしまったため、社名変更はしない結論になったという。

 

給与の支払いは自社株で

ファーウェイは、社員に自社株を気前よく与えることで有名だ。そのため、現在のファーウェイにはファーウェイ株を大量に持っている資産家社員がたくさんいる。

ファーウェイが創業したばかりの頃、従業員に約束をした給料が支払えないことが常態化していた。その度に、任正非は社員に対して、借用書を書いていた。

ファーウェイの事業が軌道に乗っても、過去の莫大な社員に対する借金をきれいにできるほどの資金的余裕はなかった。そこで、借用書と自社株の交換を始めた。これが現在の社員株制度につながっている。

 

チョモランマの頂上に基地局を作るプロジェクト

任正非はチョモランマの頂上に携帯電話基地局を設置するプロジェクトを進めている。そんなところに基地局を作っても、ファーウェイの利益には何も貢献しない。しかし、登山者の命を救いたいのだという。ファーウェイは戦略的に上場をしていない。そのため、会社の利益にそぐわないことでも、ファーウェイの理想にかなうプロジェクトを進めることができる。これがファーウェイの強さなのだと任正非は言う。

 

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