中国人が連絡を取り合う時に使うアプリは圧倒的にWeChatだ。メッセージ、音声、通話などができる他、スマホ決済「WeChatペイ」も使える。しかし、テンセントは以前「QQ」というPCベースで、アカウント数10億人を超え、これが成長の源泉となった企業。なぜ、その「QQ」を捨て、WeChatを始めたのか。一車異世界が解説した。
テンセントの成長の原動力となったQQ
中国で最も使われているアプリと言えば、WeChatだ。メッセージ交換や通話ができ、日本のLINEと同じように使われているだけでなく、WeChatペイの決済機能も搭載され、中国人にはなくてはならないアプリになっている。
ところが、テンセントがなぜWeChatを開発することになったのかは偶然とも言っていい。なぜなら、テンセントはQQというSNSが以前からあり、一説にはアカウント数が10億件を突破(もちろん重複アカウント、ゾンビアカウントもある)したとも言われるほど、大成功したSNSだ。2000年代前半までは、中国人のほとんどがQQを使っていて、QQでメッセージを送り、音声通話を使っていた。特に海外に住んでいる中国人の間では、本土の家族と連絡を取るのにQQは必須だった。
▲PC時代のSNS「QQ」で遊べた「QQ農場」。野菜や花を育てながら、友人の農場に行き、手伝いをしたり、育った作物を盗んだりすることができる。中国で爆発的に流行した。
スマホ時代になりWeChatが登場する
スマートフォンが普及をすると、PCベースだったQQはアプリ化された。しかし、なぜかほぼ同時にWeChatが登場し、テンセントユーザーは、スマホでもQQを使うべきか、それとも新しいWeChatを使うべきか、迷っていた時期がある。それがWeChatペイの決済機能が搭載されると、あっという間にユーザーはWeChatに流れた。QQは現在もサービスは提供されているものの、閑古鳥が鳴いている状況だ。なぜ、テンセントはこのようなカニバリズム的なことをしたのだろうか。
WeChatを開発した張小龍
WeChatを開発したのは、張小龍(ジャン・シャオロン)というエンジニアで、彼は元々はテンセントの社員ではなかった。1994年に華中科技大学を卒業すると、広州市で、あるソフトウェアの開発を始めた。Foxmailというもので、いわゆるメールソフトだ。最初の英文版がリリースされた1997年、当時はまだスマートフォンがなく、PCを使ってインターネットにアクセスをしていた。多くの人が優秀なメールソフトを求めていた。
このFoxmailは、すぐに中国で最も有名なメールソフトとなり、中国語版は400万人が利用したと言われる。英文版も20カ国以上で利用された。
このFoxmailが、2000年に、当時のソフトウェア企業「博大」に1200万元(約1.9億円)で売れた。張小龍は博大の副総裁に就任をする。
▲テンセントの張小龍氏。Foxmailを開発して以来、ずっとメッセージ交換ソフトを開発し続け、WeChatを開発した。
電子メールに脅威を感じたポニー・マーがFoxmailを買収
その頃、テンセントのQQは、ユーザー数が100万人を突破し、成長期に差し掛かっていた。しかし、テンセントの創業者、ポニー・マーは危機感を持っていた。QQは基本となっているのがリアルタイムチャットで、電子メールのような長文のやり取りをするのには向いていなかったのだ。そこにFoxmailのような優秀なメールソフトが登場して、次第に世の中は電子メールを使うようになっていった。ビジネスの世界では電子メールが主流となり、個人間でも電子メールを使うことが増えていった。
そこでポニー・マーが決断したのが、Foxmailの買収だ。博大から買い取り、これをQQ向けに改良し、QQ用の電子メールソフトにしようと考えた。2005年、テンセントはFoxmailを買収し、その開発責任者である張小龍もテンセントの広州研究開発部の責任者に就任した。
▲張小龍が開発したFoxmailメールソフト。PCベースのソフトウェアで、ビジネスマンや学生などの間で人気となった。
ツイッター、ウェイボーに脅威を感じたポニー・マーがWeChat開発を指示
張小龍はポニー・マーの指示通り、FoxmailをベースにQQ郵箱というQQユーザー用のメールソフトを開発した。
しかし、ここでもポニー・マーは危機感を持った。2007年にツイッターが登場し、新浪(シンラン)がウェイボーを発表したのだ。せっかくQQに電子メール機能を追加したのに、世の中は電子メールからSNSのメッセージングを使うようになっていったのだ。
ポニー・マーはこう語っている。「ウェイボーが登場して、SNSで連絡を取るということが始まりました。学校ではウェイボーのグループを作って、連絡を取り合っているという話を聞いて、大きな危機感を持ちました。我々もテンセント版のウェイボーを開発しなければと思ったのです」。
社内で競争開発をしたテンセント版ウェイボー
しかし、問題は山積みだった。QQはソフトウェアとして大きくなりすぎていたので、もはや携帯電話に移植することは不可能になっていた。新たに携帯電話版をゼロから開発しなければならない。
もうひとつの問題は、携帯電話の世界が大きく動いていたことだ。当時、中国ではノキアの携帯電話が圧倒的に売れていたが、アップルのiPhoneが登場し、グーグルのAndroidが登場してきて、一気にスマートフォンに移り変わろうとしていた。
ポニー・マーは、携帯電話関連の開発部隊、QQの開発部隊、ワイヤレス関連の開発部隊の3つに、「テンセントのウェイボー」の命令を下した。
▲QQのマスコットのペンギン。このキャラクターは、現在でもテンセントを代表するマスコットになっている。
ブラックベリー版メールソフトがWeChatのベース
しかし、「テンセントのウェイボー」の開発に成功したのは、張小龍が率いるQQ郵箱部隊だった。張小龍はPC版QQ郵箱の次の仕事として、ブラックベリー版のメールソフトの開発をしていた。これをベースに「テンセント版ウェイボー」が開発された。
最初のバージョンは、単なるメッセージ交換アプリだった。張小龍は、そこにQQが人気となった要因の機能を追加した。QQでは、ボタンをクリックするだけで、相手を呼び出して音声通話ができる。さらに、音声を録音して、音声メールのようにやり取りすることもできる。この簡単に音声がやり取りできるという点がQQの人気の秘密で、この機能を「テンセント版ウェイボー」に追加した。このような機能は、海外でもWhatsAppなどに搭載されていたが、すでにQQでの実績があるテンセントは、高音質の音声通話機能を追加することができた。
こうして生まれたのが、WeChatだった。
WeChatを急成長させたシェイク機能とQRコード
ポニー・マーの思惑としては、ビジネスなどではPCベースのQQとQQ郵箱が使われ、一般の人や学生はスマートフォンベースのWeChatを使うという住み分けが生まれると考えていた。そのため、事業部からはWeChatという名前ではなく「Q信」という名称にした方がいいという意見もあり、実際「Q信」の名称で扱われたこともあった。QQの関連アプリであることを強調したかったのだ。
当初、WeChatのユーザー数は伸び悩んだ。多くのユーザーがQQで十分だと思っていたからだ。ところが、これを変えたのがシェイク機能だった。WeChatアプリを起動し、互いのスマホを振ると、それだけで相手のアカウントが登録され、 WeChat内の友達になることができる。現実に出会った人とアカウント交換が簡単になり、アカウントの英数字を入力するような面倒がなくなった。さらに、アカウントを簡単に交換できるように、自分のアカウントをQRコードで表示する機能も追加された。このアイディアが、後にQRコードスマホ決済「WeChatペイ」につながっていく。
ポニー・マーも読み違えたスマホの普及ペース
ポニー・マーがただひとつ読み違えていたのは、スマホのあまりにも早すぎる普及ペースだった。QQのスマホアプリも登場し、ビジネスではQQ、プライベートではWeChatという使い分けを想定していたが、あっという間にPCとスマホで使うQQは時代遅れとなり、WeChatが伸びていく。
特にWeChatペイが搭載されてからは、テンセントで最も重要なアプリになっていったのだ。テンセントの主要ビジネスは、今やWeChatを中心に展開をしている。
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